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Wednesday, February 29, 2012

ゲイル・グリーン「ゆがんだ科学:チェルノブイリとフクシマの後の原子力産業」 Gayle Greene: The Nuclear Power Industry After Chernobyl and Fukushima

This is a Japanese translation of Gayle Greene, Science with a Skew: The Nuclear Power Industry After Chernobyl and Fukushima, posted on January 2, 2012, in The Asia-Pacific Journal: Japan Focus. Translation by Yasuyuki Sakai, Shigeru Sugiyama, and Satoko Oka Norimatsu.

震災、津波、原発事故勃発からもうすぐ一年となります。3月1日は、1954年ビキニ環礁で米国が、広島原爆の1000倍の威力がある水爆「ブラボー」の実験「キャッスル作戦」を行い、マーシャル諸島の人々や、第五福竜丸をはじめとする船舶の数々が放射性降下物(「死の灰」)により被曝した事件の58周年記念日です。人類が、その存続自体に脅威をもたらす核兵器、原発と手を切ろうとしない背景には、核・原子力産業とメディアにより、放射性物質による被曝被害の実態が「科学」の名の下に歪められ、隠蔽され、被害の実相を明らかにする科学者たちが追放されてきた背景があります。今回紹介するのは、そういった科学者の一人であったアリス・スチュワート博士(1906-2002)の伝記を書いた米国西海岸の女子大スクリップス・カレッジの英文学教授、ゲイル・グリーンによる論考です。福島第一原発事故勃発後一年、政府、産業、メディアによる情報操作が行われてきたことに異論のある人はもうそうはいないと思いますが、この論文は、フクシマ後起っていることを、歴史の縦軸と地理的な横軸という文脈の中に的確に位置づけるものであり、今、岐路に立つ日本の人にこそ読んでもらいたいものです。@PeacePhilosophy

この意義に賛同し、長文の翻訳の労を担っていただいた酒井泰幸、杉山茂両氏に深く感謝します。

原文は『アジア太平洋ジャーナル・ジャパンフォーカス』2012年1月2日付で発表されました。
 
リンク歓迎です。転載希望の場合は info@peacephilosophy.com に連絡ください。また、翻訳は発表後微修正する場合があります。

アリス・スチュワート博士(右)と筆者

ゆがんだ科学:チェルノブイリとフクシマの後の原子力産業


ゲイル・グリーン(Gayle Greene)

翻訳 酒井泰幸 杉山茂 乗松聡子

 原子力産業が前世紀の終わりに、コストと非効率性、巨大事故の重みで地に落ちた廃墟の中から何とか復活を遂げたことは、今日の世界で驚くに値することの一つである。チェルノブイリ事故は広島と長崎の原爆を合わせたよりも何百倍の放射能を放出し、ヨーロッパと北半球全体の40%以上を汚染した(1)。しかし原子力産業のロビー活動は、地球の半分を汚染したこのエネルギー源を「クリーン」であると偽って、原子力産業に新しい命を吹き込んだ。 ニューヨーク・タイムズ(NYT)のイメージチェンジ記事(2006年5月13日)(2)が書いた「原子力の見直し」は、米国での「原子力ルネサンス」の道を開き、福島原発事故でさえもこれを止められないでいる。

 主流メディアが原子力を強力に擁護してきたことは驚くに値しない。「メディアは原子力産業による徹底的・効果的で巧みな推進キャンペーンに満ちあふれていて、結果的には偽情報」であり、それは「全く事実に反する記述で…いつもは分別のある人々にも広く信じられている」と、ワールドウォッチ研究所の世界原子力産業白書2010-2011年版は書いている(3)。あまり理解されていないのは、原子力産業にその権限を与える「証拠」の本質であり、低線量被曝のリスクについて安心させ、福島についての警鐘を沈黙させ、原子力産業を操業停止に追い込みかねない新しい証拠を封殺するために使われる冷戦下の科学のことである。

 これら大手メディアの被害対策記事を検討してみよう:
  • アメリカ全土に広がりつつある放射能雲からの「微量の」放射線は「全く健康被害を与えない」とエネルギー省は保証した。(ウィリアム・ブロード(William Broad)、「アメリカ上空の放射能は無害と官庁職員」2011年3月22日)
  • 「ガンのリスクは非常に低く、一般人が心配するよりずっと低い」と放射線影響研究所 (放影研)代表のイーバン・ドゥープル(Evan Douple)は説明する。放影研は原爆生存者を研究し、「非常に低い被爆線量では、リスクも非常に低い」ことを見出した。(デニス・グレイディ(Denise Grady)、「どこにでもある放射線、その害をいかに評価するか」 NYT、2011年4月5日)
  • 第一発電所の原子炉が不安定化した数日後のナショナル・パブリック・ラジオ(NPR)の番組は、同じイーバン・ドゥープル の発言を引用し、発電所周囲の放射線は「安心できるレベルのはずだ。この程度の放射線被曝では、調査研究しても健康被害は見出せないであろうし、将来的にもそうであろう。」(「発電所近くの初期放射線データは健康不安を和らげる」リチャード・ノックス(Richard Knox)とアンドリュー・プリンス(Andrew Prince)、2011年3月18日) このNPR の番組は、先のグレイディの記事と同様に、放射線影響研究所が放射線健康被害の研究で60年の経験を積んでいるから信頼できるであろうということを強調している。
  • イギリスのジャーナリストで、環境活動家転じて原子力推進論者であるジョージ・モンビオ(George Monbiot)は、テレビとガーディアン紙でヘレン・カルディコット(Helen Caldicott)と対談し広く関心を呼んだが、そこでも放影研のデータを「科学的合意」とし、低線量放射線が招くガンのリスクは低いという気休めを再び引用した(4)。
 高線量放射線が危険であることは誰でも知っているが、広島に関する研究結果から、線量が減少すればリスクは無視できるほどに減少するとして人々を安心させようとする。これは原子力産業が存在するために必要な信条である。なぜなら原子炉は事故時だけでなく、毎日の通常運転や廃棄物からも放射能を排出するからである。もし低線量放射線が無視できないとすると、原発労働者はリスクに曝されており、原子炉や事故現場周辺の住民と地球上全ての生命も、同様にリスクに曝されている。原子炉で発生する廃棄物は、原子力産業推進論者が我々に信じ込ませようとするように「希釈・拡散」されて消滅するのではなく、風に吹かれ、潮に運ばれ、大地と地下水に浸透し、食物連鎖に、そして我々の体に入り込み、世界中のガンと先天異常の総数を増加させる。その負の遺産は文明が存続したよりも長く続く。半減期2万4千年のプルトニウムは、人間の感覚からすると永遠に残る。

 放射線影響研究所(放影研)とは何なのか、その気休め的な主張はどのような「科学」 に基づいているのだろうか。

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 放影研の前身である原爆傷害調査委員会(ABCC)は、原爆投下の5年後に生存者の研究を開始した。ABCCは「原爆」という言葉を取り除くため70年代半ばに放射線影響研究所と改称され、ほぼ同時期に米国原子力委員会(AEC)はエネルギー省(DOE)と改称された。戦時にアメリカの敵国として、そして2011年にGE製原子炉を受け入れた同盟国として、2度の核被害を受けた日本は、放射線影響に関して最もよく研究されてきた集団でもある。それは、広島と長崎への原爆投下で、放射線被曝した人間の大集団が難なく手に入る状況を作りだしたためである。「ああ、アメリカ人はすばらしい」と日本の放射線専門家である都築正男は感嘆の声を上げ、彼はそれまでウサギでの動物実験しか出来なかったと嘆いた。 「あとは人体実験を行うことだけだった!」(5)

 ABCCは、被爆者の研究はしても放射線障害を治療することはなく、多くの生存者は自らの健康問題をアメリカの調査団にさらけ出してまで、官僚主義に絡め取られ社会から烙印を押されることを望まなかったので、被爆者であると名乗り出ることをしなかった。それでも十分な人数が自発的に集まり、放射線関連の健康影響に関する最大・最長の研究が実施された。これまでどの医学研究も、これほど潤沢な研究材料と、科学者集団、最先端の機材に恵まれたことはなかった。ここには米国原子力委員会(AEC)の資金が注ぎ込まれていた。疫学ではサンプル集団が大きいほど統計的正確さが高まるのが当然と考えられているので、これらのデータを放射線リスクのゴールドスタンダード(確立された基準)として受け入れる傾向がある。

 現地に入った日本の医師や科学者たちは、人々は無傷のように見えたのに、耳・鼻・喉から出血が始まり、髪の毛がばっさりと抜け落ち、皮膚に青い斑点が現れ、筋肉は収縮して手足が変形してしまうという、恐ろしい話を語った。彼らが見たことを公表しようとすると、その報告書をアメリカ当局に引き渡すように命令された。占領期(1945〜52年)を通じて、日本の医学ジャーナリストたちは原爆に関して厳しい検閲を受けた。1945年の末にアメリカの軍医たちは、原爆の放射線影響によって死亡する可能性のあった人々はその時点で既に全員死亡しており、放射線によるこれ以上の生理学的な影響は無い、とする声明を発表した(6)。東京のラジオ放送が、原爆投下後に被爆地に入った人々でさえ不可思議な原因で死んでいることを伝え、この兵器を「違法」で「非人道的」だと非難したとき、アメリカの官僚はこれらの主張を日本のプロパガンダであるとしてしりぞけた(7)。

 放射能毒性の問題は、毒ガスのように禁止された兵器類の汚名を帯びてくるので、特に微妙な問題だった。原爆は「非人道的な兵器」ではないと、マンハッタン計画を指揮したレズリー・グローヴス将軍は宣言した(8)。破壊された2つの都市に入ることを許された最初の西側の科学者には、グローヴスの命令で軍人が随伴した。最初の西側ジャーナリストにも同様に軍人が付いた。自力で広島に入ることに成功したオーストラリア人のジャーナリスト、ウィルフレッド・バーチェット(Wilfred Burchett)が、記事をイギリスの新聞に発表し、「原爆病としか言い表せない未知の何か」によって「1日に100人というペースで」「不可思議で恐ろしい」死に方をしてゆく人々のことを書いたとき、マッカーサー将軍は彼を日本から追放するよう命じた。彼のカメラと広島で撮影したフィルムは忽然と消えた(9)。

 「広島の焼け跡に放射能なし」と1945年9月13日のニューヨーク・タイムズの見出しは宣言した。「調査の結果、長崎に危険は無いことが判明」と題した別の記事は「原爆後の放射能は腕時計の発光文字盤のわずか千分の一である」と述べた(1945年10月7日)(10)。放射能のリスクを小さく見せるための強力な政治的動機があった。国務省弁護士のウィリアム・タフト(William H. Taft)が認めたように、低レベル放射能が危険であるという「誤った印象」は「国防省の核兵器と動力用原子力計画のあらゆる側面を著しく傷つける可能性があり…民間原子力産業に悪影響を与え…放射性物質を医療の診断や治療に用いることへの疑問を提起するかもしれない」(11)。米国原子力委員会が1953年に発行したパンフレットは「放射線への低レベル被曝は『身体に判別可能な変化を伴うことなく無期限に継続できる』と主張した」(12)。原子力委員会はABCC科学者に給料を支払い、「ときに不快と感じるほど密接に」監視したことを、放射線科学を形作った政治的圧力を記録したスーザン・リンディー(Susan Lindee)は著書「現実化された苦しみ」で書いている(13)。(この分野での科学の形成に関する他の良い参考文献には、スー・ラビット・ロフ(Sue Rabbit Roff)の著書「ホットスポット」、モニカ・ブロー(Monica Braw)の著書「抑圧された原爆」、ロバート・リフトン(Robert Lifton)とグレッグ・ミッチェル(Greg Mitchell)の著書「アメリカの中のヒロシマ」がある)。ニューヨーク・タイムズは「政府と一緒になって生存者の放射能病についての情報を隠蔽し」ビバリー・アン・ディープ・キーバー(Beverly Ann Deepe Keever)が著書 「ニューヨーク・タイムズと原爆」で書いたように、記事では一貫して放射能を軽く見せるか、無視してきた(14)。「原爆時代の夜明けから、…ニューヨーク・タイムズはこの時代のニュース形成をほとんど一手に引き受け、史上最大の破壊力を持つ [核の]力を容認する気運を醸し出し、」原爆と核実験が健康と環境に与える影響を最小化し否定することで「冷戦の隠蔽」に加担したと、老練なジャーナリストであるキーバーは書いた。

