また、田中氏等が企画する
8.6ヒロシマ平和へのつどい2012
「核・原子力と "生きもの"は共存できない ― ヒロシマから反被曝の思想を! ―」
は8月5日、広島市袋町交流プラザで午後5-8時開催です。くわしくはこちらのリンクをどうぞ。
「核兵器と原子力発電の犯罪性」
田中利幸
広島平和研究所
一 原子力平和利用と核兵器製造能力維持の歴史的経過
二 核抑止力ならびに拡大核抑止力の犯罪性
三 原子力発電の犯罪性
四 結論
一 原子力平和利用と核兵器製造能力維持の歴史的経過
南太平洋マーシャル諸島のビキニ環礁で、米国が行った水爆実験により焼津のマグロ漁船第5福竜丸が被災したその翌日、すなわち1954年3月2日、原子炉建造のため、2億3千5百万円の科学技術振興追加予算が、突然、自由党、分派自由党ならびに改進党の保守3党の共同提案として衆議院に出された。この提案は、ほとんどなんの議論も行われず可決された。このとき、衆議院本会議で小山倉之助(改進党)が行った提案主旨には、次のような説明が含まれている。
「この新兵器[=核兵器]の使用にあたっては、りっぱな訓練を積まなくてはならぬと信ずるのでありますが、政府の態度はこの点においてもはなはだ明白を欠いておるのは、まことに遺憾とするところであります。……新兵器や、現在製造の過程にある原子兵器をも理解し、またはこれを使用する能力を持つことが先決問題であると思うのであります。」(強調ならびに[]追加:田中)
1953年末にアメリカが打ち出した「Atoms for Peace」、すなわち「原子力平和利用」の方針に沿って、核兵器開発は一切行わず、電力エネルギー開発だけのための原子力利用を政策として掲げた日本。その日本最初の原子力関連予算の提案趣旨説明で、核兵器製造能力開発と保有の重要性が明確に唱われ、しかもほとんど何の審議も行われずに成立していることは、実に驚くべきことである。
この原子力予算成立を受けて、同年4月23日には、日本学術会議総会において激烈な論議の結果、平和目的の原子力研究においては、「情報の公開、民主的且つ自主的な運営」を行うという3原則の実行を政府に要求することを、科学者たちは決定した。この3原則の採用を政府も最終的には受け入れ、我が国の原子力開発の基本方針として、1955年12月16日に成立した原子力基本法の中に取り入れられた。ところが、その後の日本の実際の原子力開発は、周知のごとく、「情報秘匿、非民主的で米国従属」という全く逆の3原則の下で推進されてきた。
1955年12月26日、日米原子力協定が調印された。翌56年3月1日には日本原子力産業会が発足し、同年6月には特殊法人・日本原子力研究所が茨城県東海村に設置され、8月から試験炉の建設が始められた。日本原子力産業会には電力,ガス、石油、鉄鋼,金属、化学、建設、貿易など様々な分野の企業600社余りが参加した。しかし、中心となった企業は、戦後の連合軍占領期に解体されたはずの旧三井財閥系37社、旧三菱財閥系32社、旧住友系財閥14社の3グループであった。57年11月1日には、9電力会社ならびに電源開発社の共同出資により、日本原子力発電株式会社が設立され、かくして原子力発電商業化へ向けての基礎が作られたのである。その後、上記の旧財閥系企業と電力会社が密接に協力しあい、日本の原発建設をこれまで長年にわたり推進してきた。
1957年5月14日、岸信介首相(外務大臣兼任)は、外務省記者クラブにおいて、潜水艦航行や兵器発射のための動力源としての原子力利用、さらには自衛目的のための核兵器保有は、憲法に抵触しないという意見を明らかにした。その後、このいわゆる「核兵器合憲論」は歴代首相によって継承され、ほぼ日本政府の統一見解となってしまっている。岸信介は、さらに、1958年1月16日に東海村原子力研究所を訪問した際の印象として、「平和利用にせよその技術が進歩するにつれて、兵器としての可能性は自動的に高まってくる」のであり、「日本は核兵器は持たないが、潜在的可能性を高めることによって、軍縮や核実験問題などについて、国際の場における発言力を強めることが出来る」と日記に記している。その後の日本の原子力エネルギー開発は、まさに岸が望んだような道程を歩み、「核兵器製造能力」を開発、維持しながら、現在に至っているのである。
