この手紙の英語版は、英字紙 The Japan Times に2月5日に掲載されました。オバマ大統領に広島に来ることを求めながら、ただ来るのではなく、原爆投下の犯罪性を求め、謝罪するという勇気ある行為を求めています。@PeacePhilosophy
U.S. and Japanese apologies for war crimes could pave way for nuclear disarmament
アメリカ合衆国大統領
バラク・オバマ様
拝啓
突然お手紙を差し上げます失礼を、なにとぞご海容のほどお願い申しあげます。
この手紙は、広島市を中心に活動する8つの団体 -「第九条の会ヒロシマ」、「日本軍『慰安婦』問題解決ひろしまネットワーク」、「ピースリンク広島・呉・岩国」、「東北アジア情報センター」、「韓国の原爆被害者を救援する市民の会広島支部」、「8.6ヒロシマ平和へのつどい実行委員会」、「教科書問題を考える市民ネットワーク・ひろしま」、「広島YWCA 」(順不同) - の共同の請願書として大統領閣下に提出させていただきます。なお、これらの8団体は、いずれもいかなる政党や政治団体にも属さない、市民の草の根活動の組織であることをご承知ください。
昨年12月10日、キャロライン・ケネディ駐日アメリカ大使が長崎を訪問され、原爆資料館や平和公園を見学されただけではなく、被爆者とも懇談された後、「可能な限り被爆者の活動を支援していきたい」、「オバマ大統領も核軍縮の目的に尽力しています」と述べられたとメディアは伝えております。私たちも大統領のご尽力には注目しております。さらに12月16日には松井広島市長と田上長崎市長がそろって同大使を訪れ、2014年8月の広島・長崎での原爆投下記念式典に大統領と大使の御両名が出席されるように、との要請を口頭で行いました。これに続き12月26日、両市長は、大統領へ書面で同じ要請をアメリカ大使館に提出したと報道されています。
私たち広島市民も、オバマ大統領とケネディ駐日大使が両都市での記念式典に参加されることを強く願ってやみません。しかし、御両名の広島・長崎訪問にあたっては、1945年8月のアメリカによる原爆投下が明らかに市民への無差別大量虐殺という「人道に対する罪」であったことを率直に認められ、その被害者に対する謝罪を大統領にしていただくことを強く要望いたします。なぜなら、原爆投下に対する米国の謝罪が、核兵器廃絶を達成するためには不可欠であると私たちは確信するからです。
その理由については、少し長くなりますが、関連の歴史を顧みることで詳しくご説明させていただくことをお許しください。
1945年8月6日、広島への原爆攻撃の16時間後、トルーマン大統領はアメリカ国民向け声明ラジオ放送で次のように述べました。
世界は、最初の原爆が軍事基地である広島に投下されたことに注目するであろう。それは、われわれがこの最初の攻撃において、民間人の殺戮をできるだけ避けたかったからである。もし日本が降伏しないならば、……不幸にして、多数の民間人の生命が失われるであろう。
原爆を獲得したので、われわれはそれを使用した。われわれは、真珠湾において無警告でわれわれを攻撃した者たち、アメリカの捕虜を餓死させ、殴打し、処刑した者たちに対して、戦争の国際法に従うすべての虚飾をもかなぐり捨てたものたちに対して、原子爆弾を使用した。(強調:引用者)