 ABCCの科学者たちは、委員会が調査を始めた1950年までに、ガンを除く全ての原因による死亡率は「通常」レベルに戻っており、ガンによる死亡は非常に少ないので警戒は不要であると計算した(15)。

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 「ばかげている、くだらない!」と、初期の批判者であり自らも被曝した広島研究者である、疫学者のアリス・スチュワート(Alice Stewart)博士は抗議した(16)。スチュワート博士は1956年に、妊娠中の女性をエックス線検査すると小児ガンの可能性が倍増することを見出した。彼女のこの研究は、子宮内で被爆した子供にガン発生の増加はなかったとするABCCと放影研のデータに真っ向から衝突することになった。1950年代には、安全であると「知られている」被曝線量よりさらに低い線量で子供が死ぬなどという話を聞きたい者は誰もいなかった。冷戦下、指導者たちは、机の下にうずくまって隠れることで全面核戦争を生き延びることができる、と市民に対して保証し、米英両政府は「友好的な原子力」に潤沢な補助金を注ぎ込んだ。スチュワート博士は研究資金と名誉を奪われた。

 彼女の発見の信ぴょう性を失墜させるために広島データが繰り返し引き合いに出されたが、彼女は被爆後わずか5年で生存者が正常に戻るなどあり得ないと指摘して批判を続けた。この人たちは[統計学でいう]正規母集団とか典型的な集団ではなく、弱い者が死んでしまった後に残った健康な生存者の集団なのだ。彼女の小児ガンの研究では、ガンが潜伏している子供は正常な子供に比べて300倍も感染症にかかりやすくなったことが見出された。免疫系がこれほど弱っている子供たちは、食品と水が汚染され、医療体制も機能停止し、抗生物質も入手困難な、原爆後の厳しい冬を生き延びることはできなかったかもしれない。しかし死因は放射線関連のガン死として記録されることはなかっただろう。また、死産や流産は、放射線被曝の影響として知られているが、当時そのように記録されることはなかったであろう。公式な数値が示しているよりずっと多くの放射線被曝による死者があったとスチュワート博士は主張した。

 さらに原爆生存者の多くは、単発の外部放射線に、爆心からの距離にもよるが非常に高い線量で被爆したのであって、原発周辺の住民や原子力産業の労働者が受けるような長く緩慢な低線量の被曝ではない。スチュワート博士によるハンフォード核施設の労働者の研究では、広島データが示したガンを発生させる値よりも「ずっと低いと知られている」線量でガンが見出された。「これこそが低線量被曝の影響を見つけるために研究すべき集団なのだ」と彼女は主張した。労働者は、通常運転の原発や原発事故の風下住民がさらされるものに近い種類の放射線被曝を受けるということだけではなく、(原子力産業の定めにより)この人たちの被曝線量はしっかり記録されているからである。

 これとは対照的に、広島と長崎の研究では、放射線被曝はほとんど説得力のない当て推量に基づいて推定された。原爆から放出された放射線はネバダ砂漠で行われた核実験によって計算され、その後の数十年間で何度も再計算された。研究者たちは生存者に、あなたは爆心に対してどこに立っていたか、あなたと爆心との間に何があったか、その朝に何を食べたか、といった質問をした。被爆から5年が経っても信頼できる証言が取れるものと想定されていた。

 「聖書の算術だ!」スチュワート博士は広島データをそう呼んだ。「これに基づいて後に行われた放射線の発がん影響の計算を歪める結果となった。ガン影響だけではなく、免疫系の障害、感染症への抵抗力低下、心臓疾患、遺伝子損傷など他の多くの影響についての計算も歪んだものとなった。実態とはかけ離れたこれらの計算結果は深刻なものである。なぜなら、それはバックグラウンド放射線のレベルを引き上げても安全だと示唆するからである。」事実、広島研究が進むにつれ、ガン以外の様々な放射線の影響が発見された(17)。心臓欠陥や胃腸障害、眼病、その他の健康問題が、彼女の予測を裏付けた。スチュワート博士は胎児エックス線検査の問題も立証したが、公式団体を説得して胎児エックス線検査に反対する勧告を出させるのに20年を要し、その間にも医師たちは妊婦にエックス線を当て続けた。十分な論拠を積み立ててアメリカ政府を説得し、1999年に原子力産業従事者が労働で発症したガンに対する補償を承諾させるために、さらに20年を要した(18)。(この学問分野では長寿であることが役に立つのだと、彼女は皮肉っぽくコメントした。)

 彼女は二度にわたり、危険と呼ぶには「低すぎる」と想定された放射線被曝が実は高いリスクを持つことを実証した。広島データに対する2発のきついパンチであった。しかし、この60年前の放影研のデータ集は、原発周辺のガン患者集団の新しい証拠や、チェルノブイリでの知見を否定するための根拠として、今も使われ続けている。

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 環境中放射能の独立コンサルタントであり「内部放射線源の放射線リスク調査委員会」(イギリス政府により設立されたが2004年に解散)の元メンバーであるイアン・フェアリー(Ian Fairlie)の計算によると、40件以上の調査研究において、核施設の周辺で小児白血病の集団が発見されている。これをフェアリーは「否定しがたい大量の証拠」(19)だと述べるが、依然として広島研究を根拠に否定され続けている。一般にガン集団が原発周辺で認められると、それは政府の委員会に諮られるが、施設からの放射能排出は発がん影響が出るには「低すぎる」、つまり放影研のリスク推定によれば「低すぎる」ことを根拠にその発見は無視される(20)。

 しかし、2007年に思いもよらないことが起きた。憂慮する市民の圧力に対応して組織された、政府の指名による委員会が、ドイツの16の原子力発電所すべてにおいて、周辺地域に小児白血病の発症率増加を見出した。「原子力発電所周辺の小児がん」論文(略称でKiKKと呼ばれる)は、大規模で、慎重に計画された研究で、ケースコントロールの形式に則っていた(1,592 のガン症例と4,735の対照群)。原子力に反対していなかった研究者たちは、「低レベル放射線の影響に関する通常のモデルに基づき…影響なし」(21)という結論が出るものと予想していた。しかし驚くべきことに、原発から5km未満に住む子供は、5km以上に住む子供に比べ、白血病を発症する可能性が2倍以上高いことを彼らは見出した。これは放射線リスクを推定する現行のモデルでは説明不可能であった(22)。この白血病の増加を説明するには、発電所からの排出量より桁違いに高い量でなければならなかった。そこで研究者たちは、白血病の増加は放射能によるものとは考えられない、と結論づけてしまった。

 リスクを計算する根拠にしたデータ、つまり広島研究は、「不十分」なものだと理解するなら、この結果は不可解ではないとフェアリーは説明する(23)。これらのデータに対するフェアリーの批判は、スチュワート博士の主張にも呼応し、「高エネルギー中性子とガンマ線を瞬間的に外部から被曝した場合のリスク推定は、ほとんどの環境放出源からの低範囲アルファ・ベータ線の長期・緩慢な『内部』被曝には、実際には適用できない」(24)という主張にも呼応する(強調は筆者)。 フェアリーは、内部被曝の危険を考慮に入れていない広島データの問題点をさらに指摘する。名古屋大学の物理学名誉教授で広島生存者の沢田昭二が認めるように、広島研究は放射性降下物に一度も目を向けなかった。それらは「爆発後1分以内に放射されたガンマ線と中性子」を研究したが、その後長時間にわたる残留放射能の影響や、「より深刻な」吸入や経口摂取の影響は考慮しなかった(25)。外部被曝と内部被曝を明確に区別しておくことは重要である。原爆の爆発は、高エネルギーの亜原子粒子の形をとる放射線と、ストロンチウム90やセシウムのような放射性元素の形で降下物として残る物質を発生する。そのほとんどは地表に残り人体を外側から被曝させるが、飲み込んだり吸い込んだりすると肺やその他の臓器に留まり、至近距離で放射能を出し続ける。原子力推進論者はバックグラウンド放射線を引き合いに出し、(モンビオがカルディコットに反論したように)我々は毎日バックグラウンド放射線に曝されながらも生きていることを強調し、低線量放射線は比較的無害だと主張する。しかしこの主張では、外部の放射線源から来るバックグラウンド放射線は限られた被曝であるという事実が見落とされている。飲み込んだり吸い込んだりした放射性物質が体内組織を被曝させ続ける内部被曝は、ヘレン・カルディコットが言うように「細胞のわずかな体積に極めて高い線量を被曝させる」。(物理学者が「許容線量」について話すとき、「彼らは一貫して、原子力発電所や核実験からの放射性元素を飲み込んだり吸い込んだりして体内に入る内部放射線源を無視し、… その代わりに彼らは、一般に害の少ない体外放射線源からの外部放射線に焦点を合わせる」(26)とカルディコットは説明する。)

 KiKK論文は「注目に値する」とフェアリーは主張する(27)。しかし、2011年5月初めにガーディアン紙が「原発が小児ガンを引き起こすことが明らかに」(28)という見出しでこのような解釈を与えるまで、アメリカやイギリスの主流メディアには取り上げられることがなかった。「政府の諮問委員会は、白血病集団の原因を別の所に求める時が来たと語った。」「別の所」とは何なのか、原発周辺のガンの集団に対する他の原因とは何だというのか。ガーディアン紙が引用した専門家は、感染症や、ウイルス、蚊、社会経済的要因の可能性があるという。イギリス政府は現在8基の原子炉を新規に建設する計画を推し進めている。

 新しい証拠が古いモデルと衝突する時は、新しい証拠に注目するより古いモデルに固執するものだ。世界は平らだ。チェルノブイリでも平らだ。

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 福島第一原発事故が始まってから数日後のニューヨーク・タイムズ紙は、「チェルノブイリの事故後20年で、被曝による公衆への重大な健康被害の証拠がない」と言明した(Denise Grady、「予防策で原子力施設の放射線による健康障害を限定的なものにすべし」 2011年3月15日)。タイムズ紙のこの主張の根拠は、2005年の世界保健機構(WHO)による研究である。この研究では、「わずかな健康被害」しか見つからず、「チェルノブイリ事故に起因しうる死者数は、最終的に四千人だけだろう」と評価した。チェルノブイリ事故がもたらした最悪の影響は、タイムズ紙に語った専門家によると、「人を麻痺させるような悲観論」なのだ。この種の「悲観論」によって、人びとは「麻薬やアルコールに走り、そして無防備な性行為や失業」に至ってしまうというのだ(Elisabeth Rosenthal、「チェルノブイリの影響は小さいことを専門家が発見」 2005年9月5日)。これを「放射能恐怖症」と呼び、問題なのは生きる姿勢なのだ、という見解である。

