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Tuesday, May 30, 2017

「現代の特高警察」である公安が「現代の治安維持法」である共謀罪を手にしたらどうなるか―――「週刊金曜日」共謀罪特集転載

5月26日『週刊金曜日』の「共謀罪」特集は重要です。転載許可を得てここに掲載します。★週刊金曜日の許可なしでこれらの記事画像は使わないでください。この投稿リンクを拡散することで広めてください。

「共謀罪」は5月23日衆議院本会議で賛成多数により可決されてしまいました。この記事で成澤宗男氏が書くように、共謀罪がなくとも警察・公安は日常的に市民活動の監視を行っており、ここにリストアップされているような異常な弾圧行為を行ってきています。成澤氏によると公安とは戦前の特高警察をGHQが再組織してできた機関。「戦前に拷問や獄中の虐待で194人を殺害し1503人を獄中での病死に追いやった」という集団が温存されました。その公安が「治安維持法」と酷似する「共謀罪」を手にしたら、すでに行われているこのような違憲行為・不当弾圧がますます増えるでしょう。海渡雄一弁護士はいまからでも反対世論を盛り上げれば廃案の希望はあると言います。この投稿のリンクを拡散してください。http://peacephilosophy.blogspot.ca/2017/05/blog-post_30.html



★週刊金曜日の許可なしでこれらの記事画像を転送・転載したりしないでください。この記事の内容は、このページのリンクを拡散することで広めてください。

Saturday, May 27, 2017

「北朝鮮」を悪魔のように言う日本の人たち、この歴史を知っていますか:ブルース・カミングス「朝鮮半島の血塗られた歴史」Bruce Cumings: A Murderous History of Korea: a Japanese translation

米国や日本のメディアはもっぱら「北朝鮮」を悪者のように扱いますが、その見方は一方的とはいえないでしょうか?日本や米国は朝鮮半島で何をしてきたのでしょうか?なぜ、誰のせいで朝鮮半島は分断されたのでしょうか?朝鮮を植民地支配した日本の歴史的責任は何なのでしょうか?朝鮮半島の「核の脅威」とはそもそも誰の脅威なのでしょうか?私たち日本人は好戦的な政府と一緒にこの国の「脅威」ばかりをあげつらうのでいいのでしょうか?

シカゴ大学のブルース・カミングス教授による「ロンドン・レビュー・オブ・ブックス」の2017年5月18日の記事

A Murderous History of Korea
https://www.lrb.co.uk/v39/n10/bruce-cumings/a-murderous-history-of-korea

の日本語訳を紹介します。
★訳はアップ後修正することがあります。このまま転載せずに、リンクを広めてください。

朝鮮半島の血塗られた歴史

ブルース・カミングス
Bruce Cumings

翻訳:酒井泰幸

40年以上前、私と同じように米国国立公文書館で朝鮮半島関係の文書を閲覧していた外交史家と、私は昼食を共にした。その時ふと彼が口にしたのは、朝鮮半島の非武装中立地帯(DMZ)が世界の終末の爆心地になるかもしれないと時々思うことだった。今年の4月、北朝鮮のキム・インリョン国連次席大使は「熱核戦争(水爆戦争)がいつ起きてもおかしくない危険な状況」を警告した。数日後、トランプ大統領はロイター通信に「わが国は北朝鮮と大きな、大きな紛争になるかもしれない」と語った。アメリカの大気科学者は、比較的小規模な核戦争でさえ、世界中の人々を危機にさらすほどの煤煙と粉塵を巻き上げることを示した。「たとえばインドとパキスタンの地域戦争は、オゾン層破壊と気候変動を引き起こし、ヨーロッパ、米国、その他の地域に劇的な損害を与える可能性がある。」我々はどうしてこんな状況に至ってしまったのだろうか?いったいなぜ、(トランプと金正恩[キム・ジョンウン]の両方ともそうだが)言うことの半分がたぶん嘘で、思い上がって虚栄心の強い自己陶酔者が、世界の平和だけでなく、おそらく地球の未来までも、その手に握るようになったのだろうか?我々がここに立ち至ったのは、アメリカ人の側が歴史を直視せず、北朝鮮の指導者が同じ歴史を見るレーザー光線のような鋭い眼差しを理解することを嫌う姿勢が凝り固まっているからだ。

