Saturday, November 12, 2022

広島の人々は今も強制労働で作られた発電所から電力を享受している Visiting Hydroelectric Power Plants in Hiroshima Made with Forced Labour from Korea and China

 「広島安野・中国人被害者を追悼し歴史事実を継承する会」のHPに載せて頂いたフィールドワークの感想文をここに転載します。


広島の人々は今も強制労働で作られた発電所から電力を享受している

 

2022年11月9日 乗松聡子

中国電力安野発電所

  9月17日、まだ残暑厳しい広島を訪れた。カナダ、千葉、仙台、福岡、山口、広島地元から集まった30代から60代までの小グループが、川原洋子さんの案内で安野発電所のフィールドワークを行った。川原さんは、1992年から30年ににわたり、安野発電所における中国人強制労働の真相究明と和解への取り組みを続けてきた、「広島安野・中国人被害者を追悼し歴史事実を継承する会」の事務局長である。

川原洋子さん

 小柄な体から信念に満ちたエネルギーが伝わってくる川原さんに挨拶しながら、私は心中自らに問うていた。この15年、日米学生の広島・長崎の旅に参加し被爆者の通訳や学生たちのリーダーを務めてきて、朝鮮人被爆者の話も聞き、長崎では、大日本帝国の加害に焦点を置いた「岡まさはる記念長崎平和資料館」にも欠かさず訪問してきた。その旅の歴史の中で、川原さんに会う機会が今までなかったのはなぜなのか。広島市内から車で一時間ほど足を伸ばせば見学ができる安野発電所に行ったことがなかったのはなぜなのか。

 答えは難しくはない。自分の無知と怠慢以外にはない。今夏、横浜での「戦争の加害パネル展」(記憶の継承を進める神奈川の会主催)を訪問した。2016年から続いている、日本では珍しい「加害」に焦点を置いた戦争記憶の展示である。ここでは今年画期的な特別展軍都・広島と戦争加害」展示があった。この展示作成に参加した、広島の市民団体「ラジカルバナナ」の小島亜佳莉さんと金井良樹さんとは以前から親交があったこともあり、今回広島訪問にあたり「加害中心の見学」をしたいとの希望を伝えた。それでお二人が川原さんを紹介してくれたのである。

 「広島」は被爆地として知られるが、「強制連行」という角度から学ぶことを自分は怠ってきた。「朝鮮人強制連行真相調査団」編著の「朝鮮人強制連行調査の記録 中国編」(柏書房、2001年)にあった、広島県の強制連行マップ(125頁)には愕然とした。軍需工場や基地、発電所、鉱山、造船、鉄道などの建設現場で朝鮮人連行、朝鮮人がいたと確認されている場所、中国人連行のあった場所、連合国捕虜が動員された場所など50箇所以上が確認されており、その数を上回るほどの未調査地・調査対象地が記されていた。広島のマップといえば、原爆の爆心地を中心とした同心円状の被爆マップを見ることが多かったが、これは私が見たことのない広島のマップであった。

王泊ダム慰霊塔

 1910年の韓国強制併合直後から朝鮮人動員は始まった。1939年以降の「募集」「斡旋」「徴用」という形の戦時強制動員が行われる前であっても、日本の植民地支配下ですでに「自由」が奪われた状態において、生活の糧を失った人たちが日本に職を求めざるを得なかったのだ。だから「自由意思」で来たとは言えないし、その労働実態はまさしく奴隷労働といえるものであった。広島でも戦争政策が強化される中で電源開発が進んだ。太田川水系では「併合」直後に建設された亀山発電所(運転開始は1912年)から、1946年に運転開始した安野発電所を含む9箇所の水力発電所で数千人規模の朝鮮人が動員されたという。今回は、金井さん、小島さんの案内で、安野発電所と同じ太田川水系の王泊ダムと下山発電所の建設(1933-34年)現場で亡くなった朝鮮人や日本人労働者について学んだ。34年には発電所工事場のダイナマイト爆発で25人(うち14人が朝鮮人)が即死する事故が起き、慰霊塔が建てられている。
王泊ダムについて説明する
金井さん(右)、小島さん(左)