 タイムズ紙は、核エネルギーの推進を使命とする国際原子力機関(IAEA)が、WHOが報告する内容について最終的な権限を持つという合意をWHOと交わしていることを報道しない。これは、独立した科学者が、利権の絡み合った同盟として強く非難している関係である(29)。また、タイムズ紙は2006年に発表された二つの重要な研究も報道しない。一つは、「チェルノブイリに関するもう一つの報告」と題されたもの、もう一つはグリーンピースが発表した「チェルノブイリの大惨事」である。どちらもWHO/IAEAの報告よりもはるかに大きな被害を報告している(30)。さらに、2009年にニューヨーク科学アカデミーが英語に翻訳して公刊したアレクセイ・ヤブロコフ(Alexey Yablokov)らによる「チェルノブイリ:大惨事が人々と環境に与えた影響」(「チェルノブイリ被害実態報告」として日本語に翻訳されつつある――訳者注)について、一言も触れないのだ。この研究は、WHO/IAEA報告とは桁違いの、98万5千人という犠牲者数を推定している(31)。

 ヤブロコフらは、「数千の科学者や医師、その他の専門家が、放射線降下物を被った数百万の人びとの苦しみを、ベラルーシや、ウクライナ、ロシアで直接観察して得たデータ」を用いている。さらに、多くはスラブ系言語で蓄積された5000以上の研究事例も、その報告に組み込んでいる。対するにWHO/IAEAの報告は350例に基づき、ほとんどが英語の文献だけに依存している。ヤブロコフ博士らは、申し分ない経歴を持つ。アレクセイ・ヤブロコフ博士は、エリツィンとゴルバチョフの環境アドバイザーであった。ワシーリィ・ネステレンコ(Vassily Nesterenko)博士はベラルーシ放射線安全研究所の所長であった。ネステレンコ博士は、アンドレイ・サハロフとともに、国家から独立したベラルーシ放射線安全研究所(BELRAD)を設立した。この研究所は、チェルノブイリの子どもたちを研究するのみならず[米国ABCCと比較して、強調すべきことに]子どもたちを治療している。ワシーリィ・ネステレンコ博士は2008年に死去した。原因は、炎上する原子炉上空を飛行した時に受けた被曝であった(なお、この調査は、チェルノブイリ事故で放出された放射性核種を知ることができる唯一のものである)。彼の死後、息子のアレクセイ・ネステレンコ(Alexey Nesterenko)博士がBELRADの所長兼上級研究者となり、本研究の第三の著者となった。この本の顧問編集者は、内科医であるとともに毒物学者のジャネット・シャーマン(Janette Sherman)博士である。

 ヤブロコフらの研究は、ベラルーシとウクライナ、ロシアの汚染地域といわゆる「非汚染地域(clean area)」とを比較して、汚染地域における罹病率と死亡率の際立った増加があるとする。具体的には、甲状腺ガンをはじめとするガンのみならず、潰瘍や慢性的な肺疾患、糖尿病、眼疾患、小児の深刻な知的障害、伝染性およびウイルス性の病気の頻度の高まりと、症状のより深刻な状態である。心臓血管系や生殖系、神経系、内分泌系、呼吸器系、消化器系、筋骨格系、そして免疫系と、体内のあらゆるシステムが悪影響を被っている。子供たちは、健康に育っていない。「1985年までは、ベラルーシ、ウクライナ、ロシアにまたがるチェルノブイリ地域の80%以上の子供が健康だった。現在では健康な子供は20%以下である」。動物でも「罹病率と死亡率の顕著な上昇が見られ…腫瘍や免疫不全の増加、平均寿命の低下、早期老化、血管および循環器系の変化、そして奇形が見られる」。

 チェルノブイリとヒロシマの類似は驚くべきものである。データの収集が遅らされ、情報は秘匿され、現場での観察報告の価値は貶められ、独自の研究をする科学者たちのデータへのアクセスは拒絶された。「ソビエト連邦当局は医師に対して、あらゆる病気を被曝と関連づけることを公式に禁止し、日本の場合と同じように、すべてのデータは秘匿された」。「清掃人(リクビダートル)」と呼ばれた人々とともに、83万人の男女が、チェルノブイリ発電所の消火と炉心の停止、そして除染のためにソビエト連邦各地から徴集された。「彼らが苦しんでいる病気を被曝と関連付けることが公式に禁止された」。「チェルノブイリのメルトダウン事故初期の公衆衛生データをソビエト連邦当局は機密としたが、その機密扱いは3年以上続いた」。しかも、この3年間、「機密を保持したのはソビエト連邦のみならず、他のすべての国々でもそうだったのだ」。

 しかし、チェルノブイリとヒロシマの類似点は政治的なものであって、決して生物学的なものではない。というのもヒロシマのデータはスチュワート博士が述べるように、長期にわたる慢性的な低線量被曝に起因する健康への影響を予想するには、「時代遅れ」で役に立たないモデルであることが証明されているからだ。ヒロシマに関する研究は、生存者に遺伝子異常をほとんど発見してこなかった。しかし、ヤブロコフらの研究は、「チェルノブイリ事故に起因する放射能汚染のあるところには、それがどこであっても、子どもの遺伝異常と先天性の奇形の増加がみられる」ことを実証する。「これらの異常には、四肢や頭部、体躯に発現する、事故前にはほとんど見られなかった多発性の身体的障害」や、とりわけ「清掃人」だった人々の子どもに見られる衝撃的な出産時欠損が含まれる。被曝との相関関係は明々白々なので、「もはや仮定なのではなく、……証明済みだ」とヤブロコフらは述べる。人間と同じように、調査を行ったすべての生物において、「生物の遺伝子プールは、結果を予見できないような変容が活発に進んでいる」。具体的には「[チェルノブイリ事故に起因する放射線照射によって]、長期にわたる進化の過程で眠っていた遺伝子が覚醒している」のだ。この遺伝子覚醒によって生じするダメージは何世代も――少なくとも7世代にわたって続くだろう」。

 このような発見によって放射線医療の専門家は、自分たちの依拠してきた放射能の影響に関する仮説と理論を見直す機会をえた。そうした研究者に、ベラルーシのソスヌイ科学技術研究所(Joint Institute of Power and Nuclear Research)のミハイル・マルコ(Mikhail Malko)がいる(32)。しかし、専門家たちは一般的に、この新しい知見を自分たちの理解を深める代わりに、これらの新しい研究を「非科学的」と断定するために用いた。そのやり方とはこうだ。いわく、研究はきちんとした対照実験の結果なのではなくたんなる観察記録に過ぎない、西欧や米国・日本の科学的水準に満たない「東ヨーロッパ」のもので、神聖化されたヒロシマのデータと一致しないというのだ。放射線の専門家は、チェルノブイリ事故後に飛躍的に増加した甲状腺がんは、被曝による可能性があることを否定する。いわく、ヒロシマでは10年を経過してよりひどい症状が出たのに対し、チェルノブイリでは3年だけであると。疫学的研究は、放射能汚染と甲状腺がんとの関連を続々と明らかにしているにもかかわらず、放射線を専門とする彼らの説明による増加の原因は、スクリーニング技術の進歩や、治療のために子供に与えたヨウ素剤、あるいは殺虫剤だというものだ。2005年になってやっと、エリザベス・カーディス(Elizabeth Cardis)が率いる症例対照研究で、子どもにおける甲状腺がんと被曝との間に、被曝量に対応した関係性が、認められなければならない形で存在すると確認された(33)。

 チェルノブイリでは、精密な被曝線量に対応する計算を可能にする、整然とした実験室のような条件が揃うことはほとんどない。しかし強調すべきことは、ヒロシマもそうではなかった、ということだ。ヒロシマでは、被曝量の推定は、原爆投下後何年も経ってから当て推量で行われたのだ。加えて、新しい知見に基づいて何度も再計算されている。しかし、科学者たちは、ヒロシマの被曝量の不確実性をあまりにも安易に受け入れ、そして地球上のすべての生物に影響を与える政策策定にこのデータが使われることを容認してきた。その一方で、チェルノブイリを研究する条件が理想的なものではないという理由で、[チェルノブイリの]研究結果を無視したり間違っていると否定したり、自分たちが無価値だと否定しているデータよりも疑問点の多い[ヒロシマの]データに基づくモデルに依拠して、こうした新しい研究結果を考慮することもしないのだ。チェルノブイリの事例が明らかにすることは、「自然バックグラウンド放射線よりも被曝量がわずかでも多ければ、統計的に…被曝した個人やその子孫の健康に遅かれ早かれ影響を与える」ということだ。しかし、胎児へのエックス線照射と原子力施設労働者に関するスチュワート博士の発見と同じように、また原子炉周辺において[一定期間にガンが予想以上に発生する]ガン集団があることを明らかにした研究と同じように、チェルノブイリに関する研究においても、ヒロシマに関する研究に拠ればありえないことだから、これらの影響を生み出したものは放射線による被曝ではありえない、と否定された。独立した科学者ルディ・ヌスバウム(Rudi Nussbaum)が指摘したように、「放射線リスクに関する証拠と現在使われている前提との間に見られる不一致」、つまり、新たな知見と「被曝による健康影響について広く用いられている仮定」との間に見られるギャップは、科学的検証に耐えられないまでになった(34)。

 チェルノブイリは、フクシマがもたらす結果を予見するうえで、ヒロシマの例よりも優れている。しかし、そのことを主要メディアから知ることはできない。おそらく、次のような事実は、われわれがあえて知りたいと思うようなことではない。チェルノブイリ事故の放射性物質の57%は旧ソビエト連邦の国外に降下したこと、米国のオレゴン州までもが「しばらくの間」、雨水を飲料に用いないように警告されたこと、事故後の6年間で米国コネチカット州の甲状腺ガンが倍増したこと、英国では369の農場が事故後23年たっても汚染されたままの状態であること、汚染がひどいために食用には適さないイノシシ肉のためにドイツ政府は猟師に補償金を払っていること(35)、それも2009年の支払額が2007年の4倍になっていること。おそらく、「チェルノブイリによるガン数が、20世紀末以来人類に発生している『ガンの大流行』のもっとも根拠ある理由だ」という可能性を、われわれはあえて考慮したいとは思わないのだろう。

 「この情報[チェルノブイリについての知見]はなんとしても世界中で利用できるようにしなければならない」とヤブロコフらは主張する。しかし、彼が2011年3月15日にワシントンで開かれた記者会見で述べたように、この研究は「沈黙をもって」迎えられた(36)。主要メディアの沈黙は、チェルノブイリの健康被害に関する情報が広がることを抑えつけてしまった。これは、ソビエト政府による事故隠しのための情報統制、および第二次大戦時の連合国による、ヒロシマとナガサキにおける原爆の健康被害の秘匿と同様に強力なものだった。

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 「われわれは、この[フクシマの]事故とチェルノブイリの事故とを比較しようとするあらゆる筋書きを破棄する必要があり」、「そうしないと市場に悪影響を与えるかもしれない」。「この事故は、全世界の原子力産業を後退させる潜勢力を持っており…われわれは原子力が安全であることを本気になって示さなければならない」、つまり「事故は見た目ほどひどくはないのだ」。ここに引用した声明は、ガーディアン紙が入手した80以上のEメールの数例である。どれもが、公衆の目に触れることを意図して書かれたものではない。ガーディアン紙によると、「英国政府官僚は、原子力産業企業に接触して、事故2日後には福島原子力発電所事故の重大性を軽視させるために共同で広報戦略を練り上げようとした」。目的は、「フクシマの事故によって英国における新世代原発計画が頓挫しないようにする」ことであった(37)。