北朝鮮は4月25日に朝鮮人民軍の創設85周年の記念日を祝った。世界的緊張が極まる中、24時間放送のテレビ番組が平壌(ピョンヤン)でのパレードを放送した。朝鮮民主主義人民共和国の建国が1948年なのに、なぜ85周年だったのかという疑問に関心を向けたジャーナリストはいなかったようだ。本当は何を祝っていたかというと、それは中国東北部で朝鮮人が抗日ゲリラ闘争を始めた日で、公式には1932年4月25日とされている。1910年に日本が朝鮮半島を併合した後、国境を越えて逃げた多くの朝鮮人の中に、金日成(キム・イルソン)の両親がいたのだが、独立運動が武力抵抗へと変わったのは、1932年3月に日本が傀儡国家の満州国を建国した後だった。金日成と同志たちが開始した運動はそこから苦難を伴いながら13年間続くことになり、ついに日本は1945年の降伏条件の一環として朝鮮半島の支配権を手放した。これが北朝鮮指導者の正当性を自国民に示す拠り所となっている。指導者たちは祖国への植民者に抵抗した革命的国家主義者である。朝鮮戦争のとき米空軍の猛攻で全ての都市が壊滅し、国民が地下壕に住み、そこで働き学ぶことを余儀なくされたとき、指導者たちは再び抵抗した。それ以来、指導者たちは米国への抵抗を続けている。そして指導者たちは西側の共産主義の崩壊にも抵抗した。今年の9月で、朝鮮民主主義人民共和国が存続した年月の長さはソビエト連邦と肩を並べる。だが、北朝鮮は共産主義国というよりも、これまで世界に例を見ない軍事国家だ。わずか2千5百万の人口から徴兵した北朝鮮の人民軍は、130万の兵士を擁し世界第4位の大きさだ。これをわずかに上回る第3位の軍隊は、偶然にも140万の兵士を擁するアメリカ軍だ。北朝鮮の成人のほとんどは、男女を問わず長期間をこの人民軍で過ごす。予備兵の人数に上限があるとすれば、それは北朝鮮の人口だけだ。

金日成の抗日活動の物語は、北朝鮮では伝説と誇張に包まれているが、韓国では全面的に否定されている。しかし明らかに彼は英雄だった。気温が時には零下50度にも達する、想像できる限り最も過酷な冬の環境の中、彼は10年間戦ったのだ。最近の研究で判明したのは、満州国内の抗日パルチザンは、多くは中国の幹部に統率されていたとはいえ(金日成は中国共産党員だった)、大部分が朝鮮人だったことだ。別働隊を指揮していた他の朝鮮人抗日パルチザンの中には、崔庸健(チェ・ヨンゴン)、金策(キム・チェク)、崔賢(チェ・ヒョン)がいた。彼らは1945年に平壌へ戻ると、新体制の中核となった。彼らの子孫が現在の膨大なエリート層を構成している。現政府でナンバー2の地位にある崔龍海(チェ・リョンヘ)は、崔賢(チェ・ヒョン)の息子だ。

金日成の名声を期せずして高めたのは日本だった。日本の新聞は金日成と朝鮮人売国奴の戦いを書き立てた。金日成を追い詰めて殺すために日本が雇った朝鮮人売国奴を指揮していたのは、野副昌德(のぞえ・しょうとく)少将で、帝国陸軍の「金日成特別師団」(独立守備隊)を統率していた。1940年4月に、野副の部下は金日成の最初の妻と考えられたキム・ヘソンを捕らえた。日本は彼女を使って金日成を隠れ家からおびき出そうとしたが上手く行かず、間もなく彼女を殺害した。前田タカシが率いたもうひとつの日本の特別警察部隊には、多くの朝鮮人が含まれていた。1940年3月、前田討伐隊は金日成の抗日パルチザンに襲撃され、両者とも重大な人的損害を被った。前田は金日成を2週間近く追跡した末、金日成の罠にかかった。金日成は前田隊の兵士150人に対し250人の抗日パルチザンを投入し、前田と58人の日本人の他、行動を共にしていた17人を殺害した。また13人を捕虜にし、大量の武器弾薬を奪った。

1939年9月、ヒトラーがポーランドに侵攻していた頃、日本は関東軍6大隊に加え、満州国の軍と警察あわせて2万人を動員して、研究者のソ・デスクが「大討伐」と呼ぶ作戦を開始した。これは、金日成と崔賢(チェ・ヒョン)が率いる抗日パルチザンに対する、6カ月にわたる討伐作戦だった。1940年9月には、さらに大規模な兵力で中国と朝鮮の抗日パルチザンに対する鎮圧作戦に乗り出した。「討伐作戦は1941年3月末まで1年8カ月にわたって行われた。金日成が率いた者たちを除き、反逆者は完全に撃滅された。反逆者の頭目たちは銃殺されるか服従を強要された」とソ・デスクは書く。

長期にわたった日本による反乱鎮圧のための取り組みで重要な役割を果たした一人が、岸信介(きし・のぶすけ)だった。彼は経営する軍需工場で名をなした。米国占領期にA級戦犯容疑者となったが、戦後日本の建国の父の一人、そして長らく日本を支配する自由民主党の創設者の一人となった。岸は1957年から1960年まで2期にわたって首相を務めた。日本の現首相、安倍晋三は岸の孫で、他のどの日本の指導者にもまして岸を崇敬している。トランプが2月11日にマー・ア・ラゴで安倍と夕食を共にしていた時、食事の途中で狙ったように飛び込んできたメッセージは、平壌からのものだった。北朝鮮は新型固体燃料ミサイルを移動式発射台から打ち上げる実験に成功した。金日成と岸は互いの孫を通して再び会うこととなった。80年が経ち、北朝鮮と日本の間には、悪意に満ちた和解不能の敵意が、今も空中を漂っている。

