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Sunday, April 29, 2007

(Japanese) 松井茂記先生による憲法講演

This is a report in Japanese of April 12th lecture by UBC Law Professor Dr. Shigenori Matsui held at Nikkei Heritage Centre. See here for the past report of his lecture in English, held at UBC by BAYT or Bringing Asian Youths Together.





すっかりご無沙汰してしまいました。3,4月はイベント続きで、なかなか座って振り返ったり報告を書く暇がありませんでした。長雨の後晴れ上がった週末、やっと本当に春が訪れたかという気持ちです。しかし昨日はすでに街には上半身裸の人たちも歩いていました。バンクーバーでは冬から夏にいきなり直行し、「春」はあったのかな?と思う年が多いですね。




4月12日、日系ヘリテージセンターで、UBC(ブリティッシュコロンビア大学)法学部松井茂記教授 Dr. Shigenori Matsui による日本語講演「日本国憲法 - 改憲は必要か」を行いました。40人ほどの参加者は熱心に耳を傾け、講演後の質疑応答も、九条問題を中心に活発になされました。





多岐に渡る論点を網羅することは難しいですが、主な点を要約します。自分が以前に松井先生から聞いたこと、先生の著書から得た知識などが混ざる可能性があり、「講演でこんな話は聞かなかった」という点も出てくると思います。また、これは松井先生の論点や憲法を巡る議論の私なりの解釈と要約であり、正確でない記述や誤った認識が含まれている可能性があることをご了承いただき、また指摘していただければ幸いです。








  • 日本国憲法には改正の限界がある:これ以上変えてはいけないという限界があるという理解が学会では一般的である。その限界として、国民主権がある。主権者は憲法を改正する権利があるが、主権の所在の変更、すなわち、憲法制定権の所在を変更することはできない。現行の日本国憲法は、明治憲法の改正という形式を取ったが、主権の所在が変更している。なのでこれは単なる憲法改正ではなく、革命であったという説(八月革命説)がある。日本がポツダム宣言を受諾したことにより、天皇から国民への主権交代を受け入れ、事実上の革命を起こしたという見方である。


  • 憲法改正の必要性として一般的に挙げられている論点をいくつか検証した。

  • まずは、日本国憲法は押し付けられた憲法 - 占領下にできた憲法なので「自主憲法」を作るべきだという考え方がある。しかし、ポツダム宣言を受け入れたということは新憲法を受け入れたということである。占領下にできた憲法だからといって自主的な憲法でなかったということはないのだ。当初憲法改正は日本政府に主導権が与えられていた。幣原内閣は松本烝治国務大臣を主任として「憲法問題調査委員会」を発足させる。しかしその委員会が作成した憲法草案は、基本的には明治憲法と変わらず、天皇の統治権は維持するという保守的なものであった。この草案が毎日新聞にスクープされたことを受け、総司令部は日本の新憲法のモデルとなる草案を日本側に提示する。この総司令部案には、日本の法律家や民主的思想家が中心となって作った民間憲法草案が反映されていた。そして約半年間の国会での審議、いくつかの修正も行った上で可決されたのである。以上の点からして、現行憲法を押し付けとは呼べないことは明らかである。

  • 上記の点から、日本国憲法は国民を代表する議会が審議して可決したものなので民主的な方法で「押し付け」ではなく決まったと言えるが、やはり政府主導のプロセスであった。「国民憲法制定会議」といった、国民主導で草案を作るプロセスがあったら望ましかったし、日本政府はそういう機会を日本政府から奪ったと言える。

  • 戦後60年間の間に一度も改正されたことがない、時代遅れであるという議論がある。単純に、「改正されたことがない」というのは改正の理由にならない。憲法は何十年、何百年も続く法律であり、時代を超えた一般的な原理を定めるものである。時代遅れかどうかという問いについては、個別の条項を検討する必要があり、憲法全体が時代遅れかどうかということを問うことに意味はない。同様に、改憲が必要かそうでないかという議論は、ここの条項がなぜ変える必要があるか、どのように変える必要があるかという議論なしでは意味を持たない。