 フクシマの事故を報じる主要メディアの報道で顕著に目立つのは、チェルノブイリ事故との比較が欠落していることだ。この欠落は、6月に事故レベルがチェルノブイリ事故と同等の最高レベルの7に引き上げられてからも続いた。原子力エンジニアから内部告発者に転じ、事故直後から福島の状況を観察してきたアーノルド・ガンダーセン(Arnold Gundersen)が、今回の事故はチェルノブイリよりも実際には危険に満ちたものであると主張したときもそうであった。情報通で分別あるコメンテーターであり信頼感を抱かせる人物のガンダーセンは、ウクライナよりも人口密度が高い地域に、大気と海洋、陸地に放射性物質を放出している4つの損傷した原子炉があることを指摘して次のように述べた。「ここにはおそらく20基分の炉心がある、つまりチェルノブイリの20倍の放出量になる可能性がある(Fairewinds, 2011年6月16日)」。しかし、前掲の3月15日付けの被害対策記事と、ヘレン・カルディコットによる「東ヨーロッパの科学者による研究」へのわずかな言及(論説欄「フクシマ後:もうたくさんだ」2011年12月2日 )を除けば、タイムズ紙はチェルノブイリという言葉を出さなかった(カルディコットの論説でさえ、ヤブロコフ論文に名前を出して触れることはなかった)。チェルノブイリが作り出したものは、ヤブロコフらの研究が非常に明らかに論証しているのだが、報道するにはあまりにも危険すぎるのだ。というのも、報道してしまうと、原子力産業による安全や経済性の主張の根拠を掘り崩してしまうからだ。 

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 ニューヨーク・タイムズ紙は、日本の失敗や腐敗について十分報道してきた。同紙は、電力会社や政府官僚がメルトダウンは深刻ではないと主張するやり口や、電力会社と政府による隠蔽と彼らの無責任さを報道してきた(ノリミツ・オオニシとマーティン・ファクラー、「日本は原発データを秘匿し、避難者を危険にさらす」 2011年8月8日)。同記事は、電力産業と規制側との癒着を指摘した(ノリミツ・オオニシとケン・ベルソン、「損傷した原発へとつながる共謀の文化」 2011年4月27日)。市民の反原発運動に関する記事(オオニシとファクラー、「日本は長年にわたり原発リスクを無視・隠蔽してきた」 2011年5月17日;ケン・ベルソン、「何年もの無益な時間の後で、二人の意見が聞かれる」2011年8月19日)や政府ができなかったデータ収集をみずからの手で行った草の根運動に関する記事もある(ヒロコ・タブチ、「市民の測定で、東京周辺に20の放射線ホットスポットが見つかる」 2011年8月1日)。タブチ記者の記事は、「日本の主要メディアの従順さ」を手厳しく批判しており評価できるが、ニコラ・リスカティンが日本のマス・メディアについて「政府と東電の代弁者以上のものではない」(38)とする批判と比べたら、自身の言う「従順さ」を脱していない。原子炉を鎮火させるために派遣された労働者や原子炉近くに住む人々に焦点を当てた、読者の関心を引くような話が、他の主要メディアと同じくタイムズ紙にもあふれている。その中の一つ、ファクラー(Fackler)とマシュー・ウォルド(Matthew Wald)記者による 「損傷間際の日本の原発のせいで宙ぶらりんになった生活」(2011年5月2日)は、「長期にわたる低線量被曝がもたらす健康への影響について確固たるデータが欠如していること」に言及した。この「欠如」とは、すでに読者が見てきたように、低線量被曝に関する証拠の無視が、メディアでは風土病のようになっていたために不動のものになったのだ。

 タイムズ紙の報道のなかには称賛に値する記事があるけれども、標的としているのは日本人の不手際と腐敗であって、[米国から見て]こちら側で起きていることと対照的な意味での「あちら」で起きていることなのだ。しかし、こちら側の内輪の恥は晒されてもいないし、報道の中で言及されることもない。自国のことよりも日本の緩みきった規制体制や透明性の欠如を批判する方がずっと容易なのだ。「こちら側」の米国に目を向ければ、狡猾で目立たない原子力関連のロビー活動とロビイストたちの活動や米国政府とメディアとが原子力産業と取り結ぶ共犯関係がある。

 オオニシ記者による優れた暴露記事「安全神話は日本が核危機へ突き進む下地を作っていた」(2011年6月25日)も、日本に厳しく自国に甘いという路線に沿ったコメントを生み出す。彼は、東電と経済産業省が日本人に原子力が安全であると納得させるために仕組んだ「巧妙な宣伝戦術」を調査する。数億ドルもの資金が原子力への支持をかき集めるために費やされた。記事によれば「数十年にわたって、日本の原子力政策の指導層は、原子力の安全とその必要性を日本人に信じ込ませるために莫大な資源を費やしてきた。電力会社は、観光客のお目当てになるファンタジーで一杯の広報施設を、金に糸目をつけずに建設した」のだ。このような施設の一つでは、「[不思議の国の]アリスが原子力の不思議を発見し、「芋虫」が放射能の安全性をアリスに保証し、チェシャー猫がエネルギー源について学ぶアリスの手助けをする」。

 [米国人の]独りよがりにならないように、ウォルト・デズニーが本と映画で「友好的な原子力」を宣伝した「Our Friend the Atom(わが友、原子力)」を思い出しておこう。これは、([核戦争勃発時に備え]机の下にうずくまって隠れる訓練をしていないときに)数百万の児童が読んだり観たりしたのだ。

 オオニシ記者が日本で起きていると報道したものは、米国でも起きている。おそらくオオニシ記者はこのことを暗に思いこさせたかったのだろう。米国でも、強力な意識操作が行われ、数億ドルを費やして「核の平和利用」や「電気メーターで計る必要もないほど安価な」新エネルギーとして宣伝された(もちろん「安価」でも何でもない。巨額の連邦政府補助金が支出されたし、それは今でも同じだ)。このプロパガンダ体制は、1982年に公刊された研究「原子力広報:アメリカでの原子力技術の普及」に紹介されている。この研究によると、「1950年代半ばから、AECは核の平和利用を宣伝するために大規模な広報作戦を開始した」。この作戦のために、「映画やパンフレット、テレビ、ラジオ、原子力科学博覧会、講演会、移動展示、教室での実演など、多種多様な広報テクニックを利用した」(AECが移動展示したものには、「無限の動力(Power Unlimited)」、「大局的視点から見た放射線降下物(Fallout in Perspective)」、「役立つ原子(The Useful Atom)」がある)(39)。

 「原子力エネルギー情報に関する文献がセットになって数百万部も、小学校や中等学校、大学の児童、生徒、学生に配布された」。ウェスティングハウスやGEのような原子炉製造企業の広報部門も、地域にやってくる原子力施設を住民が受け入れるように、そして一般公衆に新しい技術を教え込むために動員された。こうした企業と主要メディアとの関係は、これ以上はないというほど直接的なものだった。カール・グロスマンが指摘するように「ウェスティングハウスはCBSを多年にわたって所有しており、GEはNBCを所有している」のだ(40)。同じこの広報組織が、ここ数十年、チェルノブイリの灰から「原子力ルネサンス」の呪文を唱えて呼び起こし、原子力を「クリーン、グリーン、安全」と売り込むことに勤しんでいる。

 フクシマに関するタイムズ紙の報道は、この現在進行形の大惨事によって、主要メディアのなかにも、原子力について誰もが参加できる議論の空間が開けるかもしれないという希望をもたせる。しかし、これほど多くの基本的な事実が隠蔽されたままなのに、この議論はどこまで本物だろうか。チェルノブイリ事故とドイツの原子炉に関する研究が無視されている。ヤブロコフらの研究を学ぶことはおろか、その存在を知るだけでも、主要メディア以外のメディアに依存しなければならない(41)。また、アレクサンダー・コクバーン(Alexander Cockburn)が報告したように、オバマ大統領は原子力産業から潤沢な選挙資金を得ている(このことは、彼が熱心に原発を支持する理由を明らかにするかもしれない)。こういった状況で、議論がどれほどオープンなものになりうるのか、疑わしいものだ。さらに、原子力産業の存在を可能にしているABCCと放影研による放射線リスク評価を放置したままで、この問題についての議論は本当に開かれたものになるだろうか。ヤブロコフらの研究やドイツの原子炉に関する研究を真剣に考察すれば、われわれがこれまで見てきたように、ABCCと放影研のリスク評価が「歪んで」おり役立たずだということが明らかになるだろう。しかし、このような見直しをする代わりに、タイムズ紙は放影研の専門家を、原子力産業の被害を小さくするために紙上に呼び出すのだ。そのため、放影研による「放射線リスクは心配ない」という保証は、全世界で通用する放射線に関する安全基準の基礎として、疑問に付されないままだ。

 米国のメディアとドイツのメディアの対応とを比べてみよう。ドイツ主要紙の見出しは次の通り――「フクシマの事故は原子力時代の終わりを画した」(シュピーゲル紙、2011年3月14日)、「ドイツはもう原子力が安全だと誤魔化すことはできない――もう終ったのだ。以上。終了。」(同紙、2011年3月14日)。フクシマの事故はシュピーゲル紙にとって、原子力を終わらせることを要求する叫び声に似た警告である。それに対して、タイムズ紙にとっては、原子力発電所の建設をすべて中止するよりも、もっと効率的に原子炉を建設しもっと注意深く規制すべきだという警告なのだ(社説「フクシマの後で」 2011年6月23日)。ラルフ・マーティン(Ralph Martin)によると、フクシマの事故から数か月後、「事故が展開するにつれて、シュピーゲル紙でもっとも人気のある記事は、『放射性プルーム』が刻々と広がってゆく様子を示した電子地図であった」(42)。「ドイツの有権者は、原子力問題をまず考えるべき課題とした――つまりフクシマの事故を自分たちの問題として考えたのだ」。それに対して「米国メディアの反応は…より広範な社会的波及効果もまったく顧みず、この一連の出来事を」われわれ米国民に何の関係もない「ただの一つのニュースのようにみなしている」。そして何事もなかったかのように原子力発電は継続する。マシュー・ウォルド(Matthew Wald)記者による2011年8月9日の記事の見出しは、「アラバマ州の原子力発電所は、すでに建設が始まっており、竣工を待つ」。「電力会社2社は、原子力発電所建設の認可を受けた」(同記者、2011年12月23日)(どちらの記事も別に長くもないし目立つわけでもない。それに、第一面を飾るものでもなかった)。

 シュピーゲル紙が報道し続けた放射性プルームについて米国の主要メディアはほとんどまったく報道しなかった。ほんのわずかに言及した例外もあるが、それは「健康被害はない」、とサラリと片付けられてしまった。(Board、前掲記事)。それも、フクシマ原発が放出した世界規模の放射性降下物がインターネット上で盛んに議論されていた時にもかかわらずだ。ガンダーセンが引用する証拠によれば(43)、事故直後の放出――その量は当初日本政府が発表した放出量の2倍であることが明らかになったのだが――は、セシウムやストロンチウム、ウラン、プルトニウム、コバルト60の「ホット・パーティクル(高放射能粒子)」を含んでいた。これらは自動車エンジンのフィルターから見つかっており、エアフィルターから検出されたものに基づくと、4月、東京では一日一人当たり10個、そしてシアトルでは5個のホット・パーティクルを吸い込んでいた。

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 心配することなどないのだ。「放射線の影響は、じつはニコニコ笑っている人には来ません。クヨクヨしている人に来ます」。こう講演で述べた山下俊一博士は、福島県放射線健康リスクアドバイザーとして、福島県民に放射線がおよぼす影響を調査する責任者に任命された(44)。彼は、日本政府によって長崎大学から派遣されたのだが、長崎大学時代は、原子爆弾の生存者の長期に渡る研究によって崇拝されていた放影研における研究に参加していた。公衆の懸念に応え、誤解を正すとの使命を与えられ、山下博士は、福島県民を集めて次のような言葉で奮い立たせる。いわく、「これからフクシマという名前は世界中に知れ渡ります。フクシマ、フクシマ、何でもフクシマ。これぇ、すごいですよ。もうヒロシマ、ナガサキは負けた。フクシマという名前の方が世界に冠たる響きをもちます。ピンチはチャンス、最大のチャンス。何もしないで、フクシマ有名になっちゃったぞ」。

 私たちは、本当に有能な方々にお世話になっている。


ゲイル・グリーン
スクリップス大学(Scripps College)英文学教授。著書に、The Woman Who Knew Too Much: Alice Stewart and the Secrets of Radiation(『知りすぎた女:アリス・スチュワートと放射能の秘密』)がある。これは、新しい研究分野を切り拓いた英国の放射線疫学者であり反核運動の指導者であったアリス・スチュワートの伝記である。また論文として、“Alice Stewart and Richard Doll: Reputation and the Shaping of Scientific Truth(アリス・スチュワートとリチャード・ドール:名声と科学的真実の形成)” Perspectives in Biology and Medicine(2011年・秋), 504-31がある。彼女の研究は、Sings, Contemporary Literature, Renaissance Dramaなどの学術雑誌に発表されている。また、Ms誌やThe Nation, The Women’s Review of Books, In These Times などの大衆向けの雑誌にも寄稿している。アドレスは、gaylegreene@earthlink.net

 Recommended Citation: Gayle Greene, 'Science with a Skew: The Nuclear Power Industry After Chernobyl and Fukushima,' The Asia-Pacific Journal Vol 10, Issue 1 No 3, January 2, 2012.


