長崎の「岡まさはる記念長崎平和資料館」のニュースレター「西坂だより」第103号(2021年10月3日)の巻頭言記事を、許可を得て転載します(文中のリンクは転載者による)。産業遺産情報センターには私も昨年行きましたが、端島(元軍艦島)の元島民と名乗るガイドが、あからさまに、韓国の人たちのことを「あの連中」と呼び、「韓国は嘘つきだ」と言い、『軍艦島に耳を済ませば』(長崎在日朝鮮人の人権を守る会 編)の本の内容も嘘だと否定していました。日本政府の施設における案内員が、隣国に対してこのような言葉遣いをすること自体が外交上の無礼だと思いますが、それ以上に、本来、「明治日本の産業革命遺産」のユネスコ世界遺産登録において、強制動員の歴史も含む「全体の歴史」を展示し、犠牲者を記憶する施設を作るという約束の上に登録を果たした日本政府が、当の施設で180度真逆の歴史否定・強制動員犠牲者・被害者の傷に塩を塗るような展示と言説を繰り広げていることについてはもう「恥ずかしい」の一言です。新海さんの締めくくりの文「日本政府が過去に真摯に向き合い、端島を含む『明治日本の産業革命遺産』が、関係諸国との対立ではなく、和解の場となり、真に人類共通の普遍的価値を有するものとなることを心より望む。」に共感し、一人でも多くの方にこの文を読んでもらいたいと思います。(@PeacePhilosophy 乗松聡子)
産業遺産情報センターを嗤う
NPO法人岡まさはる記念長崎平和資料館 副理事長 新海智広
ユネスコ、日本政府に「強い遺憾」
今年7月22日、ユネスコ世界遺産委員会は、2015年に世界遺産に登録された「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」(以下、『明治日本の産業革命遺産』)に関する決議を採択した。6月にユネスコから派遣された専門家が、東京にある産業遺産情報センターを視察、その報告書に基づくもので、日本の対応に「強い遺憾」を表明するという異例の決議であり、メディア各社も大きくとりあげた。新聞各紙の見出しを見てみよう(いずれもウェブ版・2021/07/22-23)。
「世界遺産委、日本に改善要求決議 軍艦島の展示めぐり」(朝日新聞)
「軍艦島の『説明不十分』、ユネスコ世界遺産委が決議採択…朝鮮半島出身労働者巡り」 (読売新聞)
「『軍艦島』の戦時徴用の歴史、日本側の説明『不十分』ユネスコ」(毎日新聞)
「軍艦島巡り『強い遺憾』採択 世界遺産委」(日本経済新聞)
見ての通り、どの記事も例外なく「軍艦島」(端島)の名をあげて決議を報じている。ユネスコの決議は「明治日本の産業革命遺産」とその情報発信を行っている産業遺産情報センターに対するものである。「明治日本の産業革命遺産」23ヶ所の構成資産の1つに過ぎない「軍艦島」を、メディアがことさら強調するのには理由があるが、まず何が問題となっているのか、ことの経緯を整理しておこう。
2015年 世界遺産委員会での日本政府の声明
2015年ドイツのボンで第39回ユネスコ世界遺産委員会が開催された。この時「明治日本の産業革命遺産」の審議に際し韓国政府から、日本が登録しようとしているいくつかのサイトでは朝鮮半島出身者が強制動員され、死亡者も出ていると異議申し立てがあり、審議は紛糾した。最終的に、日本政府が次のような声明を発表することで、韓国側も賛同し、登録に至った。
・「『各サイトの歴史全体について理解できる戦略とすること』との勧告に対し、真摯に対応する」
・「日本は、1940年代にいくつかのサイトにおいて、その意思に反して連れて来られ、厳しい環境の下で働かされた多くの朝鮮半島出身者等がいたこと、また、第二次世界大戦中に日本政府としても徴用政策を実施していたことについて理解できるような措置を講じる」
・「日本は、インフォメーションセンターの設置など、犠牲者を記憶にとどめるために適切 な措置を説明戦略に盛り込む」
(外務省websiteより・下線は引用者による)
総務省ビル1階に開設されている産業遺産情報センター。 1日最大15人しか見学できない(2021年4月筆者見学時) |
情報センターの展示内容
情報センターは、3つのゾーンにより構成されている。ゾーン1は導入部、ゾーン2はメインとなる展示で、「幕末から明治にかけてわずか半世紀で産業国家へと成長してゆくプロセス」(情報センターwebsiteより)が示されている。このゾーン2の展示にも多くの問題がある(例えば吉田松陰を『工学教育の必要を説いた』とし、松下村塾を産業革命遺産に加えるなどは牽強付会も甚だしい)が、最も批判が集中したのはゾーン3である。