このように、すでに30年余にわたって大規模な朝鮮人動員がなされてきた中、戦争の終盤においては中国人さえもが動員されたのである。1942年に「華人労務者内地移入に関する件」が閣議決定され、43年から中国人を日本に強制連行した。全国の鉱山、港湾、発電所や飛行場建設など135箇所の事業場に約4万人が強制連行され、7千人が命を奪われた。西松建設(当時は西松組)は1944年4月に中国人動員を厚生省に申請し許可され、安野発電所建設工事のために360人の中国人を連行した。「外務省報告書」の記載によると、帰国までの約1年間に、112人が負傷、269人が病気になり、29人(船中死亡3人、原爆死5人、殴打致死2人を含む)が死亡したという。帰国した中国人たちは、強制労働による病気や怪我を負って帰った人も多く、貧困に喘ぎ大変な苦労の人生を歩んだ。

1992年以来川原さんらは、「事業場報告書」や「外務省報告書」をもとに、中国での生存者や遺族への聞き取り、当時を知る地元住民の聞き取りを行い真相究明に務めてきた。中国が戦勝国であったことから、外務省はこのような資料を作成せざるを得なかったということだ。「これらの資料があったから裁判も闘えたし、和解にもっていくことができた」と川原さんは、「資料の重み」について語った。逆にそのことは、植民地支配下に動員された朝鮮人については資料が不足し、真相究明の道のりは遠いことを示唆していると私は感じた。

安野中国人受難之碑 碑文

安野発電所横にある、和解事業の一環として建てられた「安野中国人受難」にはこうある。「・・・太田川上流に位置し、土居から香草・津浪・坪野に至る長い導水トンネルをもつ安野発電所は、今も静かに電気を送りつづけている。」これにはびっくりした。今でも広島の人々は強制労働により作られた発電所から電力を享受していたとは!それを意識して生活している人はどれぐらいいるのだろうか??

碑の前で川原さんは語った。1993年に安野の被害者2人が戦後初めて来日し、「安野発電所が今も動いて電気を送っている」ことにとても衝撃を受けていたと。「西松が今もあるなら謝罪と補償を求めたい」という被害者の希望を受けて西松建設との交渉を開始した。被害者の要求は3項目あり、「謝罪」、「記念碑・記念館」を作ることと「しかるべき賠償」であったという。

川原さんによると、繰り返しの補償交渉に対し西松建設側は「国策だったから一企業ができることはない」などと言って責任を認めなかったという。しかしそもそも西松建設を含む日本の産業側が労働力不足を補うために日本政府に強く求めて中国人連行を制度化させたということではないか。それを「国策だった」と言って逃げるのはあまりにも無責任であると思った。被害者と支持者たちは、その後交渉は打ち切り、訴訟に踏み切ったという。

川原さんの説明をきく

98年に原告5人(被害者3人、遺族2人)が360人の被害者を代表し、西松建設を提訴、地裁は敗訴、高裁は逆転勝訴したが最高裁で再び逆転敗訴した。しかし「西松建設を含む関係者において、本件被害者らの被害の救済に向けた努力をすることが期待される」という最高裁の付言が、後の和解につながったという。2009年10月23日、360人について和解が成立した。西松建設は強制連行・強制労働の事実を認め、被害者と遺族に謝罪を表明し、和解金として2億5千万円を支払った。和解金には360人分の補償のほか、記念碑の建立、追悼の集い、被害者や遺族を中国から招く費用なども含まれていた。

一番忘れられない体験は、安野発電所を作るときに労働者が上り下りさせられたという果てしなく長い階段を私たち見学者も登ったことである。中国人強制労働者たちは、昼食には小さな万頭一個しか出ないのにそれを食べに飯場に降りて、仕事に戻るのにまた同じ階段を登らされたという。食べた分はその上り下りだけで消費してしまいそうだ。重い荷物を持たされ登らされたことも。靴も擦り切れ、裸足で登った人もいただろう。私は、登りながら、息が切れてだんだん無言になっていくうちに意識は自分の内面に向かった。被害者たちは、骨と皮のようにやせ細った体で、一段一段階段を上りながら、どんなことを考えていたのだろう、と思いを馳せた。どれだけ無念であったであろうか。