日本が自国の核兵器生産の可能性について本格的な研究を始めたのは、岸信介の実弟、佐藤栄作が首相の座についていた1960年代後半から70年代初期にかけての時期であった。この時期、佐藤首相の指示で、日本の核兵器生産ならびに核兵器運搬手段(=ロケット技術)に関する技術的評価や政治的評価に関する複数の研究・検討が、内閣、外務省、防衛庁、海上自衛隊幹部などによって、半ば公式に、半ば私的形式で精力的に行われた。かくして、佐藤政権は、核保有問題を、岸政権以来の法律論・抽象的議論から、実際の製造可能プロセスの研究というレベルへと押し進めた。ちなみに、アメリカ政府はCIAの調査報告で、日本がこうした研究を進めている情報をはっきりと把握していた。
この核兵器製造潜在能力に関する本格的な研究は、アメリカとの沖縄返還交渉が進められる中で、同時並行的に行われた。沖縄返還にあたっては、当時の国民の圧倒的な反核意識の故に「核抜き本土並み」を基本方針とせざるをえず、したがって、沖縄返還問題との関連で、佐藤政権は、非核三原則(核兵器は作らない、持たない、持ち込まない)、日米安保条約の下での米国核抑止力依存、核軍縮政策の推進、核エネルギー平和利用、という「核政策4本柱」を公的政策として表明した。
「非核三原則」は単に日本国民感情に配慮して導入されただけではなく、核兵器製造潜在能力は十分持っていながらも、当分は核武装を行わないことをアメリカ政府に対して保証してみせ、それと引き換えに沖縄の「核抜き返還」を承諾させるための「外交カード」としての役割も担わされていたのである。さらに、佐藤政権の核武装化断念には、それとの引き換えに、日本に対する米国の核の傘=拡大核抑止力を保証させるという意図も含まれていた。ところが、アメリカ側は、日本の核武装化は絶対に許さず、沖縄返還の条件として、あくまでも「有事核持込み」を要求したため、「非核三原則」という公約上、佐藤政権側はこのアメリカの要求を「裏取引」というかたちで飲み込んだのであった。そのため「非核三原則」は最初から実体のない虚偽の公約となり、その結果、「核軍縮政策の推進」というもう一つの「核政策の柱」が、これまた形骸化してしまったのも当然であった。
日本の核兵器製造能力開発研究は、単なる「机上の計画」ではなかった。日本政府は、1967年3月、最終的に核兵器用の高純度プルトニウム製造を目的とするプロジェクトとして動力炉・核燃料開発事業団(動燃)を科学技術庁傘下に設置した。このプロジェクトは、原発における使用済み核燃料からプルトニウムを取り出し再び燃料として利用することで、無限のエネルギー源が得られるという「夢のプロジェクト」として国民には説明された。一方で、このように再処理工場と高速増殖炉の技術開発を目指しながら、同時に、通信衛星や監視衛星を打ち上げ、さらには核兵器運搬手段ともなるロケットの技術開発を国家戦略の下に統合するため、1969年6月には、宇宙開発事業団を同じく科学技術庁傘下に設置した。
1973年10月、第4次中東戦争が勃発し、その影響で石油価格が急騰するという、いわゆる「オイルショック」による打撃を日本経済は被った。これが日本のエネルギー政策に大きな転換をもたらし、原子力エネルギーの拡大を急激に押し進めた。1974年6月には、田中角栄内閣の下で、日本全国で急速な原発増設を図るため、いわゆる電源三法(電源開発促進税法、電源開発促進対策特別会計法、発電用施設周辺施設整備法)を成立させた。この新しい法令によって、発電量に応じて発電事業者に課税し、その課税徴収分を、発電所を受け入れた自治体への地方交付金として配付するという制度が導入された。原発立地促進のため、原子力発電の交付金は火力・水力発電より2倍以上の交付金が支給されるというシステムとされた。その結果、これ以降、原発建設は急速に拡大し、1975年には、日本の原子力発電量は一挙に10基530万kWにまで拡大され、米英露に次ぐ原発大国となった。1985年には原発の数は33基、90年には40基にまで増加した。