  • 日本国憲法の文言が麗しくないという意見もあるが、憲法は法律文書であるので、美しい文章である必要はない。言葉づかいの文学的評価が改正の理由にはならない。

  • 憲法は国のあり方、国柄を定めるべきだという意見があるが、憲法は国柄を定める文書ではない。そのときの多数者が思う「国はこうあるべきだ」という視点を憲法に盛り込むのは危険である。どのような国のあり方がいいのかというのは人によって意見が違う。憲法は、このような多様な意見を持つ人が一緒にやっていけるための手続き文書なのである。

  • 改正が求められている個々の条例についてだが、たとえば新しい人権 - 環境権、プライヴァシー権を明記すべきだという主張がある。しかし環境を享受する権利を憲法で保障できるかは疑問である。現行13条で、プライヴァシーの権利は既に認められているので、憲法改正の必要性はない。首相公選制については、国会議員の選挙を通して国民が首相を選出しているので、憲法を改正する必要があるかは疑問である。

  • 憲法9条についてだが、自衛のために必要最小限の実力の保持は憲法9条に反しないとの政府の解釈がある。国連の定める平和維持活動(PKO)に参加するのも憲法9条の解釈内で可能であるという政府の見方である。現行9条の解釈で自衛隊の存在とPKOへの参加が認められているのだから、自衛隊の存在とPKO参加が論点である限り9条改正の必要はない。しかし集団的自衛権については現行九条の解釈では行使できないという見方が一般的である。この集団的自衛権 - 同盟国米国が日本国外で攻撃を受けたときに反撃できる権利 - の行使を認めるかどうかが、9条改正をする必要があるかどうかの論議の焦点となっている。


このイベントに準備するため松井先生の著書を読んでいたとき、徴兵についての記述が目に入りました。カナダと日本の二重国籍を持つ子どもの母親としては自然に目がひきつけられました。現在日本国民を徴兵から守っているのは、戦争を放棄した9条と、強制労働や奴隷的拘束を禁じた18条であるという一般的理解であるということです。後日先生と話したときにこのことを聞いてみました。9条が変えられたら、18条だけで国民を徴兵から守ることができるかと。先生の答えは、それは必ずしもそうではないとのことでした。やはり今の9条がないよりはある方がより徴兵制度が復活する可能j性は低いと解釈しています。

松井先生は昨年(2006年)11月に、UBC日本研究センターで英語にて今回のような内容の講演をされました。後日質問をしたときに、「憲法は日本の国柄を定める文書ではない」ということを聞きました。「国のあり方などは人によって捕らえ方が違うのであって、そういった違いがありながらも一緒にやっていけるための手続き的な文書なのだ」ということを聞いて、私は目からうろこが落ちるような思いをしました。日本の「伝統」とか「愛国心」を主張する人たちだけではなく、私自身も、憲法に対して、戦争放棄した平和国家であるという「国柄」の定義を求めていたことに気づいたのです。それが誤っていたと思ったとかそういうことではなく、自分の考えも絶対的価値観ではなく、多々ある価値観の一つであったという相対化が行われたのです。これは、多文化主義を育ててきている国、カナダで12年間暮らしてきた自分にとってもすんなり腹に落ちる見方でした。この考え方を聞いて、松井先生の講演をもう一度日本語でお願いしてもっと多くの人に聞いてもらいたいという気持ちになったのです。

実際は4月12日の講演に対する質疑応答は憲法のあり方についての話よりも、やはり九条に焦点が当たったものになりました。もちろんそれはそれでよかったと思います。

最後に、松井先生も指摘されていた、日本国憲法の総司令部による草案は日本のリベラルな思想家や憲法学者による民間草案がかなり参考にされていたという事実をドキュメントしたテレビ番組があります。NHK ETVで2月10日に放映された「焼け跡から生まれた憲法草案」という番組で、これを録画したビデオを先日関心のある人たちと共に鑑賞しました。関心のある方はご連絡下さい。

質疑応答や寄せられた感想はこの投稿への「コメント」としてこれから追加していきます。

この場を借りて、お忙しい中市民のために講座を開いてくださった松井茂記先生に心より感謝の意を表したいと思います。

松井先生の経歴や研究、著書については先生のウェブサイトで見ることができます。

文責 乗松聡子

Sunday, April 15, 2007

Celebration of the 50 th Anniversary of Lester B. Pearson's Nobel Peace Prize

Vision for Peace: Facing the Challenge

- An event celebrating the 50thanniversary of Lester B. Pearson's Nobel Peace Prize

Thursday, May 3, 2007

A message from the UNAC and CIIA

On Thursday, May 3, the Vancouver branches of the United Nations Association in Canada and the Canadian Institute of International Affairs will co-host Vision for Peace, an event celebrating the 50th anniversary of Lester B. Pearson's Nobel Peace Prize.