参考文献
(1) Yablokov, Alexey et al. 2009. Chernobyl: Consequences of the Catastrophe for People and the Environment. Annals of the New York Academy of Sciences 1181, link

(2) “The Greening of Nuclear Power,” NYT editorial, May 13, 2006

(3) 2010-2011 World Nuclear Industry Status Report, Worldwatch Institute, link

(4) George Monbiot “Prescription for Survival: A Debate on the Future of Nuclear Energy,” Amy Goodman, March 30, 2011, Links 1, 2, 3

(5) “Ah, but the Americans….”: Daniel Land, “A reporter at large,” New Yorker, June 8, 1946, quotes Tzuzuki; in Robert J. Lifton and Greg Mitchell, Hiroshima in America: A Half Century of Denial, 1995, 53

(6) Rosalie Bertell, No Immediate Danger, 143-4; また、Shoji Sawada, “Cover-up of the effects of internal exposure by residual radiation from the atomic bombing of Hiroshima and Nagasaki,” Medicine, Conflict and Survival, 2007, 23, 1, 58-74, p. 61: 「マンハッタン計画調査委員会のT.ファレル准将は…(1945年9月)の時点で、広島と長崎では致死的な病気にかかった者は既に全員が死亡し、原爆放射能に苦しんでいる者はいなかったと語った。」ファレル准将の正確な文言は次の通り:「広島と長崎で、現在、(1945年)9月の始めに、死ぬ可能性の高い人は既に死亡し、原爆放射能に苦しんでいる人はいない。」

(7) Catherine Caulfield, Multiple Exposures: Chronicles of the Radiation Age, U of Chicago Press, 1989, 62-3

(8) Jay Lifton and Greg Mitchell, Hiroshima in America: A Half Century of Denial, Avon, 1995, 4-5; Monica Braw, The Atomic Bomb Suppressed, 119-23

(9) Wilfred Burchett, Shadows of Hiroshima, London, 1983; また、 Sue Rabbit Roff, Hotspots: The Legacy of Hiroshima and Nagasaki, Cassell, 1995, 271, and Lifton and Mitchell, 46-9

(10) Caulfield, 62-4

(11) Brian Jacobs, “The politics of radiation: When public health and the nuclear industry collide,” Greenpeace, July-Aug 1986,7

(12) Caulfield, 120

(13) Susan Lindee Suffering Made Real: American Science and the Survivors of Hiroshima U of Chicago Press, 1994, 107

(14) Beverly Ann Deepe Keever News Zero: The New York Times and the Bomb, Common Courage Press, 2004, p. 16; 1-3

(15) Shoji Sawada, “Cover-up of the effects of internal exposure by residual radiation from the atomic bombing of Hiroshima and Nagasaki,” Medicine, Conflict and Survival, Jan-March 2007, 23, 1, 58-74

(16) スチュワート博士の言葉は 筆者自身の著作による伝記による。Gayle Greene, The Woman Who Knew Too Much: Alice Stewart and the Secrets of Radiation, 1999, 143

(17) Shimizu, Y, et al. 1992. Studies of the morality of A-bomb survivors. Radiat Res 130: 249-266. 1574582

(18) Link

(19) Ian Fairlie, “New evidence of childhood leukeaemias near nuclear power stations,” Medicine, Conflict and Survival, 24, 3, July-Sept 2008, 219-227.ガン患者集団のより詳細な議論と、それを無視する研究はThe Woman Who Knew Too Muchの第13章を参照。

(20) Wing, S., D. Richardson, A.M. Stewart. “The relevance of occupational epidemiology to radiatioNPRotection standards,” New Solutions, 1999, 9, 2: 133-51

(21) Claudia Spix et al, “Case-control study on childhood cancer in the vicinity of nuclear power plants in Germany 1980-2003,” European J of Cancer 44, 2008, 275-84

(22) BfS. Unanimous statement by the expert group commissioned by the Bundesamt fur Strahlenschutz on the KiKK Study. German Federal Office for RadiatioNPRotection. Berlin, Germany; 2007. Link

(23) Ian Fairlie, “The risks of nuclear energy are not exaggerated,” The Guardian, Jan 20, 2010, link

(24) Fairlie, “Childhood cancer near German nuclear power stations,” J of Environ Science and Health Part C, 28:1-21, 2010, 1-21; また、 Rudi Nussbaum, “Childhood leukemia and cancers near German nuclear reactors,” Int J Occup Environ Health, 2009, 15, 318-23

(25) Shoji Sawada, “Cover-up of the effects of internal exposure by residual radiation from the atomic bombing of Hiroshima and Nagasaki,” Medicine, Conflict and Survival, Jan-March 2007, 23, 1, 58-74

(26) “Unsafe at Any Dose,” Op Ed, New York Times, April 30, 2011

(27) Ian Fairlie, “Infant leukaemias near nuclear power stations,” CND Briefing, Jan 2010

(28) Sarah Bosley, “UK nuclear power plants cleared of causing leukemia: Government’s advisory committee says it is time to look elsewhere for causes of leukemia clusters,” Guardian, May 6, 2011

(29) 簡単なネット検索により判明: Link 1; link 2. また、 Helen Caldicott, Nuclear Power is Not the Answer, New Press, 2007; Rudi Nussbaum, “Clinging to the nuclear option,” Counterpunch, May 30 2011

(30) The Other Report on Chernobyl, Ian Fairlie and David Sumner, 2006. MEP Greens/EFA, Berlin, Brussels, Kiev; and Greenpeace. 2006. The Chernobyl Catastrophe: Consequences on Human Health, Amsterdam, the Netherlands, link

(31) Yablokov, Alexey et al. 2009. Chernobyl: Consequences of the Catastrophe for People and the Environment. Annals of the New York Academy of Sciences 1181, link

(32) Mikhail Malko MV. 1998 “The Chernobyl accident: The Crisis in the International Radiation Community,” Research Activities about the Radiobiological Consequences of the Chernobyl NPT Accident KURR-KR-21, link

(33) Elisabeth Cardis et al. 2005. “Risk of thyroid cancer after exposure to 131-I in childhood,” Journal of National Cancer Institute 97: 724-734

(34) Rudi Nussbaum, “Childhood malignancies near German nuclear reactors” International Journal of Occupational and Environmental Health, 2009 (15) 3: 318-23。次の論文も参照せよ。Ian Fairlie, “Childhood cancer near German nuclear power stations” Journal of Environmental Science and Health Part C, 28: 1-21, 2010, 1-21.

(35) Charles Hawley, “A quarter century after Chernobyl: Radioactive boar on the rise in Germany,” Der Spiegel, July 30, 2010, link

(36) Link 1, 2

(37) Rob Edwards, “Revealed: British government’s plan to play down Fukushima,” Guardian, June 30, 2011. Link (“Read the emails here” has been blocked.) 次の記事も参照せよ。Also, John Vidal, “Fukushima spin was Orwellian,” Guardian, July 11, 2011, link

(38) “New Media and anti-nuclear activism in Japan, Asia-Pacific Journal, Nov 21, 2011

(39) Stephen Hilgartner, Richard Bell, Rory O’Connor, Nukespeak: The Selling of Nuclear Technology in America, Sierra Club Books, 1982, pp.74-6

(40) “Downplaying deadly dangers in Japan and at home, after Fukushima, media still buying media spin,” Extra! The Magazine of FAIR, the Media Watch Group, May 2011. メディアによる偏った報道に関するグロスマンの論文は読むに値する。Karlgrossman.blogspot.com

(41) “In the midst of Fukushima,” Counterpunch, March 18-20, 2011

(42) Ralph Martin, “When Japan sneezes, Germany catches a cold,” The European, April 29, 2011, link

(43) Gundersen, “Scientist Marco KaltofeNPResents data confirming hot particles,” Fairwinds, Oct 31, 2011, link

(44) Dr. Yamashita Shunichi, Democracy Now, June 10, 2011, link; from a lecture, Fukushima City, March 21, Links 1, 2

Sunday, February 26, 2012

Peace Philosophy Salon with Yuki Tanaka: 「原子力平和利用」の裏に ― 隠された日本の核政策 ―

Peace Philosophy Salon:


 「原子力平和利用」の裏に 

― 隠された日本の核政策 ―

(Behind the "Peaceful Use of Nuclear Power" - Hidden Japanese nuclear policy - )


ゲスト: 田中利幸さん (広島市立大学平和研究所教授)
Yuki Tanaka, Professor at the Hiroshima Peace Institute, Hiroshima City University

日時 : 3月19日(月)午後7時―9時半
7 - 9:30 PM, March 19 (Mon.) , 2012

場所: Peace Philosophy Centre (バンクーバー市内。参加者にメールで場所を案内します)

言語:日本語(質疑応答は英語も可) The primary language of this event is Japanese. 