 安野発電所強制労働の被害者の人たちが求めていたものの中でひとつ、「記念館」は実現していない。私はこれこそが広島に必要なものなのではないかと思った。安野発電所の強制労働の歴史を含む、「加害の広島」を展示するような記念館があったらいい。広島を訪れる誰もが立ち寄れるようなところにそのような「記念館」を作ることが、いま広島に、ひいては日本の人々に、求められているような気がする。大日本帝国の残虐の歴史は日本では概して語らない、教えない、それどころか歴史を捻じ曲げたり否定したりする風潮が蔓延している。きたる12月は、日本が中国に対して行った残虐行為を代表する大規模戦争犯罪「南京大虐殺」の85周年である。安野発電所で酷使され、尊厳を奪われた人たちの体験を思い出しながらこの重要な節目を迎えたいと思う。このフィールドワークによって、広島は自分にとって二度と同じ場所ではなくなった。

 2010年以来、「安野中国人受難之碑」前で、中国から遺族を招き「平和と友好を祈念する集い」が毎年開催されている。和解が成立した10月23日の記念日に合わせ、10月第3日曜日に開催されているようだ。私も次の機会にぜひ参加したいと思う。そして広島の強制連行全体の真相究明と記憶継承について自分ができることをやっていきたいと思う。 

この貴重な学びの体験を与えてくださった川原さん、小島さん、金井さんに心から感謝します。 

安野中国人受難之碑

(のりまつさとこ カナダ・バンクーバー在住 ピース・フィロソフィー・センター代表/平和のための博物館国際ネットワーク」共同代表/アジア太平洋ジャーナル・ジャパンフォーカス」エディター)


★安野発電所の中国人強制連行については川原さんら「広島安野・中国人被害者を追悼し歴史事実を継承する会」のサイトに大変詳しいです。ぜひ訪問し、被害者の証言などを読んでください。⇒https://keishousurukai.com/index.html 


Friday, November 11, 2022

ヒューライツ大阪『国際人権ひろば』2022年5月号(No.163) より:カナダの多文化主義の光と影 Lights and Shadows of Canadian Multiculturalism: HURIGHTS OSAKA

一般財団法人 アジア・太平洋人権情報センター(ヒューライツ大阪)の「国際人権ひろば」2022年5月1日発行163号に掲載していただいた記事を許可をもらって転載します。

「カナダの多文化主義の光と影」 

乗松聡子(ピース・フィロソフィー・センター代表)

多様な民族的・言語的背景の人々からなる社会

 2015年11月、約10年続いた保守党政権を倒した自由党のジャスティン・トルドー党首が新しく首相の座に就いた。自称フェミニストの彼はさっそくジェンダーバランス内閣を導入し、内閣お披露目の場では報道陣を前に「だって今は2015年だから」と誇らしげに語った。その後二度の総選挙で自由党は第一党を維持し、7年目の今、内閣39人のうちLGBTQ2S+(性的マイノリティ)のメンバーが3人いるのをはじめ、障害のある人、先住民族、難民出身の人、アジアやアフリカを背景に持つ人など、トルドーが「カナダのように見える」と言った多様性内閣は健在である。国会議員の女性比率は約30%(世界58位)で、約10%で低迷している日本に比べたらジェンダー平等は進んでいると言えるのであろう。

 カナダは5年ごとに国勢調査を行う。データが揃っている最後の調査が2016年のものだが、約3500万人の人口のうち、自認による民族的ルーツは250以上ある。100万人以上いるルーツは、多い順に、カナダ、イングランド、スコットランド、フランス、アイルランド、ドイツ、イタリア、華人、ファーストネイションズ、南アジア、ウクライナ、オランダ、ポーランドである。人口の約22%は「ビジブル・マイノリティー」(白人でも先住民でもない)である。一方、人口の約22%が外国出身者である。バイリンガル(英語とフランス語)は約18%。約800万人が公用語以外の母語を持ち、約20%が家庭で2つ以上の言語を話す。ちなみに私は日本出身の移民で、「ビジブル・マイノリティー」にも該当し、公用語以外を母語に持ち、カナダ生まれの子がいる家庭で英語と日本語を使う典型的な移民一世である。