この原発建設増加は、同時に、電源三法交付金の配付と使途をめぐる政治腐敗と汚職を全国規模で蔓延させた。とりわけ原発立地となった町村では伝統的な共同社会が崩壊し、漁業や農業などの健全な地場産業が立ち行かなくなり、経済生活は原発に全面的に依拠しなければならないという、甚だしく歪んだ社会構造を産み出す結果となった。
1979年のスリーマイル島原発事故や1986年のチェルノブイリ原発事故の後も、日本の原子力安全委員会や電力会社をはじめとする原発産業界は、高度で安全な原子力技術を持つ我国では、このような事故は起こりえないと主張し、多額の資金を使い、様々なメディアを利用して「安全神話」を国民に信じ込ませた。国内でも、1995年12月の高速増殖炉「もんじゅ」ナトリウム漏洩事故や99年9月のJCO核燃料加工施設臨界事故、2007年7月新潟県中越沖地震による柏崎刈羽原発事故といった重大な事故の上に、多くの事故を各地で起こしてきたが、しばしば事故を報告しなかったり、情報を開示しないというごまかしを続けてきた。政府関係省庁、電力会社、原子力産業界のこうした自己過信と自己欺瞞が、最終的には2011年3月の福島第1原発における大事故を引きおこす大きな要因の一つとなったことは、あらためて詳しく説明する必要はないであろう。
一方、核兵器製造能力の開発と維持の面でも、日本政府は「日本経済の存続にとっての原子力エネルギー利用の絶対的な必要性」を声高く唱えることで、その意図を隠蔽し、国民を欺く政策を取り続けてきたし、現在も取り続けている。茨城県大洗の「常陽」や福井県敦賀に建てられた「もんじゅ」、さらに青森県六ヶ所の再処理工場は、核兵器に使われる高純度プルトニウムを抽出する特殊再処理工場であり、これらの施設は、すでに述べたように、「無限のエネルギー源開拓プロジェクト」という夢を駆り立てることで推進されてきた。かくして、日本の「プルトニウム開発」は核兵器製造目的のものではなく、あくまでも「エネルギー政策の一環」であることを、自国民のみならず、海外に向けても日本政府は広く宣伝してきたのである。
すでに説明したように、アメリカは1970年代末までは、日本の核武装化を許すような政策は取らなかった。ところが、日本が高純度プルトニウムを生産する増殖炉技術をアメリカから入手する機会は、レーガン政権下の1980年代末とブッシュ政権下の90年代初期の間にやってきた。発電をしながら使用済み核燃料を高純度のプルトニウムに転換するという増殖炉計画は、当時、アメリカ、ドイツ、フランス、イギリスが試みたが、どの国もその技術を実験段階から商業用にまで高めることはできなかった。アメリカはこの計画が資金的にも技術的にも頓挫したとき、それまでほぼ30年にわたって核兵器用プルトニウムを生産してきた自国の軍事技術を日本に移転することで、この計画の継続をはかったのである。もちろん、アメリカは、そうした技術移転で、日本が大量の核兵器用プルトニウムを蓄積するであろうことは十分に承知していた。事実、現在、日本のプルトニウム保有量は45トンという大量なものとなっている。NPT加盟の非核兵器保有国の中で、高純度プルトニウム製造施設とこれほどまでのプルトニウム保有量を持っている国は日本だけである。
それを承知の上で、レーガン・ブッシュ政権は、なぜゆえにそのような技術移転を、1978年にカーター政権が核物質拡散防止目的で設置した原子力エネルギー法に違反してまで行ったのであろうか。いくつかの政治的・軍事戦略的な理由が推測できるが、最も説得的と思われるのが、当時の米ソ関係悪化と中国の核戦力の急速な強化という要因であろう。とくに中国の核戦力増強が問題であり、日本が中国の核攻撃を受け、アメリカが安保条約に基づき核兵器で日本を防衛する軍事行動に出れば、アメリカ本土が核攻撃の目標となってしまうであろう。こうした最も危険な核戦争の状況を避けるためには、日本がいつでも核武装できるような状態にしておくことがアメリカにとっては有利である、とアメリカ政府は考えたのではなかろうか。しかも、この政策が、その後も現在のオバマ政権まで継承されてきていると思われる。