西側諸国では、北朝鮮の扱いは一方的で、歴史にもとづくものではない。人名さえ正しく理解できる人は誰もいない。安倍のフロリダ訪問で、トランプは安倍を「シンゾウ総理」と呼んだ。4月29日に、CNNの有名な解説者アナ・ナヴァッロは、「ウン坊やは狂人だ」と言った。北朝鮮の悪魔化は、政党の区別を超え、意識下に大量に蓄えられた人種差別主義でオリエンタリズム(東洋を不気味で異質なものと規定する西洋の姿勢)のイメージに基づいている。北朝鮮人にはアメリカ流の現実の定義を拒絶する正当な理由があるかもしれないということを、誰も受け入れようとしない。圧倒的な米国の力を前に、北朝鮮人がアメリカの世界観を拒絶するとき、たいていは無関心、時には傲慢な振る舞いとして現れるが、このために北朝鮮は理不尽で制御不能、したがって根本的に危険な国だと映る。

だがもしアメリカの評論家や政治家が朝鮮半島の歴史を知らないとしても、少なくとも自国の歴史は知っているべきだ。米国の朝鮮半島への関与は第二次世界大戦の終盤に始まった。このとき米国国務省の計画立案者が恐れたのは、朝鮮半島北部に進入しつつあったソビエト兵が、中国東北部で日本と戦っていた3万人に上る朝鮮人抗日パルチザンを連れてくることだった。戦後朝鮮半島問題について最も強い発言力をアメリカが確保できるよう、国務省は完全な軍事占領の検討を始めた。それは短期間の占領かもしれないが、報告資料にあるように「かなりの長期間」にわたる占領になる可能性もあった。要するに、「米国の相対的な力の有効性が弱まる」ことを防ぐために、他のどの勢力も朝鮮半島に関与させるべきではないということだった。議会と米国民はこのことについて何も知らされなかった。計画立案者の何人かは親日派で、それまで日本が朝鮮半島を植民地支配することに異議を唱えたことがなく、これからは平和的で従順な国として戦後日本を復興したいと望んでいた。彼らは、ソビエトの朝鮮半島占領によってこの目標が阻まれ、太平洋地域の戦後安全保障を害することになるのを恐れた。この論法に従って、長崎が完全に破壊された翌日に、米国陸軍省のジョン・J・マクロイはディーン・ラスクと同僚を別室に呼び、朝鮮半島をどのように分割するか考えさせた。彼らは38度線を選び、3週間後には2万5千人のアメリカ戦闘部隊が朝鮮半島南部に入り、軍事政権を樹立した。

占領は3年続いた。アメリカの占領を支えるため、アメリカは旧日本関係者で金目当てに働く人を最後の一人まで探し出して全て雇い入れた。その中には朴正熙(パク・チョンヒ)や金載圭(キム・ジェギュ)のような日本軍の元将校が含まれ、この二人はソウルのアメリカ陸軍士官学校を1946年に卒業した。(1961年の軍事クーデターの後、朴は韓国の大統領になった。朴政権は15年続いたが、大韓民国中央情報部(KCIA)の代表だった元学友の金載圭が、ある夜の会食で朴を射殺した。)1948年にアメリカが去った後、38度線を挟んだ境界線地帯は、もう一人の帝国陸軍の元将校、金錫源(キム・ソグォン/日本名:金山錫源[かねやま・しゃくげん])の指揮下に入った。韓国の度重なる北朝鮮への侵入の後、1950年6月25日に全面的な内戦が勃発したのも驚くには当たらなかった。韓国の指導者は安全保障に不安を感じ「北風」の脅威を意識しているが、韓国自体の中では、左翼や共産主義といくらかでも関係を疑われる人々に対する国家の暴力が荒れ狂っていた。通常戦争が始まってから最初の数カ月で、韓国政府の手により少なくとも30万人が拘留・処刑されるか単に失踪したことを、歴史学者のキム・フンジュンが明らかにした。1950年6月以前に10万から20万の人々が韓国政府または米占領軍の手による政治的暴力の結果として命を落としたことを、私自身の研究とジョン・メリルの研究が示している。ファン・ソギョンの新刊書「朝鮮半島の危機的な戦争(Korea’s Grievous War)」は、保管資料の調査、集団墓地の記録、死者の親族と大阪に脱出した亡命者とのインタビューで構成されているが、本書で彼女は半島南部沿岸の村々での大量虐殺を記録している。要するに、大韓民国は冷戦初期で最も血塗られた独裁国家の一つだった。大虐殺の加害者の多くは、かつて日本のために手を汚し、その後アメリカによって復権した人々だった。