The event will begin with a symposium featuring three guest speakers,which will be followed by a reception and dinner.

You are encouraged to join us to celebrate Lester B. Pearson's vision and legacy.

SYMPOSIUM -- 3pm - 6pm

When Lester B. Pearson was awarded the Nobel Peace Prize in 1957, it marked a coming of age of Canadian foreign policy. Pearson's concept for a U.N. peacekeeping force ended a major crisis focusing on control of the Suez Cannel. Since that time peacekeeping and peacekeepers have been closely associated with Canada.

The symposium will look back at peacekeeping in the 1950s and track its development over the intervening years up to today. To present the broader picture, we have Professor Allen Sens of the Political Science Department at UBC. The problems of peacekeepers on the ground, including the relationship with U.N. headquarters in N.Y., will be discussed by General (Ret'd) Guy Tousignant, who was appointed in 1994 the ForceCommander and Assistant Secretary-General for the United Nations Assistance Mission for Rwanda. Finally, to present the modern development that grew out of peacekeeping and in particular the concept of peacebuilding, we have Alana Tiemessen, a doctoral candidate in the Political Science Department at UBC.

This symposium will be moderated by Professor Maurice Copithorne of the UBC Law School.

DINNER -- 7pm

Allan McGill will give his personal reminiscences, "Pearson's Performance: Recollections of a Supporting Player." McGill is a retired Canadian ambassador who was personal assistant to Mr. Pearson when he was Secretary of State for External Affairs during the Suez crisis.

Event Details:

Plaza500 Hotel and Convention Centre
500 West 12th Avenue, Vancouver

Thursday, May 3, 2007

Symposium -- 3pm to 6pm
Reception -- 6pm to 7pm
Dinner -- 7pm

For tickets or information, contact:
778.855.5344 ormailto:orinfo@peacephilosophy.com

Symposium - $15
Dinner - $50
Symposium/dinner - $55

RSVP by April 29

Presented by:
The Vancouver branches of the United Nations Association in Canada

and

Canadian Institute of International Affairs

Partners:
Community Partners for Internationalization (UBC)
UBC International Relations Students Association
Lester B. Pearson College of the Pacific
Peace Philosophy Centre

Monday, April 09, 2007

《难以忽视的真相》感想

This is a review of Al Gore's documentary 'An Inconvenient Truth' for Chinese speaking readers. Due to the rapid growth of Chinese economy, green-house gas pollution will become a big problem. We should be aware of that; moreover, we should not consciousnessly ignore this problem as it will cut down the GDP growth rate and bring invconvenience to everyone's life.
不是很明白为什么这部影片的中文标题被翻译成了《难以忽视的真相》,这个意思和戈尔先生在片中为大家敲响的警钟完全相反。这是一个大家都明白,但是很容易就被忽视,而且已经被有意识的忽视了的真相----全球变暖带来的危机已经迫在眉睫,如果我们不想我们这一代的后半生,还有我们的子孙后代们,遭到灭顶之灾的话,那就应当行动起来,从自己做起,减少温室气体排放量!

温室效应可能引发的灾难都已经是老生常谈----正如戈尔先生所讲,在街头随机抽取928人做的调查中,认为“温室效应不会带来负面影响”的人数是0----所以我也不想继续唐僧。诸如假如半个格陵兰和半个南极的冰川融化的话整个上海市,浙江省,江苏南部,天津,北京...都会被淹没这样的事实,就假设每个人都很清楚啦。
但是即便每个人都很清楚,这个事实还是很容易的,常常是有意识的被忽略了。我们不愿以牺牲经济成长来达到限制温室气体排放的目的;我们,每个人,不愿以牺牲工业文明带来的便利,而宁愿相信全球变暖的真相只是一个“不便的真相”,这才是现在主要的问题。戈尔先生在影片中展示的一个天平,倒是很形象地描绘了这个问题:一边是一堆金条,一边是地球,你要哪一边呢?