ここでトルーマン大統領は、原爆によって一瞬にして推定7万から8万人の市民を無差別殺戮した犯罪行為を、「民間人殺戮をできるだけ避けるため」というあまりにも皮肉な口実で、正当化しています。ご存知のように、米国では、この原爆攻撃正当化論が戦後ますます誇張され、原爆が使われていなければ戦争は終結していなかったかのような神話が作り上げられ、その神話が今も大多数の米国民の意識の中に深く根をおろしています。原爆攻撃のもう一つの理由として、日本軍が犯したさまざまな戦争犯罪に対する報復攻撃であったことをトルーマン大統領は説明したわけです。もちろん、日本軍が様々な戦争犯罪を犯したことは事実ですが、自分が命令した原爆投下自体も、人類史上最も残虐な戦争犯罪の一つであるという自覚が、ここでは完全に欠落しています。敵が戦争犯罪を犯したから自分たちも報復措置として戦争犯罪を犯すことが許される、ということがあってはなりません。
アメリカ政府はアジア太平洋戦争終結以来ずっと上記のような正当化を主張し続けています。しかしながら、広島・長崎への原爆投下が戦争終結のための決定的要因でなかったという歴史的事実は、様々な研究者によってすでに証明されています。アメリカ政府のこうした主張は原爆投下正当化のために作られた神話であり、日本政府もまた、後述いたしますように、自己目的のためにこの正当化論を暗黙のうちに支持しているわけです。しかし、米国政府が主張し続けている「戦争を終わらせるために原爆投下は必要であった」という、事実とは全く異なる見解=言い訳がたとえ正しかったとしても、原爆投下による「無差別大量虐殺」という「犯罪性」そのものが否定されるわけでは決してないことを私たちは明確に確認しておく必要があります。原爆投下の是非をめぐる議論は、いつも、それが必要であったかなかったかといった「歴史的状況判断論」にばかり集中する傾向がありますが、そのことによって原爆投下に関する議論の本質であるべき「犯罪性」の問題が実はぼやかされてしまうということも私たちは同時に強く注意しておくべきです。つまり、「状況判断論」で、「犯罪性」の問題がごまかされないようにしなくてはなりません。
日本は15年にわたってアジアで侵略戦争をおこない、敗戦が誰の目にも明らかになった段階でも降伏することを拒否し続けました。したがって、日本政府にもまた、とくにその国家元首であった昭和天皇には、米国同様に、広島・長崎原爆投下によって多くの人たちが殺傷されたことに対する法的・倫理的責任があると私たちは考えます。当時、日本の植民地であった朝鮮、台湾、それに日本軍に占領されていた中国や東南アジアから広島・長崎に強制労働のために連れてこられた多くの人たちの中からも数多くの犠牲者が出ました。日本政府は、明らかに、これらの人たちに、法的責任がなかったとしても倫理的責任はあるはずです。
日本政府は、長崎原爆投下直後の1945年8月9日、米国に対する抗議文を、スイス政府を通じて外務大臣東郷茂徳の名において送りました。この抗議文の中で日本政府は以下のように述べました。
聊々交戦者は害敵手段の選択につき無制限の権利を有するものに非ざること及び不必要の苦痛を与ふべき兵器、投射物其他の物質を使用すべからざることは戦時 国際法の根本原則にして、それぞれ陸戦の法規慣例に関する条約付属書,陸戦の法規慣例に関する規則第二十二条、及び第二十三条(ホ)号に明定せらるるところなり.