(***Yuki Tanaka will speak in English at UBC Centre for Japanese Research on Wednesday, March 21.  See HERE for details. )

共催: Peace Philosophy Centre, Vancouver Save Article 9

参加費: ドネーションを受け付けます。
Admission by Donation

参加申し込み・問い合わせinfo@peacephilosophy.com にメール下さい。

講演概要
1953年末、アイゼンハワー大統領が国連総会演説で “Atoms for Peace”なる政策、すなわち「原子力平和利用」政策を打ち出した背景には、ソ連が核兵器開発で米国に肩を並べるようになり、「核技術の拡散化」が避けられなくなったという当時の状況があった。もはや拡散化が避けられない核技術を、一方で非核兵器保有国には「平和利用」にのみ限定させ、他方では既存の核兵器保有国の間だけでの保有独占化を図ろうという目的が隠されていた。同時に、核技術と核物質の提供により、西側諸国をアメリカ資本の支配下に置くという野望もこの政策には含まれていたのである。

史上初の原爆被害国となった日本が「原子力平和利用」を自ら望むようになれば、アメリカにとっては格好の「平和利用」宣伝となるとアメリカは考え、とりわけ広島の被爆者を洗脳する戦略を考えた。

この講演では、被爆者がいかに「原子力平和利用」宣伝のターゲットされたか、またいかに日本国民の大半が「平和利用」を強く支持するようになり、結果として原発を乱立させてしまったのか、その歴史的経緯について解説します。さらには、原発推進の陰に隠されてきた日本の「核兵器保有潜在能力」の開発と維持についても議論します。

田中利幸プロフィール
1949年福井県永平寺町生まれ。西オーストラリア大学にて博士号取得。現在、広島市立大学広島平和研究所教授。「核兵器廃絶をめざすヒロシマの会」運営委員。主に戦争史、戦争犯罪史研究を専門とする。著書に『知られざる戦争犯罪』(大月書店、1993年)、『空の戦争史』(講談社、2008年)、Hidden Horrors: Japanese War Crimes in World War II (Westviews, 1996) , Comfort Women: Sexual Slavery and Prostitution during World War II and the US Occupation (Routledge, 2001)、 共著に『原発とヒロシマ 「原子力平和利用」の真相』(岩波ブックレット、2011年)、編著に『戦争犯罪の構造:日本軍はなぜ民間人を殺したのか』(大月書店、2007年)、共編著にBombing Civilians: A Twentieth-Century History (New Press, 2009), Beyond Victor’s Justice?: The Tokyo War Crimes Trial Revisited (Brill Academic, 2011)などがある。趣味は尺八古典本曲演奏。

このサイトでの田中氏の過去の寄稿はこちらをご覧ください。

Saturday, February 25, 2012

田中利幸「私たちは原発の動力源を忘れていないか?」ウラン問題再考 Yuki Tanaka: Uranium, the source of all nuclear problems - a critical overview of Australian Uranium mining and export

当サイトにも度々登場いただいている広島市立大学平和研究所教授、田中利幸さん(プロフィールはこの投稿の末尾)の最新の論考を掲載します。
・・・福島原発事故という、チェルノブイリ事故と並ぶ史上最悪の原発事故は、かくして、オーストラリアのウラン採掘・輸出にブレーキをかけるどころか、代替市場を求めてがむしゃらに採掘・輸出を推進させるという逆説的な結果を産み出している。

・・・私たちは、現在、福島第1原発から放出され続けている放射能の問題との対応に追われる毎日である。確かに、この問題はひじょうに重大であり、国内での反原発運動をさらに強め拡大させていく必要がある。しかし、その一方で、原発の動力源であり、原発問題の根源とも言えるウランの問題が、以上説明したような極めて憂慮すべき状況にあることにも目を向け、グローバルな観点から、広義の意味での「反核」市民運動を、私たちはいかに展開していくべきかについても真剣に考えなければならない状況にある。 (本文より)
福島をはじめ世の中の核被害の大元であるウラン採掘問題を掘り下げることなしに核問題は語れず、自分を住むカナダを始めとしたウラン産出国の市民は自国のみならず世界において核被害に加担していることを自覚し行動すべきであるとの思いを新たにしました。

田中氏は3月後半、カナダ・バンクーバーに滞在し、ブリティッシュコロンビア大学で21日に講演(21日)するほか、ピース・フィロソフィー・センター、バンクーバー九条の会主催で日本語講演(19日)も企画します。後日案内します。@PeacePhilosophy


ウラン問題再考 — 私たちは原発の動力源について忘れてはいないか? 豪州ウラン採掘・輸出政策の批判的検討を手がかりに —

田中利幸(広島平和研究所・教授)

はじめに

原発を運転するにも核兵器を製造するにも、天然ウランを精錬してできる粉末、いわゆる「イエロー・ケーキ」がなければ不可能である。

一方、現在、日本では「脱原発」という嵐が日本全国を吹き捲くっている。その嵐の目となっているのが、福島第1原発から絶え間なく放出され続けている「高レベル放射能」である。とくに、文科省が出した20ミリシーベルトという「安全基準」への激烈な批難、「安全神話」を作り出し原発推進政策をがむしゃらに進めてきた「霞ヶ関」の官僚と政治家、それに連なる学者、企業やマスメディアなどで構成されている「原子力ムラ」への痛烈な批判。こうした市民の深い怒りが、この嵐の力を衰えさせずに持続させている。かくして、これまで原発問題にほとんど無関心であった多くの市民が怒り立ち上がっていること、そのこと自体は極めて歓迎すべき状況変化である。

ところが、原発問題の最も根源的なウラン採掘問題について、日本のメディアも市民もほとんど無関心であり、あたかも原発はウラン無しで運転されているかのような意識の下で「脱原発」運動がすすめられている。

本稿では、したがって、我々日本の市民が長年にわたって原発で発電された電気の恩恵を受けてきた陰で、ウランの採掘・輸出をめぐって、ウランの最大生産国の一つであるオーストラリアでは、これまで何が起き、これから何が起きようとしているのかを検討してみたい。

オーストラリアウラン鉱マップ


オーストラリアにおけるウラン採掘・輸出の歴史的背景

オーストラリアのウラン推定埋蔵量は、世界推定埋蔵量の23%(38%という説もある)であると言われおり、世界一の埋蔵量を誇っている。これは、カザクスタンの15%、ロシア、南アフリカ、カナダ、米国、ブラジル、ナミビアの合計37%をはるかに超える量である。輸出量としては、現在は、カナダ、カザクスタンについで3番目。2010〜11年には7千トンの濃縮ウランを生産した。

オーストラリアが本格的なウラン採掘を開始したのは、核兵器製造のためのウラン発掘の要請を米英両政府から受け、1944年から探鉱を始めたのがその契機であった。1949年、北部特別州のラム・ジャングルで最初の鉱床を発見し、1954年から採掘を開始。1953年にはサウス・アリゲーター・リヴァー(北部特別州)、1954年にはメアリー・キャサリン(クイーンズランド州)、1956年には ウエスト・モアランド(クイーンズランド州)でも鉱床を発見。 同じく1954年からラジウム・ヒル (南オーストラリア州)でも採掘を開始。採掘されたウランは米英合同開発機構(ウラン獲得のために米英が共同で立ち上げた公的機関)と英国原子力エネルギー局に売却された。

なお、1952年〜57年の間、英国はオーストラリアのモンテ・ベロ島、イミュー、マラリンガなどで核実験を実施。採掘したウランが核兵器となってオーストラリアに戻ってくるという「ブーメラン現象」を起こし、その結果、アボリジニ住民と実験に参加した豪英両軍兵士に多くの被爆者を出した。1990年代末に、マラリンガ実験場跡地の汚染除去作業を、1億豪ドルを使い3年がかりで行ったが、どこまで放射能汚染除去ができたかは極めて疑問である。

ラム・ジャングルでの採掘開始にあたり、メンジス首相は「恐るべき核兵器ではあるが、自由世界圏を防衛するためにはウラン採掘は必要悪であり、そのためにオーストラリアはウラン供給でおおいに貢献する」という主旨のメッセージを発表し、米英の核兵器生産に全面的に協力する態度を表明した。しかしながら、1960年代に入るとウラン供給量が過剰となったため、ラム・ジャングル(1971年閉山)を除いて、他の全て鉱山は1964年までに一時閉山された。

ところが、1960年代末から70年代初期にかけて原子力発電用のためのウラン需要が増え出し、オーストラリアは再びウラン採掘を再開した。とりわけ、1973年のOPECの石油減産による石油危機のため、原発建設に動き出す国が増え、ウラン需要が増大したことがその主たる理由である。その結果、1970年代末までに、全国で60カ所近いウラン鉱床の所在が確認された。

いわば「第2次ウラン採掘ブーム」のこの時期に、大きな埋蔵量を持つ北部特別州での鉱山が複数発見された — それらは、レインジャー(1969年)、ナバレク とクーンガラ (1970年)、ジャビルカ (1971年)である。その上に、メアリー・キャサリンでの採掘が1976年に再開された。1970年8月から72年11月の間に海外への6売却の契約が結ばれ、74年から83年の間には10売却契約が成立したが、その契約先のほとんどが日本であった。この時期、日本は、田中角栄政権(72年7月〜74年12月)が作り出した「電源三法交付金」の下、がむしゃらに原発推進に乗り出した時であった。

1968年7月にNPT(核不拡散条約)が成立し、米英露の他59カ国がこの条約に署名した。ところが、オーストラリア政府は、「平和利用」のためのウラン輸出がこの条約によって妨げられるのではないかという懸念から署名に躊躇。70年2月に署名はしたものの、批准をしないままの状態がその後2年ほど続いた。ありあまる自国のウランを使って、オーストラリアも核兵器保有国になりたいというのが当時のゴードン首相の念願であったため条約批准に消極的であった、という説を唱える評論家もいるが、真意のほどは明らかではない。いずれにせよ、米英がオーストラリアの核兵器製造・保有を黙認するはずはなかった。

1972年末の総選挙で労働党が保守の自由党に勝利し、ゴフ・ウィトラム政権が成立するや、翌73年1月にNPTをすみやかに批准し、74年には、IAEA(国際原子力機関)の国際保障措置にも署名した。ウィトラム政権は、兵役や死刑制度の廃止、大学教育の無料化、健康保険制度の確立など様々な進歩的な政策を次々と導入した。ところが、ウラン問題に関しては、あくまでも「原子力平和利用」推進の立場で、原子力エネルギー産業開発政策をとり、とりわけ付加価値の多いウラン濃縮技術の開発の推進、すなわちウランを「イエロー・ケーキ」の形で輸出することを目指した。前述したように、1975年以降はウラン需要がとりわけ高まり、日本、イラン、イタリア、EECへの輸出が急増したのである。

しかし、この時期、ウィトラム政権が導入した他の政策や当時の核をめぐる状況が、オーストラリアのウラン採掘・輸出推進を、一時的にではあるが、減速させたことも確かである。とりわけ、次の3つの要因が、その減速には働いていた。

A. アボリジニ土地所有権の承認
「アボリジニの伝統的土地所有権の承認」という選挙公約に基づき、ウィトラム政府は1973年2月に、この問題を取り扱うウッドワード調査委員会を設置した。1974年4月にこの調査委員会の最終報告書が提出され、全てのアボリジニ特別保護区の土地、さらには空地の公有地で伝統的継承地と見なされる土地をアボリジニに返還することと、それらの土地における鉱物資源採掘に対するアボリジニの許可の必要性が主張された。最終的に、76年に、次期政権であるマルカム・フレイザー政権の下で、アボリジニ土地所有権法が成立した。この法律によってウラン採掘が以前ほど容易ではなくなったが、しかし、ウラン採掘を完全に停止させるまでの影響力をこの法律は有していないのが現実である。なぜなら、土地権や環境保護に関する法制からの「例外規定」として、「開発承認」という項目が設けられているからである。

B. カカドゥー国立公園の設置
オーストラリアでは、北部特別州の「カカドゥー」と呼ばれる自然豊かで広大なアリゲーター河川地域一帯の国立公園化は、1960年代半ばから提唱され始めていた。75年の野生生物保護法の成立により、79年に「カカドゥー国立公園」が正式に設置されるに至った。国立公園設置前に採掘され始めたジャブリカ、 レインジャー、 クーンガラのウラン鉱山は国立公園内にあるが、これらのウラン鉱山は国立公園指定地域から除外され、引き続き採掘が許可された。(ちなみに、「カカドゥー国立公園」は、1981年には世界遺産に登録されたが、98年に、「ウラン鉱山が自然環境を著しく破壊しつつある」として、UNESCOは「危機状況にある世界遺産」 として登録するか否かについて議論する会議を3回にわたって開催した。最終的にこの案は否決されたが、環境破壊の事態について「深く憂慮する」という主旨の声明を出した。)したがって、自然環境保護という観点から、70年代半ばは、国立公園内でのウラン採掘に反対する市民の意見が高まった時期でもあった。