アメリカは自国を戦後朝鮮半島史の単なる傍観者と見ることを好む。それは常に受け身で表現される。「朝鮮半島は1945年に分割された」というとき、戦後外交政策に最も強い影響力を持つマクロイとラスクの2人が、誰にも相談することなく線引きを行ったという事実には全く言及しない。米国が韓国陸軍の作戦指揮権を握っていた時期に、1961年と1980年の二度にわたる軍事クーデターが韓国で起きている。韓国政治へ介入したと非難されないように、アメリカは手をこまぬいていた。1988年以降の韓国の、安定した民主社会と活気ある経済のおかげで、そこに至る40年の歴史を事実だと認める必要性は握りつぶされてしまったようだ。その時代なら、北朝鮮の独裁政治はソウルの軍政に対抗するために必要だったと主張するのは、道理にかなったことだったかもしれない。北朝鮮が、よく言えば歩く時代錯誤、悪く言えば卑劣な専制政治のように見られるのは、現在の文脈においてだけである。この25年間、世界は北朝鮮の核兵器について不安を煽られ続けてきたが、1958年に朝鮮半島へ核兵器を持ち込んだのは米国だったということを指摘する人はほとんどいない。ジョージ・H・W・ブッシュ(父ブッシュ)政権下で戦術核兵器の引き揚げが世界的に起きるまで、何百発もの核兵器が韓国に保管されていた。だが、1991年以来すべての米政権は北朝鮮を挑発してきた。核兵器搭載可能な爆撃機を韓国領空で頻繁に飛行させ、いつでもオハイオ級原子力潜水艦が北朝鮮を数時間で破壊できる。現在、2万8千人の米軍が韓国に駐留し、核武装能力を持った北朝鮮との勝者なき膠着状態を長期化させている。実際に占領は「かなりの長期間」となったが、80年目に入る壮大な戦略的失敗の結果でもある。評論家の常套句では、米政府は北朝鮮を真面目に受け取ることができないが、北朝鮮は一度ならず手段を講じてきた。そしてアメリカはどう対処して良いのかを知らない。

トランプと彼の国家安全保障チームに言わせれば、現在の危機が生じたのは、北朝鮮でアメリカの中心地を攻撃できる大陸間弾道ミサイルの完成が目前に迫っているからだ。専門家の多くは、ミサイルが使用可能になるまであと4〜5年かかると考えているが、だからといって大した違いがあるのだろうか?北朝鮮は1998年に最初の長距離ロケットを実験し、朝鮮民主主義人民共和国の建国50周年記念日を祝った。最初の中距離ミサイル実験は1992年のことで、射程に沿って数百キロ飛行し目標に的中した。北朝鮮が現在保有する固体燃料を使ったさらに高度な移動式中距離ミサイルは、発見されにくく発射しやすい。朝鮮半島と日本に住む約2億人がこのミサイルの射程内に入る。言うまでもなく、中国の数億人と、米国外で唯一恒久的に駐留している沖縄の米国海兵隊師団も、この射程に入る。北朝鮮のミサイルに実際に核弾頭を装着できるかどうかは定かでないが、それが実現し、怒りにまかせて発射ボタンに手をかけたなら、即座に北朝鮮はコリン・パウエルが印象深く「練炭」と呼んだものに成り果てるだろう。

だが、パウエル元帥が重々承知していたように、既にアメリカは北朝鮮を練炭に変えていたのだ。映画監督のクリス・マルケルが北朝鮮を訪れたのは1957年のことで、米国の絨毯爆撃が終わってから4年が経過していた。「皆殺しがこの大地を蹂躙した。家々もろとも灰になったものを誰が数えられよう?…国が人為的な境界線で2つに引き裂かれ、両側で相容れないプロパガンダが繰り広げられるとき、この戦争の原因はどこにあるかを問うのは無邪気というものだ。境界線こそが戦争なのだ」と彼は書いた。(境界線を引いたのがアメリカだとはいえ)アメリカの言い分とは異質な、あの戦争の基本的な真実を認識した彼は、次のように述べた。「北朝鮮人がアメリカ人に対して一般的に持つ考えは奇妙なものかもしれないが、朝鮮戦争の終盤にアメリカに住んでいた身としては、当時流布されていた戦闘描写の愚かさと残酷趣味に肩を並べるものは他にないと、私は言わざるを得ない。『アカの火あぶり、こんがりカリカリ。』(The Reds burn, roast and toast.)」