多文化主義を法制化した世界初の国

 カナダの多文化・多民族・多言語社会を下支えしているのが「多文化主義(multiculturalism)」政策である。歴史的に英仏戦争に勝利した英国系が中心となって作った国であり、フランス系が抑圧された背景から、フランス語圏のケベックのナショナリズムが台頭し、1960年代のレスター・ピアソン首相の時代に二言語・二文化主義への道が拓かれた。次のピエール・トルドー首相時代に公用語法(1969)が定められ二言語主義が法的に保障された。と同時に、英語系でもフランス語系でもない移民集団からの不満も高まり、1971年、多文化主義を国家の政策と位置づける。カナダは1867年の連邦結成以降も、英国からの独立を段階的に獲得してきたが、1982年には独自の憲法「権利と自由憲章」が成立、その27条に多文化主義が書き込まれる。1988年、ブライアン・マルルーニ政権下で「カナダ多文化主義法」として多文化主義を法制化した世界初の国となった。

植民地主義と人種主義の「歴史」

 このように多文化主義「先進国」であり、自然も豊かで、寛容な国といったイメージのあるカナダではあるが、現実はどうなのか。2015年11月、就任直後に英国の議会で演説したトルドー首相は、カナダの強みとしての「多様性」を強調しながら、「…先住民族にとっては、カナダの現実は易しく平等で公平と言えるものではなかったし、今もそうではありません…私たちの歴史には暗い過去もありました。華人への人頭税、第一次・二次大戦時の、ウクライナ系、日系、イタリア系カナダ人の強制収容、ユダヤ人やパンジャブの難民を追い返したこと、私たちの国にも奴隷制があったこと」と言った。カナダは植民地主義や人種主義の歴史を背負っているからこそ、そこから脱するために少しずつ歩んでいると言ってもいいのかもしれない。とりわけ先住民族についてはカナダの植民地主義は「歴史」ではなく現在進行形の構造的暴力である。

 ネイティブ・ランド・デジタル(native-land.ca) というサイトがある。先住民族の視点から、民族のテリトリー、言語、植民者と交わした条約などの条件で地図を表示できる。これを見ると、近現代の入植者により「多様性」が謳われるはるか前から、カナダと米国の国境が引かれるはるか昔から、すでに北米大陸は「多様(diverse)」な土地であったことがわかる。現在カナダと呼ばれる土地に人類が到達したのは氷河期末期(8万年前から1万2千年前)ぐらいであろうと言われている。15世紀末ごろから欧州人の入植があり、その時点での北米の先住民族の人口は、諸説あるが200万から1千万人、62語族の400以上の言語があったと推察されている。欧州人との接触がきっかけで先住民族が免疫をもたなかった様々な病気で人口が激減し、戦争や植民地主義的政策など、全て入植者がもたらした要因で苦しめられた。2016年の国勢調査ではカナダに先住民族は約170万人、人口の約5%を占めている。カナダでは先住民族は主に「ファーストネイションズ」と呼ばれるが、現在、全国に630以上のコミュニティがあり、50以上のネイション(民族)と、50以上の言語がある。カナダでは他に、欧州の入植者と先住民族の混血の子孫である「メイティー」と、北部に住む「イヌイット」の人たちがいる。

先住民族に対する同化政策

 カナダ現代社会に今も深い影を落としているのが「インディアン・レジデンシャル・スクール」という強制同化政策であった。連邦化したカナダは「インディアン法」(1876)を定め先住民族を居留地(Reserve)で管理した。カナダ初の首相となったジョン・A・マクドナルドは1883年に寄宿学校制度を導入する。彼が同年議会で語った「学校が居留地にある場合、子どもは野蛮人である両親と暮らし、野蛮人に囲まれている...子どもは単に読み書きのできる野蛮人になるだけだ」という言葉が当時の植民地主義を象徴している。一世紀以上にわたり約15万人の子どもたちが親元から引き離され、全国に139校あった政府とキリスト教教会各派が運営する寄宿学校に送られた。多くの場合劣悪な住環境で栄養も悪く、学校とは名ばかりで実質強制労働をさせられ、指導的立場にいる聖職者による性的、肉体的、精神的虐待が横行した。逃亡すれば捕まり拷問を受ける、先住民族の言葉を使ったら舌に針を刺される、神父により性暴力を受け妊娠させられる(生まれた子は葬り去られる)といった残酷さだ。死亡率も高かった。2021年以来全国各地の寄宿学校跡に、地中レーダー技術を使って、子どもたちが埋葬されていた「墓標なき墓」が何百という単位で発見され続けている。