C. 高まる反核実験運動
70年代初期はまた、フランスの南太平洋ムルラワ環礁における大気圏内核実験が、オーストラリア国内おける反核・自然保護運動を盛り上げる結果となった。70年代半ばにはウラン採掘反対団体、核エネルギーに反対するキャンペーン、地球の友、 オーストラリア自然保護協会などのNGOが次々と誕生し、反核実験、反ウラン採掘運動を全国で展開。採掘中のウラン鉱山のみならず、ラム・ジャングル のような閉山となったウラン採掘場から流れ出る放射能汚染も問題視されるようになった。こうした運動に、原子力科学者リチャード・テンプル、ロブ・ロボサム 、詩人のドロシー・グリーン、 作家ジュディス・ライト、 ノーベル文学賞受賞者パトリック・ホワイトといった著名人が加わった。こうした市民運動が、労働党のウラン政策に大きな影響を与えることとなった。

強まる市民運動のため、ウィトラム政権は、最大級のウラン鉱山、レインジャー鉱山における採掘・輸出ならびに環境問題に関するラッセル・フォックス判事を委員長とする調査委員会、いわゆるフォックス調査会を1975年7月に設置。輸出問題を議論した最初の報告書が、76年10月に発表された。この報告書が、最近まで続いてきたオーストラリアのウラン採掘・輸出政策の基礎を提供した。

この報告書が出される前に、ウィトラム政権は崩壊し、フレイザー保守政権が成立。新しく首相となったフレイザーは、報告書が出る前からウラン採掘・輸出支持を表明する一方で、副首相で国家資源担当大臣であったダグ・アンソニーが、報告書が出るまで結論は出せないと発表。トップの閣僚2人の意見が異なるという異例の事態となった。報告書の内容は、「平和利用」目的で売却するウランが軍事用に転用される危険性が極めて高いことを懸念しながらも(「既存の安全手段は単に幻想的な防御にとどまっているかもしれない」とまで述べているにもかかわらず)、NPT加盟国の中でウラン購入を希望する国家を注意深く選択し(つまり共産圏国家を除外するという意味)、2国間の協定でさらに軍事転用をしないという約束を取り付けた上で売却すべきであるという結論であった。翌年に出された、環境問題とアボリジニ土地所有権問題を取り扱った第2回報告書も、結果的にはウラン採掘を止めるような内容のものにはならなかった。

このフォックス調査会報告書に基づいて、1980年からウラン輸出が本格化し、オーストラリアは、日本、韓国、フィリッピン、英国、フィンランド、カナダ、スウェーデン、フランス、EUならびに米国と、ウラン使用に関して軍事転用しないという2国間保障協定を結んだ。しかしながら、軍事転用されていないという事実をオーストラリアが確認できる方法は全くないのが実情である。

一方、当時野党であった労働党は、1977年7月の党大会で「ウラン採掘一時停止政策」を打ち出し、政権を獲得した暁には、保守政権が結んだ全てのウラン鉱山採掘・輸出契約を一旦破棄すると発表。しかし83年に政権を奪還すると、84年の党大会でボブ・ホーク政権は「三鉱山(限定)政策」を採用し、北部特別州のレインジャー、ナバレクと南オーストラリアのオリンピック・ダムの三鉱山での採掘と輸出のみを許可するという、鉱山産業界との妥協策を打ち出した。

1996年3月、保守が再び政権に返り咲き、ジョン・ハワード政権になると、「三鉱山政策」を事実上破棄し、2001年には、南オーストラリア州のビヴァリー 鉱山での採掘開始を許可。同じく南オーストラリア州のハネムーン、北部特別州のジャブリカ、西オーストラリア州のイーリリーの各鉱山での採掘を開始させようとしたが、後述するような政治制度的問題やアボリジニ・グループからの反対にあって計画が一時うまく進まない状況に直面した。しかしハワード政権は、「世界温暖化問題」に取り組む方法として原子力利用をおおいに宣伝し、自国での原子力発電の導入まで提唱するようになった。2006年末、下院の工業・資源問題常任委員会は原子力を強く推進する内容の報告書を発表し、同じく、2006年には中国、2007年にはロシアへのウラン輸出を許可した。さらに、ハワード首相は、NPT加盟国でないインドへの輸出も許可されるべきとも主張しはじめた。彼はまた、「オーストラリアは21世紀の世界的規模でのエネルギー超大国になる」と豪語。さらには、北部特別州のマカティー・ステーションと呼ばれるアボリジニ所有地を放射性廃棄物の貯蔵場所にする案まで提案。こうしたハワード政権の態度が、国内の反核運動組織を刺激してかなり強い反原発導入運動を引き起こし、その結果、原発導入のアイデアはすぐにたち切れとなった。ウランを大量に輸出するオーストラリアには、原発は1基もないという、皮肉な状況となっている。ウラン輸出で利益を上げることには努めるが、金のかかる不経済な原発には手を出さない、というのがオーストラリア歴代政権の政策なのである。

2007年末の総選挙でハワード政権が終焉し、労働党ラッド政権が成立した。この労働党新政権は原子力発電導入には引き続き反対するも、選挙直前には労働党の伝統的な政策であった「三鉱山政策」を破棄して、基本的にはハワード政権の制限無しのウラン採掘・輸出政策をそのまま継承することとなり、放射性物質のマカティー・ステーションでの廃棄計画も引き続き検討中である。2009年には南オーストラリア州のフォー・マイル鉱山でのウラン採掘を許可し、その際、当時環境大臣であったピーター・ガレットが「環境に影響なし」というお墨付きを与えて、最終的なゴーサインを与えた。ガレットは、1970年〜80年代には、有名なロックバンド「ミッドナイト・オイル」のリード・シンガーで、反核・反ウラン採掘キャンペイーナーとして全国に知られた人物である。1980年代には核軍縮党(1984年結党、2009年廃党)の結成党員の一人となり、1989〜93年、1998〜2004年にはオーストラリア自然保護協会の会長まで務め、長年にわたってウラン採掘反対を唱えてきた人物である。その彼が、閣僚となるや一変して、「政府が決めたことには反対できない」と主張し、反核・反ウラン採掘運動家たちから顰蹙を買った。

2010年に労働党党首がラッドからジュリア・ギラードに変わり、ギラードがオーストラリア初の女性首相の座に着くと、労働党の政策はますます保守化。2011年末12月4日の党大会で、ギラードは、共産国である中国へのウラン輸出が許可されていながら、NPT批准国ではないといえ、民間利用のためにインドへのウラン輸出が許可されていないのは「非合理」と主張。米国も2008年にはインドと商業原子力技術の支援協定を結んでいるので、インドへのウラン輸出を解禁すべきであると、政策転換の容認を要望した。(インドは今後20年間に原発を30基増やす予定で、したがって大口のウラン購入国となる予定。)これに対し、フォー・マイル鉱山では環境大臣として採掘許可をおろしたガレット(現在は学校教育・若年/青年問題担当大臣)が、強く反対。投票の結果、206票対185票でインドへのウラン輸出許可案が承認されてしまった。かくして、ウラン軍事転用防止という点では極めて不備な、長年維持されてきたフォックス調査会報告書の基本政策ですら、労働党自らの手で廃棄されてしまい、今やオーストトラリアは、購入希望があれば、(米国が敵視しているイランや北朝鮮は別として)どこの国にもウランを売り渡すという無節操な国となってしまった。その結果、オーストラリア各地にあるウラン鉱床に、国内外の資源開発会社が群がりつつあるというのが現状である。

福島原発事故で日本の原発産業に急ブレーキがかかりつつあるため、オーストラリアは他のウラン大口市場を求めてインドや中国への輸出拡大にやっきになっているのである。日本の原発産業が、ヨルダン、ベトナム、インドなどへの技術販売にやっきになっているのも、福島原発事故で国内での事業拡大が望めなくなったからである。かくして福島原発事故は、様々な形で、ネガティブな影響を海外にもたらしつつある。

ギラードは2011年4月下旬、英国皇太子ウイリアム王子の結婚式に出席するために英国に向かう途中で日本に立ち寄った。日本滞在中はほとんど福島原発問題には触れず、電力エネルギーで困っている日本には、オーストラリアはもっと石炭を輸出する用意があると、親切にも申し出た。彼女の宮城県南三陸訪問は、外国の首脳としては被災地を最初に訪問した人物として報道され、地元の人たちに喜ばれたことは、なんとも皮肉である。

ウラン採掘・輸出をめぐって今何が起きているのか

ウラン採掘の最終決定権は各州政府にあるが、北部特別州の場合は「特別領域」であり正式な「州」ではないため、最終決定権は連邦政府にある。そのため、例えば、現在問題になっているアリス・スプリングの北に位置するアンジェラ・パメラ鉱床の開発には、労働党州政府は反対しているが、労働党政権の連邦政府が北部特別州政府の決定を覆す可能性が高い。アリス・スプリングからわずか25キロしか離れていないので、市の住民の飲料水である地下水を汚染する危険性が極めて高いと言われている。カナダの大手資源開発会社カメコがオーストラリアのウラン開発企業パラディン・エネルギー社との共同出資でこの鉱床の採掘を狙っている。中国国営原子力公社もアンジェラ・パメラ鉱床には強い関心を示しており、目下、オーストラリアのウラン探鉱会社エネルギー・メタルズ社の株の70%取得を目指している。

レインジャー鉱山は、前述したようにカカドゥ国立公園に囲まれている世界最大級のウラン鉱山であるが、環境汚染ではこれまでにたびたび問題を起こしている。例えば、2006年のサイクロン「モニカ」がこの地域を通過した際には、多量の雨水が放射能で汚染された鉱滓堆積ダムにたまって溢れ出し、近辺に流れ出した。昨年4月にも、この地域を襲った記録的大雨で、鉱滓堆積ダムが溢れ出す危険に曝された。このダムには100億リットルという大量の高濃度汚染水が閉じ込められている。これを処理する施設は全くなく、増える汚染水をただ単に溜め込み続けているというありさま。この30年間、毎日10万リットルの汚染水がカカドゥ地下の割れ目に漏れ出しているとも言われている。この鉱山は英国系の大手資源開発会社リオ・ティントの子会社ERA (豪州エネルギー資源会社)が運営しているが、2004年には、多くの労働者が汚染された水を飲んだり、汚染水でシャワーを浴びて被曝するという事故も起こしている。

この鉱山の問題は、ダーウインから230キロも離れた人里離れた地域にあるため、その激しい汚染状況が国民にほとんど知られていないことである。元々この地域はミラル族のアボリジニの所有地であり、彼らは毎年2億豪ドルを鉱山使用料として受け取っているが、アルコール中毒者が増え、金をめぐって諍いが絶えず、コミュニティーは崩壊状態にある。ミラル族の伝説によると、この土地が荒らされると、ドゥジャングという恐ろしい力が解き放たれ、世界中を皆殺しにしかねないということである。核兵器による人類破壊を警告するような伝説である。UNESCOがカカドゥ国立公園を「危機状況にある世界遺産」に登録しようと試みたのも、全く不思議ではない。

ミラル族の女性長老イボンヌ・マルガラルは、福島原発事故の後の昨年4月、大震災と原発事故の被災者への深い同情と謝意の気持ちを綴った手紙を潘基文・国連事務総長に送り、「私たちの土地から採掘されたウランが、福島第1原発事故による放射能汚染の原因の少なくとも一部になったことをひじょうに悲しく思う」と述べ、ウラン採掘の停止要求を訴えている。原発によって発電された電気の恩恵を受けて生活してきた私たち日本の市民こそ、アボリジニの土地を破壊し、放射能汚染をもたらしたことに謝罪の言葉を送るべきであろう。その意味では、私たちは、アボリジニの人たちに対しては放射能汚染「加害者」の立場にあるということを、明確に認識すべきではないだろうか。放射能による自分たちだけの被害のみを訴える「脱原発運動」は、自己中心的ではなかろうか。