そもそも最初から、アメリカの政策は朝鮮民主主義人民共和国に苦難を与えて支配する選択肢を順繰りに実行してきた。1950年以来実施している制裁措置で、好ましい結果が得られたという証拠はない。1948年以来実施している不承認も、好ましい結果は伴っていない。1950年の終わりに米軍が北朝鮮に侵攻したとき試みた政権転覆は、中国との戦争につながっただけだった。そして、効果を上げた唯一の方法である直接対話は、北朝鮮の全てのプルトニウム関連施設を1994年から2002年まで8年にわたり凍結することに成功し、ミサイルの廃棄を実現する一歩手前まで行っていた。5月1日に、ドナルド・トランプはブルームバーグ・ニュースに次のように語った。「私が[金正恩(キム・ジョンウン)と]会談するのが適切であれば、絶対にそうします。喜んでそうします。」これが真剣なコメントだったかどうかは分からないし、トランプがまたニュースのネタになろうとして言っただけかもしれない。だがいずれにせよ、彼は疑いなく異端者だ。米国の政府中心部に借りを作っていない大統領は、1945年以来では初めてだ。彼は金正恩氏と席を並べ、地球を救うことができるかもしれない。

(以上)

★5月26日、イタリアでの日米首脳会談において北朝鮮について「対話ではなく圧力をとの認識で一致」と日本メディアは一斉に報道していますが、報道を見ていて、わざわざ「対話ではなく」なんていうかな、と思いました。そこでホワイトハウスの発表(下記1)を見てみたら、案の定、「圧力を強める」とは言っていますが「対話でなく」などと言っていません。トランプ大統領は5月1日に、金正恩委員長とは適切な状況でなら会うことは光栄だと言ったばかりです。日本のメディアの情報源はこの外務省の発表でしょう。「両首脳は,北朝鮮問題に関して政策のすりあわせを行い,今は対話ではなく圧力をかけていくことが必要であること,中国の役割が重要であることを改めて確認した。」と言っています。「すりあわせ」という言葉は、意見の不一致を示唆します。おそらく「対話ではなく」というのは安倍首相の意見だったのでしょう。ホワイトハウスの発表をみるかぎりこの点において「一致」していたとは思えません。

1)
The White House
Office of the Press Secretary
For Immediate ReleaseMay 26, 2017

Readout of President Donald J. Trump’s Meeting with Prime Minister Shinzo Abe of Japan

President Donald J. Trump met today with Prime Minister Shinzo Abe of Japan in Taormina, Italy, before the start of the G7 Summit.  In the wake of the horrific terrorist attack at the Manchester Arena in the United Kingdom, the two leaders reaffirmed their shared resolve to cooperate to the fullest extent possible to counter terrorist threats.

The President said the United States will work with Japan and the Republic of Korea, as well as our other allies and partners around the world, to increase pressure on North Korea and demonstrate that North Korea’s current path is not sustainable.  President Trump and Prime Minister Abe agreed their teams would cooperate to enhance sanctions on North Korea, including by identifying and sanctioning entities that support North Korea’s ballistic missile and nuclear programs.  They also agreed to further strengthen the alliance between the United States and Japan, to further each country’s capability to deter and defend against threats from North Korea.


Monday, May 22, 2017

翁長知事に埋立承認「撤回」を再度求める:うるま市島ぐるみ会議

元裁判官の仲宗根勇氏らが共同代表をつとめる、うるま市「島ぐるみ会議」が5月26日に再度翁長雄志沖縄県知事に対し辺野古の埋立承認「撤回」の要請を行います。以下、仲宗根氏がフェースブックで公表している要請書の内容を転載します。下方の関連記事リンク集も御覧ください。

5月27日追記:26日の要請行動について仲宗根さんがFBで報告しています。
基地対策統括監の談話は、4か月以上前1月13日に撤回要請した時の知事公室長と寸分違わぬものであった。この「時」の流れのもつ意味がわかっているであろうか。本日、我々の要請時の30分前に開いた定例記者会見で知事は、6月末の県議会の同意を得て工事の差し止め訴訟を提起すると述べた。それまで工事を延々と進めさせる気だ。本気であれば、過半数をもつオナガ与党に臨時会を招集させて1日のうちに同意の決議はできるはずだ。県は承認撤回の避雷針・世論操縦のパフォーマンスとして今また、工事の差し止め訴訟を口にしているのではないか。工事差し止め訴訟は工事開始直前・直後に提訴するのが常識だ。工事が相当程度進んだ後の提訴は、ほぼ敗訴の運命にある。敗訴前提の提訴であれば、ぬらりくらり今年中にでも提訴すればいい。仲宗根勇さんのフェースブックより
琉球新報報道 

5月18日、辺野古での抗議行動においてスピーチする仲宗根勇さん。
(写真提供: Tamiko Heshiki)

(要請書ここから。事務局長の住所と電話番号は割愛してあります)

沖縄県知事                  平成29年5月26日 
翁長雄志殿
前知事の辺野古埋立承認行為の即時撤回を求める

要  請  書

                             うるま市「島ぐるみ会議」
                              共同代表:仲宗根勇・平安山英盛・兼城賢次
                                   照屋寛之・金城秀吉・上原政英
                                   照屋大河・山内末子
                              事務局長:伊芸佑得