 先住民族が政府を相手取ったカナダ史上最大の集団訴訟の結果、2006年に「インディアン・レジデンシャル・スクール和解協定」が成立し、2008年には当時のスティーブン・ハーパー首相(保守党)が国会で謝罪した。協定の一環として、記憶の継承、和解と癒やしを目指す目的で2010年から全国7箇所で「真実と和解委員会」が開催され、約7000人の体験者に聞き取りを行い、一般のカナダ人がこの歴史を知ることができるような催しが持たれた。私の住むバンクーバーでも2013年9月に4日間開催され、地元の大学生は参加するために大学の欠席を許された。私も学びに行ったら、偶然小学生の娘のクラスの子たちと遭遇した。日本もこのように、アイヌ、琉球/沖縄、朝鮮の人たちに対して行った植民地主義政策とその被害を学ぶために国費を投じて一般の日本人が被害者証言を聞き歴史を学ぶ機会を提供するようになって欲しいと思う。しかし、残念ながら今の日本政府は、国費をかけて日本軍「慰安婦」や強制連行の歴史を否定するという真逆の方向に走っている。

多文化主義の課題

 カナダの植民地主義もまだまだ続行中である。先住民族はいまだに、糖尿病が多いなど健康の問題、低所得、高失業、犯罪の被害者にも加害者にもなる確率が高い、若者の自殺が多いなどの課題がある。ブリティッシュコロンビア州北部で、先住民族の同意を十分得ずしてパイプライン建設が強行されている地では「“和解”は死んだ」とのスローガンが掲げられた。

 「和解(reconciliation)」は、カナダと先住民族との関係改善を象徴する言葉である。しかし「多様性」と同様、「和解」もマジョリティ側(加害側)の言葉である。「和解」はマジョリティ側が押し付けるものではなく、カナダが構造的差別をやめ、脱植民地化が具体的に進むにつれて徐々に実現してくるものなのではないか。2021年末、Walrusというネット媒体の特集「多文化主義は未完成」に寄稿した先住民のライター、ダニエル・パラディス氏は、「多文化主義は、『カナダ』を正当化し強化するための道具であり続けているが、先住民族を最小化し抹消する道具でもあり続けている」と指摘した。先住民族を置き去りにしたカナダの「多文化主義」に突きつけられた挑戦である。私も、そのカナダを構成する一人として、受け止めている。

(コーストサリッシュ族の土地にて)

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Wednesday, November 09, 2022

沖縄タイムス:金武町など取材 ジャーナリストのマーティンさん ドキュメンタリー制作 Journalist Abby Martin covered the PFAS contamination issue in Kin Town, Okinawa for a documentary film: Nov 7, 2022 from the Okinawa Times

 

10月4日、金武大川にて。仲間一金武町長にインタビューするアビー・マーティン氏

米国のジャーナリスト、アビー・マーティン氏の沖縄取材についてはここにまとめを書きました。

『沖縄タイムス』11月7日版に、アビー・マーティン氏の金武町取材の記事が出ました。お知らせします。@PeacePhilosophy 


アビーさん一行は10月1日から6日 まで沖縄で取材しました。他の関連報道や発信もここに記します。

東アジア共同体研究所琉球沖縄センターの若者グループ YouFO との交流。

沖縄TV(OTV)によるアビーさん来沖特集(10分の映像) 

キャンプ・シュワブゲート前で琉球新報の取材を受けました(10月3日)。 

初日(10月2日)、嘉数高台での取材を、沖縄タイムスが取材してくれました。 

Tuesday, November 01, 2022

「先住民族に対する『ジェノサイド』と教皇の『謝罪』」ー「日本カトリック正義と平和協議会」の『JP通信』10月号より Genocide Against Indigenous Peoples and Pope Francis' "Apology" - From the Newsletter of Japan Catholic Council for Justice and Peace (October 2022 Edition)