しかし、周知の通り、「もんじゅ」は1995年12月にナトリウム漏れ事故を起こし、「常陽」は2007年に燃料交換機能に障害が発生して、両方とも運転中止に追い込まれた。さらに、1993年から建設が進められてきた六ヶ所再処理工場も、2011年2月までに約2兆2千億円という膨大な費用を投入したにもかかわらず、試運転の段階で次々と問題を起こし、現在も全く見通しがたたない状態で、「夢のプロジェクト」は全て頓挫してしまった。「もんじゅ」には2011年11月までに、1兆810億円以上が投入され、「核燃料サイクル」事業全体では、日本はこれまでにほぼ10兆円という膨大な予算を使ってきた。その上、福島第1原発事故では、ウランとプルトニウムを混合したMOX燃料を使う3号機が爆破し、大量の高レベル放射能を放出したにもかかわらず、日本政府はそれでも「核燃料サイクル事業」を根本的に見直そうとはしていない。
日本政府が今後も引き続き核兵器製造能力を高め維持する政策を取り続けるつもりであることは、今年6月20日に成立した「原子力規制委員会設置法」、ならびに、それに伴う原子力基本法改定の内容から明らかである。この「原子力規制委員会設置法」の法案は、政府が国会に提出していた「原子力規制庁設置関連法案」に対立して自民・公明両党が提出していたものである。とろが、6月15日に突然、政府案が取り下げられて、自民・公明両党に民主党も参加した3党案として、衆議院に提出された。新聞報道によれば、265ページに及ぶこの法案を、みんなの党が受け取ったのは、当日の午前10時であり、質問を考える時間も与えられなかったといわれている。法案は即日可決され、直ちに参議院に送られて、この日のうちに趣旨説明が行われ、20日には原案通り可決された。これによって、原子力を平和目的に限定するとしてきた原子力基本法に、「わが国の安全保障に資する」という条文が加えられた。「安全保障」とは言うまでもなく、「軍事利用」を指す。これは、日本が核兵器製造能力の開発・維持ひいては保有の可能性と意図を、これまでは暗示的に国内外に示してきたが、これによって明示するという、大きな政策転換を行ったことを意味している。
かくして、平和憲法がこの66年でなし崩し的に空洞化されてきたと同様に、史上初の原爆被害国の日本の「核軍縮」政策も、「原子力平和利用」政策導入以来、なし崩し的に形骸化されてきたことは、これまでの経緯を見てみれば明らかである。
このように、アメリカやその他の核兵器保有国と同様に、日本でも、原子力エネルギー開発、すなわち、いわゆる「核の平和利用」と、核兵器製造能力開発は、決して分離したものとしてではなく、最初から一体化したものとして開始され推進されてきたのである。ところが、これとは対照的に、市民の側では、反核兵器運動と反原発運動は最初から分裂した市民運動として別個に進められ、統一した国民的運動として展開されないままの状態が続いてきた。権力側からすれば、きわめて都合の良い状況が保たれてきたわけである。
二 核抑止力ならびに拡大核抑止力の犯罪性
上記「原子力規制委員会設置法」の法案作成の中心人物は、塩崎恭久衆議院議員で、彼は「核の技術を持っているという安全保障上の意味はある。日本を守るため、原子力の技術を安全保障からも理解しないといけない」と述べたと伝えられている。すなわち、核兵器を実際に保有していなくとも、核兵器製造技術を保有しているだけで「核抑止力」になるというのが、その主張の主旨である。自民党の石破茂政調会長(元防衛相)もまた、昨年からしばしば、「原発を維持することは、核兵器を作ろうと思えば一定期間のうちに作れるという<核の潜在的抑止力>になっている」と発言している。つまり、「原発停止は、すなわち核抑止力停止」を意味すると主張し、福島原発事故以来、全国で高まっている脱原発運動に対して批判の声をあげている。
日本の為政者は戦後一貫してアメリカの「核の傘」、すなわち核抑止力に依存する「拡大核抑止政策」を国是としてきたし、すでに見たように、自国の核兵器製造能力の開発・維持を陰に陽に国外に示すことで「核の潜在的抑止力」を働かせていると考えてきた。日本の政治家ならびに官僚の中には、こうした「拡大核抑止力」や「潜在的核抑止力」の支持者が多数いるのが現状である。