「ゾーン3」の展示 産業遺産情報センター公式ウェブサイトより |
ゾーン3は「資料室」となっているが、実質的に「端島コーナー」と言うべき内容で、壁一面に十数名の端島元島民の写真が大きく引き伸ばされ、展示されている。ここは、2015年の世界遺産委員会で日本政府が発した声明を履行するための場とも言えるのだが、しかしそれは強制労働などの苦難を示し、犠牲者を悼むものでは全くない。逆に、端島元島民の口を借りて、強制動員や強制労働を否定し、端島が家族的な一体感あふれる「炭坑コミュニティ」で、朝鮮人や中国人に対する差別や虐待はなかったとしているのである。端島を前面に押し出しつつ、「明治日本の産業革命遺産」全体における強制動員や強制労働を否定するデザインとしていると言うこともできる。
朝鮮半島出身者「等」の意味するもの
ここでもう一度、2015年の世界遺産委員会での日本政府の発言を再確認しておこう。「1940年代にいくつかのサイトにおいて、その意思に反して連れて来られ、厳しい環境の下で働かされた多くの朝鮮半島出身者等がいた」ことを「理解できるような措置を講じる」と日本政府は約束した。ここで「朝鮮半島出身者」ではなく、「朝鮮半島出身者等」(Koreans and others)と発言していることは極めて重要である。「others」は、この文脈では中国人及び連合軍捕虜を指すとしか解釈できない。つまり朝鮮半島出身の労働者ばかりでなく、「厳しい環境の下で働かされた」中国人や連合軍捕虜の存在を日本は認めているし、彼らに関しても「理解できる措置を講じる」ことを、日本は国際会議の場で約束をしたことになるのである。
情報センターのゾーン3では、「法令ならびに行政文書」や「政府ならびに関係団体、企業の文書・記録」「証言」等を収集・展示することが当該websiteに明記されており、事実、朝鮮人の「徴用」関連の法令等の展示は(1939年からの『募集』を含めていないなど極めて不十分ではあるが)一応、示されている。
さて、それでは「明治日本の産業革命遺産」のうち、高島・端島など5ヶ所のサイト関連に4,187人が連行され、労働を強いられた中国人に関してはどうだろうか。1942年11月東條内閣による閣議決定、1944年2月次官会議決定などの公文書は、中国人の連行を日本政府が主導した事実を示す史料として欠かせない。加えて、敗戦後に政府の指示により、中国人を使役していた企業が作成した「事業場報告書」には、連行された中国人全員(端島であれば204人)の、名前や公傷病・死亡等の状況が記載され、更にはこれを元に作成された「外務省報告書」も存在する。朝鮮人労働者のケースと比較して、連行や労働現場の状況に関する公的な、あるいは企業関連の資料は豊富であると言えるだろう。ところが、これら基本資料と言えるものすら一切、情報センターでは示されていない。「明治日本の産業革命遺産」のサイト全体で、合計5,100人以上が強制労働に就かされたと推定される連合軍捕虜関連の資料の提示も皆無である。
繰り返しになるが、日本政府はユネスコ世界遺産委員会から「各サイトの歴史全体について理解」できるような説明を、との勧告を受け、「真摯に対応する」ことを表明した。情報センターは、朝鮮人労働者はもちろんのこと、中国人や連合軍捕虜(『others』)に関する説明責任も負わされている。にもかかわらず現実には、情報センターのすべての展示から、中国人や連合軍捕虜の強制労働の記述どころか、彼らの存在そのものを、恣意的に、きれいに消し去っているのである。
「証言」の扱いの恣意性
情報センターの、こうした資料選択の恣意性が最もよく現われているのが、「証言」に関してだろう。ゾーン3内では文字化した証言のパネル展示と、ブースでの証言映像の視聴という、二通りの提示がなされており、いずれも端島関係者のものである。
証言の収集と記録化は、文書記録として残されていない歴史の空白を埋めるものとして尊重されるべきであり、筆者もオーラル・ヒストリーの重要性を認めることにやぶさかでない。しかし、この情報センターでの証言の扱いには、以下のような問題がある。