日本カトリック正義と平和協議会」の機関紙『JP通信』2022年10月号の特集「再び会う道~謝罪について考える」に、乗松聡子の記事「先住民族に対する『ジェノサイド』と教皇の『謝罪』」を掲載してもらいました。2021年5月末、カナダ・ブリティッシュコロンビア州カムループス先住民寄宿学校の跡地で、およそ215人の「墓標なき墓」が地下レーダー技術によって確認されたことは全国に衝撃を与え世界中で報道されました。写真は同年6月、カムループス寄宿学校前で、死んだ子どもたちを追悼するケヒウィン・クリー族のアイアナ・ウォッチメーカーさんです。母親のシャノン・ハンブリーさんが娘のために寝る間も惜しんで手づくりしたジングル・ドレスを纏って死なされた子どもたちを追悼しています。JP通信がこの写真を表紙写真に使っていただいたことに感謝します。シャノンさんも大変喜んでいました。カナダではその植民地政策の一つである「インディアン・レジデンシャル・スクール」が19世紀中盤から20世紀終盤まで、全国で139校、15万人もの先住民族の子どもたちが親元から引き離され、劣悪な環境下で強制同化教育を受けさせられ、聖職者・指導者による肉体的、精神的、性的虐待が横行しました。政府が制定しキリスト教各派の教会が運営しましたが、その6割はカトリック教会による運営でした。今年7月末に、フランシスコ教皇がカナダを訪れ先住民族のサバイバーたちに対し「謝罪」を行ったことを受けてこの記事を書きました。上記のシャノンさんは「この歴史が日本でも語られることは非常に重要だ」と言っていました。日本のカトリックの団体がこの問題を取り上げ教会が犯した罪に向き合うという姿勢に敬意を表したいと思います。と同時に私自身カナダの植民者としての責任に向き合い続けなければいけないという思いを新たにしました。@PeacePhilosophy

『JP通信』についての問い合わせはこちらを⇒ https://www.jccjp.org/jptsuushin






Friday, October 07, 2022

米国ジャーナリスト アビー・マーティン氏とプロデューサーのマイク・プリスナー氏 沖縄でドキュメンタリー撮影 Journalist Abby Martin and producer Mike Prysner came to Okinawa for their new documentary film on militarism and environment

安和桟橋で土砂搬入トラックに対する「牛歩」行動に参加するアビー・マーティン氏

米国の著名なジャーナリスト、アビー・マーティン氏とプロデューサーのマイク・プリスナー氏が運営するメディアプロジェクト「エンパイア・ファイルズ」の沖縄取材の手配・通訳・同行の仕事を、与那覇恵子氏(名桜大学元教員)と共に行った。

アビー・マーティン氏は、過去15年間、米国のメディアと外交政策に焦点を当てた報道を続けてきた、世界的に有名なジャーナリストでありコメンテーターである。彼女のツイッターには約40万人のフォロアーがいる。2019年に初の長編ドキュメンタリー映画「Gaza Fights For Freedom」(ガザは自由のために闘う)を制作し、パレスチナについて最も視聴された映画のひとつとなった。彼女のプロデューサーであるマイク・プリスナー氏は、2015年に一緒にメディアプロジェクト「Empire Files」を設立するまでは、米国の反戦活動家として広く知られていた。プリスナー氏は「米軍基地反対アジア・ワイド・キャンペーン」の一員で、彼らの会議に米国代表として出席したこともある。

現在進行中の長編ドキュメンタリー・プロジェクト「Earth's Greatest Enemy」(地球にとって最も恐るべき敵)は、米軍による大規模な環境破壊と汚染を記録し、その実態を明らかにすることを目的としている。炭素排出から核兵器まで、この物語の主要な部分は、米国内外の生態系と周辺コミュニティに米軍基地が与える影響である。これまでアビー・マーティン氏とマイク・プリスナー氏は、アラスカ、ハワイ、グアム、そしてアメリカ国内の数カ所を訪れ、これらの基地が環境に与える影響を記録してきた。今回は沖縄を訪れ、科学者、指導者たち、地域住民に基地がもたらす被害について話を聞いた。この映画の最終的な目標は、ペンタゴンに厳しい環境規制をかけ、すべての海外基地を閉鎖することが急務であるという意識を、アメリカ国内、特に環境保護運動で醸成することだ。


マーティン氏は各地で指摘していた。環境問題や気候変動への取り組みと、米軍基地や戦争・軍事主義の問題は多くの場合切り離されていることが多く、この2つの問題(環境と軍事)は密接に関連していることを知らしめなければいけないと。この問題意識に深く賛同する。


マーティン氏とプリスナー氏の来沖は、沖縄地元の二紙に取り上げられた。


沖縄タイムス(10月3日)