要 請 事 項
前知事のした埋め立て承認の行政行為を、貴職において一刻も早く撤回して下さい。

要 請 理 由 
1 うるま市「島ぐるみ会議」は、貴職に対し今年早々の1月13日に今回と同様の承認撤回を要請しました。昨年12月20日に県の上告が棄却された違法確認訴訟について県の敗訴が確定した後、貴職が2015年10月13日にした埋め立て承認の取り消しを12月26日に取り消したため「承認」が復活し、和解で止まっていた工事が翌27日から再開され、汚濁防止膜の設置が進められる危機感からの要請でした。あれから4か月余が経過しました。その時対応した謝花喜一郎知事公室長は「要請の思いを強く受け止めている。猶予がないという認識はある。しっかりと知事に要請内容を伝え、県民の思いに応えたい」と述べました。

2 貴職は就任以来記者会見などで何度も「承認の撤回も視野に入れている」と表明し今年1月4日の年頭挨拶の中で、新基地建設阻止を県政の柱とされ、3月25日の辺野古集会に知事として初めて参加され「撤回を必ずやる」と明言し、県民の喝采を受けました。

3 政府は4月25日、埋め立て工事を開始し、抗議する県民を機動隊で実力排除して工事が進められ、後戻りできない事態が日一日と積み重ねられています。今後予想される撤回裁判を考慮すると、事態は一刻の猶予も許されない状態に立ち到りました。巷では承認撤回に動かない県に対し、不安と不信の感情が渦巻いています。

4 これまでの県の担当部局の説明では、撤回理由について法的検討を続けており、今後の工事の推移も見ながら検討するとのことです。しかし、今後は工事進行とともにこれまでの違法な工事が量的に増大するだけで、これまでと異なる新たな撤回理由は生じないはずです。10万票の大差で翁長雄志氏が当選した時点から、撤回理由のひとつとなる「民意」のほか、知事の指示不服従・協議義務違反、自然保護、文化財など国の責めに帰すべき撤回理由が両手で数えられないほど存在しています。

5 国は過去2回(2015年3月30日知事の海底変更作業の停止指示・10月27日承認取り消し)も行政不服審査法を悪用して効力の一時停止をした。国による撤回の効力停止を封ずる法的対抗措置も検討し、撤回と同時に実行してください。

(要請書ここまで)

これまでのこのブログでの関連投稿:

仲宗根勇: 沖縄差別の源流と「和解」をめぐる疑惑・今後の闘い

【重要】辺野古埋め立て「違法確認訴訟」最高裁で県が敗訴しても知事は判決を理由に埋立承認取消を取り消すことはできません/させてはいけません―元裁判官仲宗根勇氏との問答

辺野古違法確認訴訟:最高裁判決は翁長知事に埋立承認取消の取消を命じるものではない。

沖縄の環境団体、市民団体、翁長知事に一刻も早い埋立承認「撤回」を求める

緊急シンポジウム「沖縄はどうすべきか」 報告

翁長知事が予定する埋立承認「撤回」で止まる工事を止めたままにさせるために

以下は「沖縄タイムス」記事へのリンクです。

沖縄タイムス【辺野古 ただちに埋立承認撤回を】(上)(下)掲載

新垣論考を読んで-承認撤回と県民投票(上)】辺野古基地 撤回を先に 知事選以降 民意揺るがず

【新垣論考を読んで-承認撤回と県民投票(下)】知事「決断」のみ国縛る 「回避」基地阻止と逆行



Friday, May 12, 2017

日系カナダ人からオンタリオ州ウィン首相への手紙:私たち日系カナダ人は、オンタリオ州議会のBILL79(南京大虐殺を記憶する日の設立)を支持します。A Letter to Premier Wynne: We Japanese Canadians Support Bill 79, an Act to proclaim the Nanjing Massacre Commemorative Day

【日系カナダ人からオンタリオ州ウィン首相への手紙】A Letter from Japanese Canadians to Ontario's Premier Kathleen Wynne (Japanese translation provided) 

日本語仮訳をつけましたので御覧ください。
自らを日本人、日系人、日系カナダ人、あるいは日系カナダ人社会の一員と自認する人であれば署名できます。(特記はありませんがカナダに住んでいることが前提とされていると思います)
署名はここから:

小説Obasan(邦題:「失われた祖国」)で有名な作家のジョイ・コガワ氏、日系カナダ人強制収容のリドレス(過去の不正を正す)運動に貢献したロイ・ミキ氏など、日系カナダ人社会で影響力を持つ人たちがたくさん署名しています。いまのところの署名者一覧はこのレターの最後にあります。
https://docs.google.com/document/d/1xvuNylgt_HxDkZLjqUx1WeF_3SzaQFAQ6Ih2rSsEdcc/pub 