说到每个人的切身利益,你能够忍受公共交通的不便而尽量使用公共交通系统而不是私家车吗?
中国目前不是京都协定书限定的排放限定国家之一,人均碳排放量也只有美国的1/8。但是可以很确定的是随着我们的经济发展,我们的温室气体排放量将会很快上升。即便承认这个真相会给我们带来怎样的不便,那也是必须作的事情----这是为了我们的子孙后代。
我们拥有后发优势,而我也不认为经济发展和环境保护是对立的。技术的发展将带来这一问题的解决方案。而我们也可以从西方国家的发展中吸取经验,从而避免他们曾经犯过的错误。但首先我们需要意识到这个问题,或者说,不要因为它会给我们带来不便就忽略它。
 
不知道国内没有没有引进这一部片子。如果他还不算有名的话,那么在此向在中国的朋友郑重推荐Al Gore主演的纪录片《An Inconvenient Truth》。

(Japanese) 金英丸さんの講演「私たちがつくっていく東アジアの平和」に参加して by 菊野由美子

This is peace journalist Yumiko Kikuno's report of the April 2nd talk by Kim Yeonghwan. See here for the English report. For Kim Yeonghwan's profile, see here (scroll down).



講演会 「私たちがつくっていく東アジアの平和」に参加して

                          
   4月2日、日系センターに着くと、若々しい桜の花々にエスコートされるように、講演会場へと足を運びました。高知県にある平和資料館の事務局長をされ、東アジアの平和を育てるために数々の活動、研究、講演を精力的にこなされている韓国出身の金英丸(キム・ヨンファン)さんのお話は、平和活動に関わるときに、必ず抱えていた私の中のジレンマに希望の光を当ててくれました。


   金さんは、1997年に北海道の朱鞠内というところで、遺骨の発掘作業を行うために始めて来日されました。その遺骨というのは、戦時中、強制連行され、ダムや鉄道建設のために強制労働を強いられた末、栄養失調、事故、そして虐待などで亡くなられた方々の遺骨なのです。この発掘作業に参加したのは、韓国、日本、在日朝鮮人、アイヌの若者でした。50年以上もの間、たった50センチの土の下に埋められ沈黙するしかなかった犠牲者の遺骨は、発掘作業にあたった若者たちに多くを語りかけるのでした。日本の若者は加害の事実を知り、韓国の若者は日本人の被害者のことも知り、在日朝鮮人の若者は彼らのルーツに対面することになったのです。日本政府の解決されていない戦争責任に対する姿勢が、朝鮮半島分断の長い苦しみに大きく影響しているのだと、まさに教科書の歴史では知ることが出来なかった事実を学ぶのでした。金さんは、和解への過程には、まず知ること、そして違いを確認し、認め合うことが欠かせないと話しました。

   また、金さんが用意されたスライドで、発掘された遺骨や、お寺に保管されていた韓国人の位牌、発掘作業の状況などもくわしく知ることができました。この作業中は雨が多かったことから、それは犠牲者の涙の雨だろうと話されていたそうですが、私には、犠牲者の方々の「やっと見つけてくれてありがとう。」という嬉し涙が作業者の方たちに降り注いでいるように見えました。

   そして2002年4月からは、高知県の「平和記念館・草の家」を拠点に金さんの平和活動が本格的に始まりました。この平和資料館の特徴の一つは、原爆や空襲などの日本が受けた被害だけでなく、南京大虐殺、旧日本軍性奴隷などの日本が与えた加害にも目を向けていること。二つ目は、戦前から日本帝国主義に抵抗して犠牲になった人々の展示。最後は、現在世界で起こっている紛争に対しても運動を展開し、絶えず平和のメッセージを送り続けていることです。また、1997年から10年間、東アジア共同ワークショップを開催し続けています。日本人、韓国人、在日朝鮮人の参加者と共に、日本と韓国を行き来し、強制連行犠牲者の遺族や体験者の話を聞いたり、旧日本軍性奴隷の犠牲者を尋ねています。また、在日朝鮮人の生活も調査、研究されています。