「米軍がいかに地球を汚染しているか」 米国のジャーナリストが沖縄で見たもの


この記事は、朝日新聞デジタルや、Yahoo ニュースにも転載された。


琉球新報(10月5日)

基地から派生する環境問題を取材 米ジャーナリスト「沖縄の現状を伝えたい」長編ドキュメンタリー番組制作へ


また、OTV(沖縄テレビ)からも追跡取材があった。

10月11日放送:基地被害・環境汚染を世界各地で取材 米国人ジャーナリストが見た基地の島(沖縄テレビ)


10月1日から6日までの滞在期間の間、主に以下のような取材を行った

  • (2日)沖縄戦ガイドの長嶺智子氏と、宜野湾の嘉数高台から普天間飛行場を見下ろし、沖縄戦が始まった慶良間諸島、読谷の上陸地などについて説明をうけ、沖縄戦と現在の基地問題の歴史的つながりを学んだ。その後南部で「平和の礎」、「沖縄県平和祈念資料館」を取材・見学。
  • (2日)東アジア共同体研究所琉球沖縄センター所長の瑞慶覧長敏氏の手配で、センターの若者グループ YouFO (Youth Friendship Okinawa)の若者たちと意見交換した。センターにおいて、宮城秋乃氏、山城博治氏のインタビューを行った。
  • (3日)名護市安和桟橋・塩川港での土砂搬出に対する抵抗運動を西浦昭英氏の案内で取材。その後キャンプ・シュワブゲート前での座り込みに参加し、その後は抗議船「平和丸」(金井一船長)に乗せていただき、辺野古・大浦湾の海上における辺野古新基地建設への反対運動を取材した。安和では元名護市長の稲嶺進氏、ゲート前では高里鈴代氏など現場で抵抗運動に関わる人々に出会い取材した。辺野古のご自宅で島袋文子氏のインタビュー、民宿「てるや」で吉川秀樹氏のインタビューを行った。
  • (4日)基地に起因するPFAS汚染問題を学び取材するために、照屋正史氏の案内で、金武のキャンプ・ハンセン、嘉手納基地、宜野湾の普天間第二小学校、大山、チュンナーガー(喜友名泉)を取材し、「宜野湾ちゅら水会」の新垣清涼氏、仲松典子氏らにお話をきいた。金武では仲間一町長に偶然会いお話を聞くこともできた。沖縄国際大学で前泊博盛氏、桜井国俊氏のインタビューを行った。
  • (5日)北中城村の「中村家住宅」にて、親川志奈子氏のインタビューを行った。午後は県庁で玉城デニー県知事のインタビューを行い、すべての行程は終了した。
ここには書ききれないたくさんの方々にお世話になった。

マーティン氏とプリスナー氏は滞在中にさっそくツイッターでこのように発信した。
「沖縄の抗議者たちは、現在、手つかずの海の生息地を破壊している辺野古の米軍基地建設に使う土砂を運搬するトラックを阻止している。」

「海兵隊は出ていけ!沖縄の環境運動家たちは辺野古米軍基地建設のための船舶を遅らせようとしている」

ドキュメンタリー映画は来年の公開を目指すという。どのような公開方法で、沖縄や日本の人たちはどうしたら観られるのか、決まったら Empire Files 「エンパイア・ファイルズ」で発表されるということなので期待したいと思う。@PeacePhilosophy 

辺野古抗議船で説明を受けるアビー・マーティン氏



Tuesday, August 30, 2022

解放出版社新刊『私の沖縄問題』(2022年7月)Watashi no Okinawa mondai: a new publication by Kaiho Shuppansha

部落解放・人権研究所の機関誌、月刊『ヒューマンライツ』のお誘いで「私の沖縄問題」という寄稿シリーズの一環として1月号に「社会運動の性暴力に声をあげる」という記事を寄稿させていただきました。今回、このシリーズが本になったということでここに紹介させていただきます。

「沖縄問題」という表現には、沖縄に問題があるわけではないので、問題があると思いますが、この出版の趣旨は解放出版社HPによると「過去半世紀にわたって沖縄に押しつけられた問題は、本土の問題である。本土が変わらない限り問題は解決しない。沖縄に押しつけてきた問題とはなにか、戦争と差別に反対をし、平和と人権を守るため被害、加害の両側から考える。」ということのようです。筆者の顔ぶれ(下記)を見ると、琉球・沖縄にルーツを持つ人もたくさんいて、一読者としてもひとつひとつを大切に読んで受けとめたい文集であると感じます。@PeacePhilosophy 乗松聡子