原爆被害国として核兵器の残虐性と長年にわたる被爆者の苦痛を目にしてきた日本人の中に、意識的にせよ無意識的にせよ、「核兵器の使用」が犯罪行為であるという認識は広く共有されている。無数の市民を無差別に殺戮し、放射能による激しい苦痛をもたらす核兵器の使用が、国際刑事裁判所ローマ規程・第7条「人道に対する罪」(とくに(a)殺人、(b)殲滅、(c)住民の強制移送、(k)
意図的に著しい苦痛を与え、身体もしくは心身の健康に重大な害をもたらす同様の性質をもつその他の非人間的な行為)、ならびに第8条「戦争犯罪」(とくに文民ならびに民用物、財産への攻撃)であるという認識は、国際的にも共有されている。同時に、核兵器の使用はジェノサイド条約(1948年国連採択の「集団抹殺犯罪の防止及び処罰に関する条約」)に違反する行為であるという判断も、専門家の間では強く支持されている。
ところが、「核抑止力」の保持は、実際に核兵器を使う行為ではないことから、犯罪行為ではなく、政策ないしは軍事戦略の一つであるという誤った判断が一般的になっていると言ってよい。実際には、「核抑止力」は、明らかにニュルンベルグ憲章・第6条「戦争犯罪」(a)「平和に対する罪」に当たる重大な犯罪行為である。「平和に対する罪」とは、「侵略戦争あるいは国際条約、協定、誓約に違反する戦争の計画、準備、開始、あるいは遂行、またこれらの各行為のいずれかの達成を目的とする共通の計画あるいは共同謀議への関与」(強調:田中)と定義されている。「核抑止力」とは、核兵器を準備、保有することで、状況しだいによってはその核兵器を使ってある特定の国家ないし集団を攻撃し、多数の人間を無差別に殺傷することで、「戦争犯罪」や「人道に対する罪」を犯すという犯罪行為の計画と準備を行っているということ。さらに、そうした計画や準備を行っているという事実を、常時、明示して威嚇行為を行っていることである。核兵器の設計、研究、実験、生産、製造、制作、輸送、配備、導入、保存、備蓄、販売、購入なども、明らかに「国際条約、協定、誓約に違反する戦争の計画と準備」である。したがって、「核抑止力」保持は「平和に対する罪」であると同時に、「核抑止力」による威嚇は、国連憲章・第2条・第4項「武力による威嚇」の禁止にも明らかに違反している。1996年の国際司法裁判所ICJの『核兵器の威嚇・使用の合法性に関する勧告的意見』も、その第47項において、「想定される武力の使用それ自体が違法ならば、明示されたそれを使用する用意は、国連憲章・第2条・第4項で禁じられた威嚇である」と明記している。
核兵器の使用は大量殺戮と広域にわたる環境破壊、最悪の場合は人類破滅という結果をもたらす徹底的で且つ極端な破壊行為であることから、その実際の使用行為と準備・保有による威嚇行為は、性質上二つの異なった行為ではなく、一体のものと考えるべきである。C・G・ウィーラマントリー判事は、上記ICJの勧告的意見に関連して出した個別意見の中で、核兵器を使用しての「自分の敵の徹底的な破壊あるいはその完全な消滅をもたらすであろう損害あるいは荒廃を起こす意図は、明らかに戦争の目的を超えている」と述べて、「核抑止力」の不条理性を強く批難している。すなわち核兵器保有それ自体が、極端な威嚇行為、すなわちテロリズム行為であり、したがって「核抑止力」を使う人間は「テロリスト」であると認識されなければならない。国家が「核抑止力」を使うということは、それゆえ「国家テロ」行為であり、その国家の元首をはじめとする為政者ならびに軍指導者たちは明らかに「テロリスト」なのであり、「平和に対する罪」を犯している「犯罪者」なのである。
核兵器を実際にはいまだ保有していなくとも、核兵器製造能力を十分持っており、いつでも製造する「計画と準備」があるということを明示すること自体が、「人道に対する罪」や「戦争犯罪」を犯す「計画と準備」を行っていることと同義であることから、石破茂や塩崎恭久が示唆する「潜在的核抑止力」もまた「平和に対する罪」と定義しうる行為である。同時に、アメリカの「核の傘」に依存する「拡大核抑止力」とは、「人道に対する罪」や「戦争犯罪」を犯す「共通の計画あるいは共同謀議への関与」、つまり「共犯行為」であるところから、これまた明らかに「平和に対する罪」と定義されなくてはならない。