  講演会の参加者から、「あまり加害にばかり焦点を当てると、逆に日本の若者を平和活動から遠ざけることになりはしないか?」という質問がでました。それに対して金さんは、罪を認めることは恥ではないく、加害の事実を知るということは、相手を理解するということにつながり、事実に目をそむけては解決につながらない、と話しました。「悪いことをしたら、素直に謝りなさい。」と、誰もが小さいころに一度は親に叱られたことがあると思います。人は完璧ではありません。失敗や過ちを犯すことはあります。でも大事なことは、失敗や過ちを犯した後に、それを認め、そこから何かを学ぶという姿勢なのだと思いました。これは、若者よりも、大人がなかなか出来なくなってきていることのように思えました。

   さらに金さんは、韓国の米軍基地や、朝鮮半島分断の調査も行っています。今、日本では、明日にも北朝鮮が攻めてくるような報道がされていますが、実際に韓国内では、北朝鮮は攻撃する意志も軍事力も持っていないことは周知の事実なのです。正しい情報が交換され、交流が深まれば、東アジアに米軍基地は必要ではなくなると話されました。そして、朝鮮半島が統一されれば、九州から船で韓国へ渡り、そこから鉄道で北朝鮮を経てパリまで旅行できる時が来る、と話されるのを聞いて、飛行機嫌いで海外旅行をしたことがない父と一緒にパリまで行くことができる日が、そう遠くないうちに実現しそうな気がしてきました。

    金さんはこの10年間で多くの方たちに出会い、交流を深め、市民の連帯を築いてこられました。私もバンクーバーに来てから、韓国人、中国人の友達ができ、お互いの歴史を語り合うこともありました。そこでいつも抱えていたジレンマは、個人間の絆は、政府間の平和に発展できないものだろうか?というものでした。金さんは、政府に与えられた歴史を知識とするのではなく、個人の話を直接聞きに行き、質問をしたりして交流することを続けることが、国家間のナショナリズムを乗り越えることにつながると話されました。そのとき私は、以前、人間関係で悩んでいたときの、ある人のアドバイスを思い出しました。「相手を変えることはできないが、自分が変われば、自分を取り巻く周りの人が変わる。」私たちは、直接的に政府を変えることはできないかもしれないが、私たち一人一人の歴史認識に対する姿勢を変え、相手を理解しようと行動し、そして加害に目をそむけない態度を示し続ければ、政府は変わらざるおえなくなるでしょう。そんな希望を金さんは私に与えてくれました。

    講演を聞き終えたころ、外はすっかり暗くなっていました。でも、昼に見た桜の花が自ら光を放っているかのように、淡く、白くざわめいていました。そして、風に乗って、「自分が変わる・・・。」と桜たちにささやかれた気がしました。

菊野由美子
ピース・ジャーナリスト


    

Thursday, April 05, 2007

Peace in North East Asia That We Create Together by Kim Yeonghwan

The BAYT event - a talk by a Korean peace activist Kim Yeonghwan at UBC Asian Centre on Wednesday April 4th was a fabulous success, with a turnout of 25 participants from UBC and the community who truly reflected Vancouver's diversity - students from Korea, Japan, China, Canada, Singapore and others.

Kim started the event asking the participants how they saw themselves in relation to the WWII. It was probably a big question to many, but after a few moments of thought, one responded by saying how she felt caught between Singapore and Japan, both of which were home to her. Another student from Korea mentioned the relationship between the North/South division of Korea after the war and the compulsory military service for Korean men which he had done.

Kim helped us see the relationship between the past and the future - how the past war could be still alive in our present life. War is not over in hearts of many people, and many lands. Kim went on to show us photographs from "East Asia Collaborative Workshop," a 10-year old project in which people from Japan and Korea worked together to excavate the bones of the victims of forced labour during the war time, many of which are still buried in the remote soil of Hokkaido, a northern island of Japan.

Kim talked about 204 workers who died at one of the construction sites between 1938 and 1943, of which 36 were Koreans and 168 were Japanese. Some died from accidents at the dam construction site, and others from violence and malnutrition. Kim said the causes of the deaths reported by the authorities were not always reliable, as sometimes when a worker died from assault, it was reported that he died from malnutrition.