 発刊にあたり 谷口真由美

「誰を危険にさらすのか」という残酷な問い 明 真南斗
言葉の危機 沖縄の最前線とわたしたち 斉加尚代
私の沖縄問題 日本の問題として 岸 政彦
沖縄の「外部」から来た記録者として 藤井誠二
沖縄の内部にある溝 仲村清司
沖縄と対峙するための流儀 打越正行
日本にとって沖縄とは何か 基地問題から民主主義、人権、自由の問題へ 元山仁士郎
学校の役割 珊瑚舎スコーレ夜間中学校「海プロジェクト」から考える 星野人史
「牢屋」が語る沖縄の過去・現在・未来 高橋年男
人権は生活の中に 沖縄で暮らして 早坂佳之
チィーム緑ヶ丘1207の取り組みについて 知念涼子
マイノリティの自分、重なる沖縄 徳森りま
「県民投票」というボールはどこにいったのか 金城 馨
琉球新報の「ファクトチェック報道」から思うこと 島 洋子
闘いの先頭に立ち続ける女性たち 糸数慶子
未来への課題 植民地からの脱却と、自決権の獲得 金城 實
「借金コンクリート」 知念 歩
いまなお続く戦後処理 普久原朝充
普天間の子どもたちの言葉 森 雅寛
子どもの移動に考える沖縄問題 平良斗星
本土出身者として沖縄に向き合う 阿部 藹
平和行進のない沖縄 慶田城七瀬
沖縄が日本の「異世界」になった日 大城尚子
在沖ヤマトンチューという身体性と沖縄のハンセン病問題 辻 央
とにかく反骨精神だけは失わずにいたいです 下地久美子
宜野湾市「男女平等及び多様性尊重条例案」の否決 砂川秀樹
ともに生きる世界をつくること 平野智之
沖縄戦に動員された朝鮮人 沖本富貴子
沖縄と子どもの貧困 金城隆一
さまざまな視点を知り得る場所 書店としての役割 森本浩平
安全な水を求めて理不尽さに声をあげる 尾川えりか
「JIWA-JIWA」の設立と活動に込めた思い 任意団体JIWA-JIWA
社会運動における性暴力に声をあげる 乗松聡子
私たちは何故「遺骨土砂問題」について考えるべきなのか? 西尾慧吾

おわりに 谷川雅彦

Thursday, August 11, 2022

Canada joins U.S. in militarizing the Pacific 米国の太平洋軍事化に参加するカナダ

 ここ一ヶ月ほど、身辺にコロナ旋風が吹き荒れて、まったくブログを更新できない日々が続いていました。7月は、尊敬するカナダの地元の仲間、ビクトリア大学名誉教授ジョン・プライス氏と共著で以下の3部作の記事を、カナダの媒体 Georgia Straight に出しました(同時にCanadian Dimension にも掲載)。リンクを記しておきます。

Here are three-part articles that I published with John Price, Professor Emeritus of the University of Victoria, on Georgia Straight and Canadian Dimension

John Price and Satoko Oka Norimatsu: Canada joins U.S. in militarizing the Pacific

ジョン・プライス&サトコ・オカ・ノリマツ「米国の太平洋軍事化に参加するカナダ」

Part 1: Canadian Armed Forces exacerbate Pacific tensions 太平洋の緊張を高めるカナダ軍

https://www.straight.com/news/john-price-and-satoko-oka-norimatsu-canada-joins-us-in-militarizing-pacific-first-of-a-three

Part 2: Canadian Armed Forces impinge on Okinawa 沖縄を侵害するカナダ軍

https://www.straight.com/news/john-price-and-satoko-oka-norimatsu-canadian-armed-forces-impinge-on-okinawa

Part 3: Pacific Peace Network challenges RIMPAC リムパックに挑む太平洋平和ネットワーク

https://www.straight.com/news/john-price-and-satoko-oka-norimatsu-pacific-peace-network-challenges-rimpac


塩川港で辺野古埋め立てのための土砂搬出を阻止しようとする人々
Protesters trying to stop the transportation of earth and gravel for the Henoko base construction, at Shiokawa Port. (Feb 3, 2020)