したがって、これまで日本政府が長年依存してきた安保同盟の下での「拡大核抑止力」も、核兵器製造能力の開発・維持、すなわち「潜在的核抑止力」も、いずれも国際法に違反する明確な犯罪行為であることを我々は強調する必要がある。
では、「自衛のための核兵器使用は合法的行為」であるという主張に正当性はあるだろうか。「自衛」とはいったいどのような行為を指すのか、その定義はひじょうに難しい。武力紛争や戦争は、しばしば「自衛」という口実で開始されることからも分かるように、「自衛」は極めて恣意的な概念である。例えば、ナチスは「予防的自衛」と称して侵略戦争を正当化した。米軍によるアフガン攻撃やイラク攻撃すら「自衛戦争」であるとブッシュ政権は主張した。「自衛戦争」は、自国をどうしても防衛しなければならないという必要に迫られて行う戦闘行為であり、その際使われる軍事力は、攻撃してくる敵の軍事力と格差がありすぎてはならず、ある程度の均衡性を保つようなものでなくてはならない、というのが一般的な認識である。自衛する側の戦力が敵の軍事力よりはるかに強大であったり、逆に極めて弱小であれば、戦闘の内容自体が「自衛」という性格をもたなくなってしまうからである。すなわち、「自衛戦争」では、「必要性」と「均衡性」という2つの要素が重要視される。大量破壊兵器である核兵器が、この「必要性」と「均衡性」という要素の条件を満たすような性格の兵器でないことは明らかである。
しかも、核兵器の持つ特殊な破壊力と性質上、「人道に対する罪」や「戦争犯罪」を犯さずに核兵器を使用することは現実的に不可能であるところから、「合法な自衛戦争」においてもこれを使用することはできない。また、どのような理由があるにせよ、一旦、小型のものであれ核兵器が使用されれば、大型核兵器の全面的な使用へと急速にエスカレートしていく危険性があることも明らかである。よって、「自衛のための核兵器使用」ということは、法理論的にも現実的にも許されないことであり、したがって、「核兵器合憲論」は、憲法自体のみならず、国際法の観点からしても、論理的に不整合であり且つはなはだ不条理である。同時に、原発(とりわけ高速増殖炉)と核燃料再処理工場の存在そのものが「潜在的核抑止力」と一体となっていることを考えると、これらのいわゆる核エネルギー関連施設の存在は、憲法第9条の「武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」という条文に違反するものであると言える。すなわち、「核抑止力」は「平和に対する罪」であると同時に、憲法第9条にも明らかに違反する犯罪行為である。
三 原子力発電の犯罪性
原子力発電事故による最も深刻な被害は、放射能被曝による死亡または多種にわたる癌や白血病などの発病、さらには被曝の恐怖が原因の精神的疾患である。原爆攻撃の被害者、核実験場、核兵器製造工場、ウラン採掘場ならびにその近辺地域で被曝した人たちと同様、原発事故によって放出された放射能による外部・内部両被曝が、後発性の癌や白血病、心臓病などの内臓疾患、眼病など、様々な病気を引き起こすことは、チェルノブイリ事故の被災者、とくに幼児の発病ケースが多いことからも明らかである。
原発事故の場合、核兵器攻撃とは異なり、瞬時にして無数の人間が無差別に殺傷されるといったケースは少ないかもしれないが、事故後、何年にもわたり、時には後世代にまでわたり、放射能被曝は被災者の健康を蝕み、様々な病気を発病させ、最終的には死をもたらす。チェルノブイリや福島での原発事故からも明らかなように、放出された放射能は、原発から数十キロから数百キロ圏内に至るまで降り注ぎ、そのような広い地域に居住する多くの住民が無差別に被曝を余儀なくさせられる。さらには、残留放射能レベルが高い原発近隣地域やいわゆるホット・スポット地域の住民は、故郷を失い、移住を余儀なくされる。すなわち、原発事故は、長期にわたる大量無差別殺傷、すなわち「殺人」、「殲滅」の他に、「住民の強制移送」を引き起こし、「身心両面の健康に重大な害をもたらす非人間的な行為」であることから、核兵器の使用と同様に、「人道に対する罪」であると判断できる。