抗議文はさらに,米国を以下のように厳しく非難しています。
米国が今回使用したる本件爆弾は、その性能の無差別かつ惨虐性において従来 かかる性能を有するが故に使用を禁止せられをる毒ガスその他の兵器を遥かに凌駕しをれり、米国は国際法および人道の根本原則を無視して、すでに広範囲にわたり帝国の諸都市に対して無差別爆撃を実施し来り多数の老幼婦女子を殺傷し神社仏閣学校病院一般民衆などを倒壊または焼失せしめたり。而していまや新奇にして、かつ従来のいかなる兵器、投射物にも比し得ざる無差別性惨虐性を有する本件爆弾を使用せるは人類文化に対する新たなる罪悪なり。
この抗議文の起案者が国際法を熟知していたであろうことは疑いありません。広島・長崎への原爆攻撃のみならず、他の都市への空襲も、国際法(ハーグ条約)違法であるという鋭く厳しい無差別大量殺戮糾弾となっています。しかし、これが、日本政府が原爆投下に関して出した最初で最後の抗議文でした。
1945年8月15日、終戦の詔勅にて天皇裕仁は次のように述べました。
敵ハ新ニ残虐ナル爆弾ヲ使用シテ頻ニ無辜ヲ殺傷シ惨害ノ及フ所真ニ測ルヘカラサルニ至ル而モ尚交戦ヲ継続セムカ終ニ我カ民族ノ滅亡ヲ招来ス ルノミナラス延テ人類ノ文明ヲモ破却スヘシ斯ノ如クムハ朕何ヲ以テカ億兆ノ赤子ヲ保シ皇祖皇宗ノ神霊ニ謝セムヤ是レ朕カ帝国政 府ヲシテ共同宣言ニ応セシムルニ至レル所以ナリ……
朕ハ帝国ト共ニ終始東亜ノ解放ニ協力セル諸盟邦ニ対シ遺憾ノ意ヲ表セサルヲ得ス
つまり、原爆という恐るべき残虐な兵器が開発された今、戦争を継続するならば日本民族の滅亡を招くだけでなく、人類の文明をも破滅しかねない。よって無条件降伏を受諾する。日本と共に「終始東アジア諸国の解放に協力してくれた同盟諸国」に対しては遺憾の意を表せざるを得ないと述べたわけです。しかしこの詔勅の要旨は、原爆投下だけを降伏決定要因とし、アジア太平洋各地で日本軍が犯した戦争犯罪やアジア各地で起きていた抗日闘争を徹底的に無視するどころか、戦争は「アジア解放」のためであったとの自己正当化のための「原爆被害利用」のなにものでもありませんでした。かくして終戦の詔勅は、「非人道的な原爆のゆえに降伏せざるをえなかった」という神話を国民に信じさせ、戦争犠牲者意識だけを煽ることによって、天皇自身をはじめとする戦争指導者の戦争責任はもちろん、日本国民がアジア太平洋のさまざまな人たちに対して負っている責任をも隠蔽する手段の一つに「原爆投下」を利用したのです。トルーマン大統領が、戦争終結を早め「多数の民間人の生命を救うため」に原爆を投下したと述べて、アメリカ政府が犯した重大な戦争犯罪の責任をごまかす神話を作り上げたと同様に、日本政府もまた原爆投下を政治的に利用して、自国の戦争責任を隠蔽しました。
1945年8月16日に天皇から新内閣の組閣を命じられた東久邇宮(ひがしくにのみや)は、戦時中の日本の最大の欠点は「科学技術」を軽視したことであると述べ、自国の敗北の原因を敵国の最新科学技術=原爆に求めました。新内閣の文部大臣に就任した前田多門も、就任直後の記者会見で「われらは敵の科学に敗れた。この事実は広島市に投下された1個の原子爆弾によって証明される」(強調:引用者)のであり、「科学の振興こそ今後の国民に課せられた重要な課題である」と述べました。かくして、戦後の新内閣もまた、自国がアジア太平洋各地で15年にわたって犯したさまざまな戦争犯罪も米国の戦争犯罪も全く眼中になく、「科学技術」という狭い技術的要因にのみ敗戦の理由を求め、「原子力平和利用」を含む科学技術振興に向けての下地を作ることに熱意を燃やしました。
1955年、広島・長崎の被爆者5名が日本政府に対して被害補償を求めて提訴した「原爆裁判」(いわゆる「下田裁判」)による被告=日本政府の答弁において、日本政府は次のように主張しました。