Letter to the Premier:
オンタリオ州 キャスリーン・ウイン首相への手紙


Japanese Canadians for Bill 79
BILL79を支持する日系カナダ人より


This letter offers a Japanese Canadian voice in support of Bill 79 in the Ontario provincial legislature. If you identify as Japanese, Japanese Canadian, or Nikkei, or are part of a Japanese Canadian community, we encourage you to sign on to the letter here before Monday, May 15th.
この手紙は、オンタリオ州議会におけるBILL79を支持する日系カナダ人の声を届けるものです。ご自分を日本人、日系カナダ人、「ニッケイ」、または日系カナダ人社会の一員と自認していましたら、この手紙に5月15日までにサインしてもらうようお願いします。


(以下がレターです)

Dear Premier Wynne, ウイン首相へ
We are a diverse group of Japanese Canadians writing to you in support of Bill 79 (An Act to proclaim the Nanjing Massacre Commemorative Day). We wish to express our support for the bill for the following reasons:私達は、BILL79(南京大虐殺を記憶する日を宣言する法案)を支持する多様な背景を持つ日系カナダ人のグループとして首相に手紙を書いています。私たちは以下の理由によりこの法案を支持します。
1. The Nanjing Massacre of 1937 is a historical fact. Preserving this history helps us to learn from the past, and to support calls for justice in the present. 1937年に起きた南京大虐殺は歴史的事実です。この歴史を保存することは過去から学び、現在のさまざまな正義への訴えを支持することに役立ちます。 
2. Many Chinese, Korean, and other Asian Canadian individuals and organizations support Bill 79, because it gives voice to their communities’ experiences of grave injustice. We wish to stand in solidarity with them, in the same way that many of them stood in solidarity with us in our struggle for Japanese Canadian redress in the 1980s.[1] 多くのチャイニーズ系、コリア系、他のアジア系のカナダ人の個人や団体は、自分たちのコミュニティーが経験した過酷な不正義に声を与えるという理由から、BILL79を支持しています。 これらのコミュニティーの人たちが、1980年代の日系カナダ人のリドレスへのたたかいにおいて私たちと連帯したように、私たちもこの人たちと連帯したいと思っています。 [注1]
3. Some have argued that Bill 79 will incite intolerance against Japanese Canadians. We believe this argument is unfounded: in fact,similar memorial days commemorating the Holocaust (1998) and the Ukrainian Holodomor (2009) in Ontario have encouraged learning and created opportunities for reconciliation, rather than promoting intolerance. BLL79が、日系カナダ人に対し不寛容を駆り立てるであろうという人がいますが、私たちはこの主張は根拠のないものと見ています-実際に、オンタリオ州では類似の記念日がホロコースト(1998年制定)ウクライナのホロドモール(2009年制定)について制定されており、それらの記念日は学びを促進し、不寛容ではなく和解の機会を創造してきています。 
4. Some have also argued that Bill 79 deals with a foreign issue, one that does not concern Ontarians; yet many Japanese and Asian Canadians in this province have strong personal ties to the history of war in Asia. As long as Ontarians are affected by this history and how it is remembered, Bill 79 remains very much a local concern. BILL79は外国の事柄を扱っているからオンタリオ州住民が関与するものではないと主張する人もいます。しかしこの州の多くの日系、アジア系カナダ人たちはアジアの戦争の歴史に個人的な強いつながりを持っています。オンタリオ州住民がこの歴史と、この歴史がどう記憶されるかに影響を受ける限りは、BILL79は多いに地元が関与する問題であると言えるでしょう。 
5. We believe that acknowledging the past is a necessary first step toward reconciliation in the present. As Japanese Canadians, we feel that supporting the commemoration of the Nanjing Massacre will lay the groundwork for reconciliation between Japanese and wider Asian communities, in Ontario and beyond.私たちは、過去を認めることは現在の和解につながる第一歩であると信じています。日系カナダ人として、南京大虐殺の日を記憶していくことは、オンタリオ州の日系と他のアジア系のコミュニティー間に、さらにそれを超えて、和解の土台固めをするものと感じています。
We recognise that Bill 79 deals with a history that many find uncomfortable and divisive. Yet avoiding or suppressing this history only makes it more painful, and deepens divisions between us. By acknowledging history instead, Bill 79 creates much-needed space for dialogue, understanding, and empathy, and signals hope for reconciliation for present and future generations. We therefore hope that your government and our society will join us in supporting Bill 79.
私たちは、BILL79が扱う歴史の一章が、多くの人にとって居心地が悪く、意見が分かれると思うものであることは認識しています。しかし、この歴史を避けたり抑圧したりすることは、より痛みと分断を深くする結果となります。BILL79は、この歴史を認めることによって、求められている対話、理解、共感のスペースを創造し、現在と未来の世代に和解への希望のシグナルを送るものです。以上の理由から、オンタリオ州政府と、私たちの社会が、私たちのBILL79への支持に加わることを望みます。