これまで、「人道に対する罪」は、紛争時あるいは戦時にのみ犯される残虐な戦争犯罪の一種と一般的には考えられてきた傾向がある。しかし「人道に対する罪」とは、「戦前、戦中における、一般人民に対しての殺害・殲滅・奴隷的扱い・強制移動などの非人道的行為と、政治的・人種的・宗教的理由による迫害」と定義されており、「戦前」、すなわち平時おいても起こりうる犯罪であるということを忘れてはならない。しかも、地震や津波によって引き起こされる過酷事故の場合には、必然的に無数の市民を放射能被曝の被害者にするということを明確に知りながら原発や放射能関連施設を稼働することは、「人道に対する罪」を予防しようとする意志が完全に欠落していることを表明している。したがって、原発の建設・設置そのものが、犯罪行為と称せるのではなかろうか。いわんや、地震が起きれば大事故を引き起こすような活断層の存在する地域に原発を建設することは、犯罪行為と言えるのではないか。
本来ならば、無数の人間の生存権を一瞬にして左右するような可能性をたとえわずかながらでも持っている、そのような壊滅的な危険性を孕んだ設備を建設し運転する権限が、政府や一企業に与えられているという、そのこと自体の不条理性と反倫理性が問題にされるべきなのである。その意味で原発は、火力発電や水力発電とは全く性質が異なるものであり、決して同じレベルで議論されてはならないものである。原発と同じレベルで、しかも統合的に議論されるべきものは、核兵器なのである。
原発事故によって放出される放射能は、人間の健康を冒すのみならず、広範囲にわたって環境そのものを汚染することは改めて詳しく説明するまでもないであろう。住宅地、農地、森林、植物、河川水、海水と、これまた無差別に全ての環境を汚染し、その結果、その地域に生息する家畜はもちろん、あらゆる種類の生物を無差別且つ大量に殺傷する。したがって、これは「環境に対する犯罪行為」とも称せる行為であり、1972年6月16日に国連で採択された「人間環境宣言」に明らかに違反する。
「人間環境宣言」は、その前文において、「自然の環境と人が創り出した環境は、ともに人間の福利および基本的人権ひいては生存権そのものの享有にとって不可欠で」あり、「現在および将来の世代のために人間環境を守りかつ改善することは、人類にとって至上の目標」であると述べ、環境汚染は基本的人権ならびに生存権の侵害であることを示唆している。この宣言の第1原則「環境に関する権利と責任」では、「人は、その生活において尊厳と福利を保つことができる環境で、自由、平等および十分な生活水準を享受するとともに、現在および将来の世代のため環境を保護し改善する厳粛な責任を負う」と謳われている。福島原発事故の被災者たちは、日常生活において「尊厳と福利」を奪われ、不自由で差別された生活環境の中で暮らすことを強要され、「将来の世代のため環境を保護し改善」できるような社会条件を著しく奪われているのが実情である。
したがって、原発事故による環境汚染は、核兵器の使用と同様、1948年12月10日に国連で採択された「世界人権宣言」、とりわけ、第3条「生命、自由、身体の安全」と第13条「移動と居住の自由」の2つに対する権利を剥奪する違法行為である。それは同時にまた、日本国憲法で保障された人権、すなわち13条(生命権、幸福追求権、環境権)、22条(居住・移動の権利)、29条(財産権)、25条(生存権)、26条(教育を受ける権利)、27条(働く権利)、11条ならびに97条(将来世代国民の権利)を剥奪するものでもある。さらにそれは、憲法前文で謳われ保障されている「平和的生存権」をも侵すものである。