まず、端島での労働体験を語る証言者として採用されているのはすべて日本人であり、朝鮮人や中国人のものは一つもない。韓国からの異議申し立てに応える形で、情報センターが開設された経緯を考えれば、朝鮮人労働者の証言が採用されてしかるべきだが、全くないのである。日本政府より調査研究を受託した、加藤康子氏・産業遺産国民会議にその意思があれば、韓国へ渡り、生存者から証言を直接聞くこともできたし、あるいは韓国内の調査研究機関を通じての調査も可能であった。しかし実際には、そのような強制動員被害者の声を聞くための調査活動は、行われなかった。
端島の体験を語る中国人・李慶雲氏(岡資料館の展示) |
例えば、岡資料館でもコーナーを設け展示している徐正雨氏は、14歳で端島へ連行されており、当時のことを1983年に現地の端島で証言している。
「徐正雨さんの生涯」コーナー(岡資料館の展示より) |
その徐氏の証言の一部、「掘削場となると、うつぶせで掘るしかない狭さで」との発言を取り上げ、「寝てこうするっていうとこはない。しゃがんでするというとこがおかしい」「ほとんどがもう12尺とか8尺とか、尺が高いからね」と端島元島民が反論する。暴力を受けた、あるいは仲間がひどい暴力にさらされるのを見た、という証言は数多いが、これに対しても「虐待だとか、強制労働だとか、そういう話は聞かないです」「集団でリンチしたりなんかすることはなかったやろうと思う」「そういう話を聞いたことがないですね」と、否定する、という具合である。
このように、情報センターの展示や映像に接するものは、朝鮮人や中国人の証言を、端島元島民によって常に否定・反論されるネガティブな、疑わしいものとして認識させられることになる。
つまり、2015年のユネスコ世界遺産委員会で、韓国から朝鮮半島出身者が過酷な強制労働に就かされたではないか、と指摘され、日本政府はインフォメーションセンターを設置してそうした情報を伝える、と約束した。しかし実際には情報センターでは、端島元島民の口を借りて「韓国の主張するような実態はなかった」と主張しているのである。
言うまでもないことだが、虐待や差別を見たことがない、という証言をいくら示したとしても「虐待・差別はなかった」ことにはもちろんならない。現実には虐待・差別に関する証言は日本人のものも含め存在する。戦時下の強制動員や強制労働、それに伴う非人道的な扱いに関しては、既に学問的な知見の蓄積がある。それらを無視し、ある人物が強制労働を「見ていない」ことを根拠として、強制労働は「なかった」と主張しようとするのは、学問ではなくお粗末な印象操作と言うよりほかはない。
詐欺に等しい証言の恣意的提示
証言の恣意的選択と、それに基づく印象操作の手法は、情報センターを運営する産業遺産国民会議にも見うけられる。たとえば産業遺産国民会議websiteのリンク先に、「『軍艦島に耳を澄ませば』を検証する」という映像がある。既述の手法と同じく、まず朝鮮人・中国人労働者の証言の一部が画面に示され、それを端島元島民が否定・批判するという構成だが、その「証言11 賃金について」では、中国人の李之昌氏の次のような証言が文字表示される。
「端島を離れることが決まって、三菱は中国人に帰国費を支給すると言ってくれたのが小切手だった。一枚の白紙の上にいくつかの文字が書かれていたが、私のは800元余りの小切手だったと思う」
端島へ連行された李之昌さんの証言表示。 これに続く文章は示されない。 (『「軍艦島に耳を澄ませば」を 検証する』より) |
「通訳は『あなたたちはもうそろそろ帰国するので金をあげるが、ここでは使えない。だから,小切手を天津に銀行があるから、そこで換金するように』といった。みんな早く帰りたい一心で言われるままに、小切手を貰う書類に拇印を押した覚えがある。天津の日本租界の銀行で換金できるとのことであった。その銀行を探したが、すでに撤収していて、金は受け取れなかった。」(『軍艦島に耳を澄ませば』社会評論社・2016年 ゴシックは引用者)
同じ三菱経営の高島炭鉱へ連行された中国人・李如生氏も同趣旨の証言をしており、これは三菱による意図的な詐欺行為の可能性があるが、それはさておき、この李之昌氏の証言の結論は「金は受け取れなかった」である。「どんな名目でも、お金は1銭も貰っていない」とも彼は述べている。この結論部分を隠し、「800元余りの小切手」が支給されたことのみを切り取り提示するのは、恣意性を通り越してまさに詐欺に等しく、欺罔と批判されて然るべきではないか。このようなことを平然と行って恥じない、産業遺産国民会議の加藤専務理事が、情報センターの長に就任しているのである。
「解釈は個々に委ねるべき」?