原子爆弾の使用は日本の降伏を早め、戦争を継続することによって生ずる交戦国双方の人命殺傷を防止する結果をもたらした。かような事情を客観的にみれば、広島長崎両市に対する原子爆弾投下が国際法違反であるかどうかは、何人も結論を下し難い。のみならず、その後も核兵器使用禁止の国際協約はまだ成立するに至っていないから、戦時害敵手段としての原子爆弾使用の是非については、にわかに断定することはできないと考える。…… 国際法上交戦国は中世以来、時代に即した国際慣習及び条約によって一定の制約をうけつつも、戦争という特殊目的達成のため、害敵手段選択の自由を原則として認められてきた。
かくして日本政府は、「下田裁判」では、その10年前の原爆投下に対する抗議文で展開した判断を180度転換して、基本的にはアメリカ側の原爆投下正当化論を受け入れる主張を行いました。それどころか、戦争に勝利するためには、いかなる方法を使うことも、ほとんどの場合、許されるという主張で、米国の原爆による無差別殺傷を全面的に肯定したのです。ちなみに、下田裁判の判決では、広島・長崎の原爆投下が当時の国際法に明確に違反する犯罪行為であることがはっきりと認められました。なお、私たち広島市民は2006年から2007年にかけて「原爆投下を裁く国際民衆法廷・広島」を開廷し、原爆投下の犯罪性を審理しました。その裁判結果も原爆投下が当時の国際法に明らかに違反する戦争犯罪であったと明確に判断しています。ご参考までに、その判決文を同封させていただきます。(なお、裁判の詳細は http://www.k3.dion.ne.jp/~a-bomb/indexen.htm をご参照下さい。)
長年にわたって日本政府が原爆被爆者救済政策に極めて後ろ向きであった理由の一つは、アメリカの戦後の核兵器による世界支配をそのまま受け入れ、アメリカの核抑止力に依存するという、日本の政策そのものにありました。しかも、放射能被害に関する医学的調査については、内部被曝を全く無視したアメリカのABCC(原爆傷害調査委員会)が作り出した被曝許容量をそのまま受け入れ、放射能汚染の深刻さをはなはだしく軽視してきました。それが福島原発事故による放射能被曝と汚染の深刻さの軽視、ひいては原発事故に関して政府、政治家が負うべき国民に対する「政治責任」という認識の驚くべき欠落も産み出してきたのです。
今また、安倍晋三首相や橋下徹大阪市長といった政治家たちが、日本の「侵略戦争」、「『慰安婦』問題」その他の戦争責任問題で、そのような歴史的事実があったことすら否定し、「朝鮮人被爆者」に対する差別的対応をとることで自国の戦争責任を否定しようとやっきになっています。さらに安倍首相は、昨年12月26日には、東条英機など東京裁判でA級戦争犯罪人として判決を受け処刑された軍人を神として崇める靖国神社に参拝するという、憲法違反行為をあからさまに行いました。こうした日本の政治家たちの言動が中国や韓国の国民ならびに政治家の強い怒りを呼び起こす原因となっていることについては、あらためて言及する必要もないかと思います。このような無責任国家がなぜ産まれたのでしょうか。
この原因は、前述した「原爆殺戮の被害」を「自己の戦争犯罪」の隠蔽のために利用したという「終戦の詔勅」に起源すると私たちは考えます。「原爆殺戮の被害」を政治的に利用しているため、その根本問題である「人道に対する罪」の責任追及をせず、あいまいな形のままにしておく。一方、隠蔽し続ける「自己の戦争犯罪」に対する責任は、当然問わない。したがって、加害と被害の両方の責任問題についてうやむやなままにし続けるのです。
つまり、自分たちが他者=アジア人に対して犯したさまざまな残虐行為の犯罪性とそれに対する自己責任を明確にかつ徹底的に認識しないからこそ、他者=アメリカが自分たちに対して犯した同種の犯罪がもつ重要性も認識できない。他者=アメリカが自分たちに対して犯した残虐行為の犯罪性とその責任を徹底的に追及しないからこそ、自分たちが犯した犯罪の被害者=さまざまなアジア人の痛みとそれに対する責任の重大性にも想いが及ばない、という悪循環を多くの日本人が繰り返しています。その一方で、政府は、基本的には政府が責任を負うべきさまざまな政治社会問題で、国民の「自己責任」ということをますます強調することで「責任逃れ」を行っています。