「人間環境宣言」第3原則「再生可能な資源」では、「再生可能な重要な資源を生み出す地球の能力を維持し、可能な限り回復または改善しなければならない」とされており、第4原則では「野生生物とその生息地は……人はこれを保護し、賢明に管理する特別な責任を負う」とも謳われている。第6原則「有害物質の排出規制」によれば、「環境の能力を超えるような量または濃度の有害物質その他の物質の排出および熱の放出は、停止しなければならない」し、第7原則「海洋汚染の防止」では「人間の健康に危険をもたらし、生物資源と海洋生物に害を与え……海洋の正当な利用を妨げるおそれのある物質による海洋の汚染を防止するため、すべての可能な措置をとらなければならない」とされている。ところが、現在、日本政府が推進している「ガレキの全国拡散」は、これらの原則全てに違反する政策であり、東電は高レベル放射能で汚染された排水をたびたび海に放出して、激しい海洋汚染を続けている。
環境問題に関する他の国際宣言としては、リオデジャネイロで開催された「環境と開発に関する国連会議」で、1992年6月14日に採択された「環境と開発に関するリオ宣言」がある。この宣言も、第1原則「人の権利」の中で、「人は、自然と調和しつつ、健康で生産的な生活を営む権利」を有していることをはっきりと謳っている。リオ宣言の中で、福島原発事故との関連で注目すべき原則は、第20原則「女性の役割」である。第20原則では「女性は、環境の管理と開発において重要な役割を有する。そのため、女性の全面的な参加が持続可能な開発の達成に不可欠である」と謳われているが、日本の原発安全委員会の5人の現委員のうち女性は1人だけであり、原発担当大臣、環境大臣、環境副大臣は全て男性である。環境省や通産省で原発問題を担当している官僚たちもほとんどが男性であり、「女性の全面的参加」からはほど遠い、恥ずべき状況となっている。
四 結論
ウラン採掘・加工を出発点とする核兵器(DU兵器を含む様々な種類の核兵器製造、核実験、核兵器輸送)ならびにその応用である原子力産業(原発稼働、核廃棄物、核燃料再処理など)では、核兵器の使用や原発事故ではもちろん、そのあらゆる工程で多量の放射能を放出している。被爆者にして哲学者でもあり、反核運動のリーダーであった森瀧市朗の晩年の言葉、「核と人類は共存できない」が、福島原発事故以後しばしば口にされるようになった。しかし、広島・長崎への原爆投下やチェルノブイリ・福島での原発事故からも明らかなように、放射能は、人間のみならず、動植物を含む海陸の生きものを無差別に且つ大量に殺傷する。20世紀半ばから始まった「核の時代」は、かくして、人類を含むあらゆる「生きもの」、すなわち様々な生命体を犠牲にして築き上げられてきた、いわば「殺戮の政治・経済・社会・文化体制」であると言える。このような体制の確立と維持に努力または協力してきた人間の行為は、あらゆる「生きもの」の「生存権の否定」という行為であり、人類とすべての生物と地球を絶滅の危険に曝すことを厭わなかった明確な「犯罪行為」であったし、現在も多くの人間が、そうした犯罪行為に深く関わっているのが実情である。
我々には、現在、そのような世界を根本から変革するために貢献していくことが要求されている。そのためには森瀧の「核と人類は共存できない」という思想は、兵器であれエネルギーという形であれ「核と<生きもの>は共存できない」というものにまで深められ且つ広げられていく必要がある。つまり、我々にいま要求されていることは、総体的且つ長期的に観れば、単なる人間としての「世直し」の倫理的行動ではなく、あらゆる生命体を守るための「生きもの」としての倫理的行動である。このような根本的な視点に立って、日本がこれまで進めてきた「核エネルギー=核兵器製造技術」開発政策の本質にもう一度注意深く目を向けてみると同時に、我々市民運動のあり方自体を、「人間の犯罪行為に対する責任」という観点から再検討してみる必要があるのではないだろうか。
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このサイトの参考記事リンク
このサイトの田中利幸氏の記事へのリンク
田中利幸: 2012年世界の核情勢-アメリカの核政策を中心に-
ジョセフ・トレント: アメリカは法の抜け道を使って日本が何トンものプルトニウムを蓄積することを助けた
櫻井春彦「日本の原子力村はアメリカが全面核戦争の準備を進める過程で作り上げられた」