1 The Korean Canadian Cultural Association of Metropolitan Toronto, which has endorsed Bill 79, was part of the National Coalition for Japanese Canadian Redress. Key members of the Toronto and London chapters of the Chinese Canadian National Council, which was also part of the National Coalition, have supported the bill as well.
注1:BILL79を支持する The  Korean Canadian Cultural Association of Metropolitan Toronto (メトロポリタントロント・コリア系カナダ人文化協会)は、日系カナダ人のリドレスを支援する全国連合に加入していました。やはりこの連合に加入していたChinese Canadian National Council (チャイニーズ系カナダ人全国評議会)のトロントとロンドン(オンタリオ州)支部の主要メンバーたちも、BILL79を支持しています。

(以上)

(日本語訳は仮訳です。日本語文と原文と齟齬がある場合は原文を正規のものとして扱ってください)

Sunday, May 07, 2017

「岡まさはる記念長崎平和資料館」理事長・高實康稔さんを偲ぶ Remembering Yasunori TAKAZANE, director of Oka Masaharu Memorial Nagasaki Peace Museum

尊敬する「岡まさはる記念長崎平和資料館」の高實康稔(たかざね・やすのり)理事長が4月7日亡くなったときき、4月28日、長崎を訪ねました。父方のルーツのある長崎は私にとって特別な場所でしたが、ここ10年は、アメリカン大学&立命館大学「広島・長崎平和の旅」の通訳・コーディネーターとして8月7-10日は長崎で過ごしてきました。長崎原爆の朝鮮人被爆者問題をはじめ、大日本帝国の侵略と植民支配の歴史をつづる「岡まさはる資料館」は私たちの旅の参加者50余名は毎年訪れ、広島・長崎の原爆とその被害を、大日本帝国の歴史全体の中で理解する試みをしてきました。8月9日の朝は、長崎市の式典の前に長崎原爆朝鮮人犠牲者の追悼碑の前で開く「早朝集会」では高實氏はいつも入念に用意したスピーチを行い、その内容はこのブログでも紹介してきました(昨年のものはここ)。今回長崎新聞に対して話した問題意識も、高實さんと「岡まさはる資料館」から学んだことがあればこそのことです。長崎を訪れる人は、長崎駅から歩いていける、有名な「二十六聖人殉教地」のすぐ近くにある「岡まさはる資料館」をぜひ訪れてください。2013年オリバー・ストーン監督が訪れその重要性を実感、「東京にこそこのような資料館があるべきだ」と言っています。5月7日には、高實さんとの「お別れの会」が長崎市内で開かれ、250人の人が集まったときいています。そこで読まれたストーン監督のメッセージは
私達の長崎の歴史家が逝ってしまったことを聞いて悲しく思います。高實さんは素晴らしい方で、私達全員にとって手本となる人でした。謙虚な方であったことを記憶しており、私たちが岡まさはる資料館に行ったことを高實さんが高く評価してくれたことを聞いて光栄に思います。 -オリバー・ストーン
以下、5月6日の長崎新聞に掲載された私のインタビューを長崎新聞の許可を得て転載します。


Tuesday, May 02, 2017

琉球新報「分断を超えて 今、本土から見つめる4.28」シリーズ: 乗松聡子「差別やめる歩みを-加害の認識ないヤマト」Satoko Oka Norimatsu in Ryukyu Shimpo: Mainland Japanese Must Recognize Their Responsibility for Okinawa

An English version of this article is available HERE.

台湾・沖縄・日本の旅を終えてカナダに戻ったところです。台湾では4月18日、中央研究院(Academia Sinica) 社会学研究所で沖縄の現状について地元の研究者対象に話をしました。沖縄では、4月22日、沖縄大学にて『オール沖縄を越えて-島々渡し平和世論を世界へ』(シンクタンク・コア主催)で、石垣島の山里節子氏、宮古島の石嶺香織市議などと共に列島の軍事化に抵抗する道を探りました。23日は沖縄国際大学にて「大田昌秀氏2017年ノーベル平和賞ノミネート記念学習会」(「沖縄の人びとにノーベル平和賞を」実行委員会主催)で石原昌家、高良鉄美両氏と、大田昌秀氏のノーベル賞ノミネートの意義を語り合いました。

1952年、サンフランシスコ平和条約発効によって沖縄が切り離された4.28「屈辱の日」65周年にあたり、『琉球新報』に「日本本土」の筆者5人による記事シリーズ「分断を超えて 今、本土から見つめる4.28」が掲載されました。その一人として執筆させていただいた私の5月1日の記事、許可を得てここに転載します。

★6月1日追記:この記事の英語版を
Asia-Pacific Journal: Japan Focus に出しました。
リンクは:
http://apjjf.org/2017/11/Norimatsu.html

琉球新報社提供
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