以上のように、情報センター及びその運営に当っている産業遺産国民会議の実態を見れば、ユネスコ世界遺産委員会が「強い遺憾」を表明したのは理の当然と言うべきだろう。しかし世界遺産委員会の決議が示されると、加藤康子情報センター長は、産業遺産国民会議のサイトにただちにコメントを掲載し、同決議への不満を表明している。その中で加藤氏は「六年間、端島元島民と共に、戦時中の炭鉱の記憶、戦禍のなかで増産体制を支えた職場と暮らしの記憶を集めてきました。(中略)戦禍の中で事業現場を支えてこられた皆さんの声を収録し、現在のセンターの展示にいたっております」と、2015年の日本政府の声明は、あたかも端島に関してのみの発言であったように述べている。
もちろんこれは事実誤認、というより事実の歪曲であり、問題となっているのは端島のみならず、複数のサイトにおける朝鮮人・中国人・連合軍捕虜(Koreans and others)の強制動員や強制労働であるのは言うまでもない。加藤氏は「軍艦島」を焦点化することで、日韓二国間の歴史認識の対立と、問題を矮小化したいのだろう。日本の多くのメディアも、そうした加藤氏や日本政府の思惑に、結果として乗せられてしまっているように思える(冒頭、世界遺産委員会の決議を報じた新聞各社がみな『軍艦島』を見出しに用いていたことを想起されたい)。
「情報センターの役割は正確な一次史料を提供することであり、解釈は個々の研究者に委ねるべきです」とも加藤氏は述べ、これはセンター開所時に「一次史料や当時を知る証言を重視した。判断は見学者の解釈に任せたい」と語った(産経新聞website 2020.3.30)ことと共通である。「解釈・判断は見る者に委ねるべき」というようなことが言い得るのは、対立する両論が公平に提示された場合のみであろう。情報センターのように、朝鮮人・中国人労働者の証言は一切展示しないという恣意的な資料選択をし、見る者を一定の方向へ誘導しておきながら、「解釈は見る者に委ねる」とは欺瞞も甚だしく、度し難い無責任さである。
ゾーン3には端島元島民証言として「またぞろ慰安婦と同じように金を出して、こういう無様なことを神聖な端島炭坑がですね、金まみれで汚されるような解決であってはいかんな、と。」という言葉がパネル化されている。元「慰安婦」女性たちに対する侮辱であり、強制労働の事実を示すよう求める人々を金銭目当てのように貶める発言が、堂々と国の情報発信施設に展示されているのである。証言を提示しただけ、解釈は見る者に委ねる、ですませられることだろうか。
お粗末な歴史否定を嗤う
ユネスコ憲章前文は、先の戦争の原因を、世界の諸人民間の疑惑と不信、無知と偏見に見いだし、永続する平和を「人類の知的及び精神的連帯」の上に築くことをうたっている。世界遺産の登録や保全、公開もこのユネスコの精神に基づくべきだが、現状の情報センターは「疑惑と不信」「偏見」を募らせるものでしかない。「明治日本の産業革命遺産」を、短期間で産業化を成し遂げた日本の成功物語で終わらせず、その過程で自国民のみならず、近隣諸国や対戦国の民衆に、過酷な労働と犠牲を強いた場でもあったという負の歴史を、直視し提示すべきである。端島や高島での過酷な体験を切々と語ってくれた徐正雨さん、李慶雲さん、連双印さんらの証言は、岡資料館にも展示されている。彼らの存在を「なかった」ことにしようとする産業遺産国民会議や情報センターの策動は、断じて認めることはできないが、学問的な検証に耐え得ないあまりにもお粗末な彼らの「歴史否定」は、怒るよりもむしろ嗤うべきものなのかもしれない。
必要なのは植民地支配や侵略の過ちを認める事
日本政府はユネスコ世界遺産委員会の決議を謙虚に受け止め、情報センターの抜本的な改革をすみやかに行う必要がある。まずは産業遺産国民会議への業務委託を解消し、展示のための新たな組織を作り、歴史学者や近隣諸国の研究者も交え、「明治日本の産業革命遺産」の歴史全体を示すプランを再検討すべきだろう。
出口が見えない、と言われる日韓関係だが、「出口」は最初からはっきりしていると思う。日本側がそれを見ようとしていないだけで、つまり過去に日本が行った「植民地支配や侵略戦争の過ちを認めること」がそれである。「明治日本の産業革命遺産」の決定的な誤りは、栄光の大日本帝国の歴史に固執し、帝国主義国家としての過誤を隠蔽もしくは否定している点、とも言えるのではないか。日本政府が過去に真摯に向き合い、端島を含む「明治日本の産業革命遺産」が、関係諸国との対立ではなく、和解の場となり、真に人類共通の普遍的価値を有するものとなることを心より望む。
(しんかいともひろ)
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このブログの新海さんの記事
新海智広「『軍艦島』の強制労働の歴史を消した日本政府」&乗松聡子「英語表記は『植民地とすることなく』?)(『週刊金曜日』2018年11月9日)