What was amazing to me is the fact that 200 young people of Korea and Japan chose to come all the way to Hokkaido at their own expense to do the hard work of digging bones. How do you motivate so many young people to do this when they can be partying elsewhere? I asked him. His answer was that meaningfulness of the work and the camaraderie that developed among the participants through this work were communicated by word of mouth and that way more and more young people were drawn to this project.

Kim cautioned against the over-simplified dichotomy of nation states being called "Assailants" and "Victims" For example, there were many Japanese, as described above, among the forced labour victims, and there were many Japanese dissents during the war who were sent to prison. Kim stresses that by getting to know each other and working together, we can overcome nationalism and prejudice. 'Does one still deny the comfort women after s/he meets a victim and hears her testimony? No, because through real human interaction, you know that you can trust her.'

Kim showed us a picture of a train station, Dorasan. It is a station at the north end of the South side of Korea of the railway built between Seoul and Pyongyang. The station was called "Not the last station from the South, but the first station to the North." The station was a symbol of hope for Korea's reunification. Once the railway is in operation, one can travel from South Korea all the way to Paris and London, Kim said. Wouldn't this be wonderful? On Monday at Nikkei Centre, he also mentioned that Hakata and Pusan are so close that a tunnel like Seikan tunnel would be possible - then Japan would not be an island state any more. I found the idea fascinating. Then one can travel by train from Japan all the way to London!

Then what can we each do to make a bright future like this possible?

Kim said,

The first step: Knowing

The second step: Saying/Talking

The third step: Acting

He shared a great phrase in Japanese:

わかる & かわる 
meaning 'Know and Change- knowing something means changing yourself.' In Japanese, if you switch the first two letters of the word Wakaru, or to know, it becomes another word Kawaru, or to change.

I remember the moment of this kind of knowing when I was in high school. I read a book that described the Unit 731 - the notorious military unit of Japan that conducted inhuman chemical biological experiments on POWs in China. I, an ordinary high school student who had associated war with Hiroshima and Nagasaki up to then, was absolutely shocked. I did not even know what to think for a few days. When I finally talked to my friends about it, they didn't know what I was talking about and they didn't want to hear it. I guess it took me many years to move forward from the second step to the third step. Here I am, 20+ years later, finally acting.

Many thanks to Kim Yeonghwan for your informative and inspiring talk, and to Lim Sunsook for your assistance with the handout.

As usual, a big applause to the great teamwork of BAYT members!

Kim will be in Vancouver until April 26th. If you would like to arrange his talk for your community, please contact Peace Philosophy Centre info@peacephilosophy.com or BAYT bayt.ubc@gmail.com.

Thanks for all who participated! You will make a difference in this world.

With special thanks to Winnie Cheung who kindly provided the venue

Satoko
With love and determination for peace
Note:
A lecture on the Japanese Constitution by a UBC law professor Shigenori Matsui will be held in Japanese at Nikkei Centre on April 12 (Thu) 7-9 PM. See here for details.

Tuesday, April 03, 2007

Kim Yeonghwan's Talk at UBC on April 4th

Yesterday, Kim Yeonghwan gave us such an educational and inspiring talk on a broad range of topics such as his involvement with the 10-year old program of excavating the bones of Korean forced labourers in Hokkaido,negative campaign against North Korea and the damage it had done to the Korean communities in Japan, the Grassroots House or a peace museum in Kochi that Kim ran for 5 years, the US bases in Korea, and the railway built between Seoul and Pyongyang.

When Kim talked about the grassroots's campaign to promote the history textbook co-developed by a team of Koreans, Chinese, and Japanese, one of the participants asked, "Why isn't such an important move reported in the mainstream media?"

Yes this is why you need to come to Kim's talk.

Tomorrow he will give the same talk in English at UBC.

April 4th (Wed) 6:15 PM - 7:45 PM
Room 604 at UBC Asian Centre
Organized by BAYT Bringing Asian Youths Together

See UBC Campus Map
The Asian Centre is on the B-2 grid of the map. Expect to walk 10minutes or so from the bus depot. There is a Parkade right across theAsian Centre (Fraser River Parkade on the Map)

See details of the event here.

We hope to see many of you there!

Satoko