長くなりましたが、結論に入らせていただきます。ケネディ駐日大使は長崎訪問の折に、「オバマ大統領も核軍縮の目的に尽力しています」と述べられたとメディアが伝えております。核兵器を廃絶するためには、はじめに、人類史最初の核兵器使用であった広島・長崎への原爆投下が「人道に対する罪」であったことを明確に認識することが必要不可欠であると私たちは強く信じます。これまで70年ちかく核兵器が廃絶されるどころか拡散してきた重大な理由の一つは、原爆投下の「犯罪性」が明確にされるどころかうやむやにされてきたこと、特にその犯罪を犯したアメリカがその責任をうやむやにしてきたことにあると私たちは考えます。
ノーベル平和賞の受賞者である大統領が広島・長崎を訪問され、勇気を持って自国の「犯罪行為」を認められ、被害者に謝罪されることは、核廃絶の道を確固たるものにするための重要でかつ必要な一歩であると私たちは考えます。アメリカ大統領が、広島・長崎への原爆投下の「犯罪性」を明確に認め、被害者に正式に謝罪するということがいかに政治的に困難なことであるかは、私たちも重々承知しております。しかしそれだからこそ、「チェンジ(変革)」を唱えてなられた大統領が、在職中に勇気をもってこれを行われることは、核兵器をめぐる現在の世界状況を根本的に変えるための、歴史的に画期的な一歩となると私たちは確信いたします。
それだけではなく、すでに詳しく説明しましたように、そのことによって、日本政府もまた、私たちがアジア太平洋戦争期に犯したアジア諸国の人々への様々な残虐行為を明確に「犯罪」と認め謝罪することを迫られるのです。ご承知のように、「慰安婦」問題や「強制連行」問題では日本はいまだに責任拒否を続けており、韓国や中国との関係で摩擦を起こし続け、東北アジアに不安定をもたらす大きな要因の一つとなっています。アメリカ政府による原爆投下責任の自認と謝罪が、日本政府にアジアに対する戦争責任をはっきりと取ることを迫り、ひいてはアジア全域の平和構築にも大きく寄与することになると私たちは信じます。
なお、「責任」は、単に言葉や文章で被害者に「謝罪」したり「賠償金」を支払ったりすることだけで果たせるものではないと私たちは考えます。「責任」をとるとは、再び自分が同じような加害行為を繰り返さないようにすると同時に、他者も同じような犯罪行為をおかさないよう、その防止に永続的に努力することで、はじめて果たせるものだと思います。したがって、「責任をとる」とは一時的な行為ではなく、永続的な自己努力の行為です。そうした行為を通して、はじめて加害者は被害者から人間としての信頼を得ることができるようになり、ひいては人間的尊厳を獲得することができると私たちは確信します。日本の平和憲法は、私たち国民がアジア太平洋戦争期に犯した大きな過ちに対して永続的な責任をとっていく決意と覚悟を明確に表明したものであり、これを改悪することはその責任の放棄です。したがって、現在、安倍政権が着々とすすめている憲法改悪の計画は、戦争責任を放棄する意思を表明するものと私たちは考えています。
最後までこの手紙にお目通しをいただきありがとうございました。オバマ大統領ならびにケネディ駐日大使御両名のますますのご活躍とご健勝をお祈り申し上げます。
今年一年が、大統領御家族にとり祝福の多い年となりますようお祈り申し上げます。
2014年1月28日
下記諸団体代表者一同(順不同)
*「第九条の会ヒロシマ」
734-0015 広島市南区宇品御幸1-9-26-413
730-0036広島市中区袋町6-36 広島市まちづくり市民交流プラザ気付mb132
737-0028 呉市幸町3-1 呉YWCA気付
*「東北アジア情報センター」
731-5128 広島市佐伯区五日市中央4-14-1-205 横原由紀夫方
736-0081 広島市安芸区船越2-35-4豊永恵三郎方
733-0022広島市西区天満町13-1-810
738-0027 広島県廿日市市平良山手7-16
732-0053広島市東区若草町6-7 広島主城教会気付
(注記:実際にオバマ大統領宛に送られる手紙は英語によるものであり、これはその日本語版です。)
代表者
連絡先:田中利幸(Email:tanaka-t@peace.hiroshima-cu.ac.jp)