北部特別州で最近、ウラン採掘を停止できた稀なケースとしてクーンガラ鉱山がある。この鉱山もカカドゥー国立公園内にあるが、昨年半ば、元々国立公園地域から除外されたこの鉱山地域を世界遺産に含める提案を世界遺産委員会が発表した。鉱山経営を行っているフランス国営企業アレヴァ(世界最大のウラン・エネルギー会社)は、なんとかこの計画を阻止しようと画策。オーストラリアではこの時、ちょうど総選挙を控えていたため、労働党政権が環境保護政策の宣伝としてこれを政治的に利用し、クーンガラ鉱山でのウラン採掘許可契約の延長をこれ以上しないことを公約した。この地域の土地所有権を持つアボリジニもこの地を国立公園に寄付することを申し出たため、クーンガラ鉱山は、ウラン採掘が停止される極めて稀なケースとなった。

南オーストラリアの州都アデレードの北500キロメートルに位置するオリンピック・ダム鉱山のウラン埋蔵量は、世界最大である。その濃縮ウラン年間生産量4千トンも世界最大級。乾燥地帯にあるこの鉱山は、主に地下水を使っているが、その量は毎日3.5万トン、製錬には毎日1千2百トンもの硫酸が使われている。この鉱山(金・銀・銅・ウラン鉱石を産出)を経営する英国系企業BHP ビリトン社が、この鉱山を3倍に拡張する計画を進めており、2011年10月10日、連邦政府と南オーストラリア州政府はこの計画を承認した。この拡張採掘では、幅4キロX3キロ、深さ1キロという巨大な穴が掘られる露天掘りとなり、年間4千万トン、100年間(埋蔵量から推測して100年間の採掘が可能)で40億トンにものぼるウラン鉱石採掘が行われる予定である。採掘時に発生するウラン残土、製錬によって排出される鉱滓の量は年間4千万トン。これら全てから放射能が放出される。使用する水の量は毎日15〜20万トンを超えると予測されている。積み上げられる放射能を帯びた鉱滓の砂は、季節風に運ばれ、東海岸のシドニーやメルボルンまで飛んでいく可能性も極めて高い。(この拡張採掘がもたらす危険性については、 http://www.roxstop-action.org/ を参照されたし。)

米国ジェネラル・アトミック社の提携会社、ヒースゲイト資源会社は南オーストラリアのビヴァリー鉱山採掘許可を、2010年に労働党州政府から受けた。2011年に操業を始めたハネムーン鉱山は、三井物産が49%の出資を行っている。

西オーストラリア州は2002年6月から労働党政権の下で、州内のいかなる鉱山でもウラン採掘を許可しないという政策をとってきた。したがって、当時の連邦政府ハワード政権の政策とは真っ向から対立するものであった。しかし、2008年末の州選挙で労働党が敗れ、自由党のコリン・バーネットが州首相になるや、前政権の政策を180度転換。このため、それ以降、次々とウラン採掘計画が進められている。つい最近、州議会野党・労働党の党首エリック・リッパーが引退し、新しい党首マーク・マックガワンに代わったが、マックガワンは新党首に就任したその日に、来年の州選挙で労働党が勝利した場合には、党公約のウラン採掘禁止政策を破棄して、すでに開発計画が決定されている鉱山についてはその継続を容認するという政策変更の意志を表明した。これは、もちろん連邦政府のウラン採掘・輸出の推進政策に影響された結果である。

西オーストラリア州最大のウラン鉱山はイーリリー鉱床で、ここもBHP ビリトン社が採掘権を確保した。近くにはレイク・メイトランド鉱床があり、メガ・ウラニウム社という会社が2013年からの操業予定であるが、2009年2月、このプロジェクトの35%が伊藤忠と関西・九州・四国電力の代理である日豪ウラン資源開発会社に売却された。その南東にあるムルガ・ロック鉱床はエネルギー・ミネラル・オーストラリア社が2014年から操業予定である。西オーストラリア州中央北部にあるキンタイヤー鉱床は元々リオ・ティント社が採掘権を確保していたが、これをカメコと三菱商事が共同で買入れを行い、2015年から操業予定である。

クイーンズランド州は現在、労働党が州政府の座に着いており、ウラン採掘許可を下ろさない政策をとっている。皮肉なのは、オーストラリア労働組合が昨年2月の全国大会で、州政府にウラン採掘禁止政策を廃止するよう求める決議を採択したことである。次の選挙で政権交代の可能性もあるため、資源開発会社もその機会を狙って、すでにいろいろ下準備を重ねている。例えば、2010年2月、日本の独立行政法人・石油天然ガス金属鉱物資源機構は地元の会社ボンダイ・マイニング社に出資し共同事業に乗り出している。中国企業ドラゴン・エネルギー社はディープ・イエロー社との共同事業をすでに2007年末に始めており、州内のウラン鉱床に強い関心を注いでいる。

ここ数年、中国企業のみならずインド企業も、オーストラリアでレアメタルやウラン確保目的で活発な投資活動を行っている。例えば、インドの最大企業の一つ、リライアンス工業社は、2007年にウラン探鉱オーストラリア社との共同事業に入り、南オーストラリアと北部特別州でのウラン確保にすでに乗り出していた。ハワード政権下での中国へのウラン輸出許可、ギラード政権のインドへのウラン輸出許可の背景には、すでに両国の企業が投資という形でオーストラリアに深く入り込んで、連邦政府に圧力をかけていたという事実がある。

結論:グローバルな観点からの反核運動を!

福島原発事故という、チェルノブイリ事故と並ぶ史上最悪の原発事故は、かくして、オーストラリアのウラン採掘・輸出にブレーキをかけるどころか、代替市場を求めてがむしゃらに採掘・輸出を推進させるという逆説的な結果を産み出している。その結果、オーストラリアは、これまで弱いながらも採掘・輸出にかけていた規制を、全て取払ってしまい、採掘も輸出もほとんど全面解禁状態となり、全国あちこちにウラン鉱山が出現するという、いわば「ウラン採掘・輸出の野放し状況」が起きている。

その結果は、国内では、放射能によるさらなる環境汚染と被曝、海外では原発の増加のみならず、原発で作られる核物質の軍事転用を拡大させることに必然的につながってこざるをえない。

私たちは、現在、福島第1原発から放出され続けている放射能の問題との対応に追われる毎日である。確かに、この問題はひじょうに重大であり、国内での反原発運動をさらに強め拡大させていく必要がある。しかし、その一方で、原発の動力源であり、原発問題の根源とも言えるウランの問題が、以上説明したような極めて憂慮すべき状況にあることにも目を向け、グローバルな観点から、広義の意味での「反核」市民運動を、私たちはいかに展開していくべきかについても真剣に考えなければならない状況にある。


田中利幸
1949年福井県永平寺町生まれ。西オーストラリア大学にて博士号取得。現在、広島市立大学広島平和研究所教授。「核兵器廃絶をめざすヒロシマの会」運営委員。主に戦争史、戦争犯罪史研究を専門とする。著書に『知られざる戦争犯罪』(大月書店、1993年)、『空の戦争史』(講談社、2008年)、Hidden Horrors: Japanese War Crimes in World War II (Westviews, 1996) , Comfort Women: Sexual Slavery and Prostitution during World War II and the US Occupation (Routledge, 2001)、 共著に『原発とヒロシマ 「原子力平和利用」の真相』(岩波ブックレット、2011年)、編著に『戦争犯罪の構造:日本軍はなぜ民間人を殺したのか』(大月書店、2007年)、共編著にBombing Civilians: A Twentieth-Century History (New Press, 2009), Beyond Victor’s Justice?: The Tokyo War Crimes Trial Revisited (Brill Academic, 2011)などがある。趣味は尺八古典本曲演奏。

Friday, February 24, 2012

大阪市「労使関係に関する職員のアンケート調査」原文

大阪の友人のIさんより。
311後も含めて日本はあまりにもひどい閉塞感のなかで、変化を求める声は大ですが「民意」というのは、恐い面もありますね。「民意」(大阪・橋下市長が好んで使う)が選んだ橋下市長の進めようとしている政策はことごとく民主主義、憲法に反するものばかりです。
・・・今 大阪市職員に対して、組合活動への参加や、選挙への応援の参加について、アンケートを始めました。しかも、それは職務命令ということで、正確に書かないと処分もありという内容です。密告システムづくりでもあります、恐怖政治です。添付の原文をお読みください。報道もされていますが、やはり原文を見てほしいですね。

大阪弁護士会・その後日本弁護士会会長声明が出されて「憲法」「労働基準法」違反の、不当労働行為にも当たる、直ちに中止をと。また連日市役所の前でいろんな団体、市民有志 がびらまきをしましたが。このアンケートに彼の本質が見えます。
以下に原文を掲載するが、背筋が寒くなる内容だ。「正確な解答をしない場合は処分の対象になる」とし、自らの違法行為を報告した場合懲戒処分を軽減するが、「特に悪質な場合を除いて免職としない」ということは、「悪質」の場合は免職すると宣言しているのである。職員の組合活動を一部始終報告させ、街頭宣伝を聞いたことまで政治活動として報告させようとしている。組合や政治活動に関与している人を匿名で密告させるシステムまで完備している。このような思想調査を公務員に対して行っている。これはいつの時代のどこの国の話か、と思う。このような暴挙を許してはいけない。(関連報道下方参照)@PeacePhilosophy












関連報道

朝日新聞


2012年2月23日

大阪市が全職員を対象に労働組合や選挙活動への関与を問うアンケートをした問題で、大阪府労働委員会は22日、「(不当労働行為の)支配介入に該当するおそれのある(質問)項目があるといわざるを得ない」として、橋下徹市長らの責任で調査続行を差し控えるよう勧告した。労働委員会が労働組合法違反の有無の審査手続きに入る前に、違法性を示唆する勧告書を出すのは極めて異例だ。

 府労委は今後、弁護士や大学教授らで構成する公益委員会議で、不当労働行為の有無を判定。違法性があると認定されれば、市側にアンケートの破棄などを求めた職員労働組合側の救済申し立てが認められる可能性が高い。

 市は今月10~16日、市特別顧問の野村修也弁護士ら調査チームが主体となり、全職員を対象に「労使関係に関するアンケート」を実施。職員労働組合への加入の有無や労組活動への参加、選挙活動への関与など22項目の質問に答えるよう求めた。橋下氏は調査に当たって職員向けに出した説明文書で、業務命令で回答を求め、回答しない場合は処分対象になり得ると通知した。

 これに対し、職員約3万人が加入する市労働組合連合会(市労連)はアンケートの内容について、使用者が労働組合の結成や運営に対し支配・介入することを禁じた労働組合法に違反すると主張。府労委に対し13日、「不当労働行為に当たる」として、アンケートの破棄や市長の謝罪を求める救済を申し立てていた。その後、弁護士会などからも「基本的人権を侵害している」などとの批判が続出。野村氏は調査の一時凍結を表明した。
NHK
メール調査 橋下市長と異なる認識


2月23日 6時43分
大阪市の橋下市長が、職員の政治活動などを確認するためと説明した、メールの調査について、調査に当たっている弁護士は、「職員の違法行為全般を確認するためで、政治活動の確認が目的ではない」と説明し、橋下市長とは異なる認識を示しました。

調査では、橋下市長の指示を受けて外部の弁護士などで結成された調査チームが、職員およそ150人分の業務用のメールのデータを、対象の職員には通知せずに市側から受け取っていて、橋下市長は調査の目的について、22日、職員の政治活動や組合活動などを確認するためだと主張していました。
これについて、調査チームのリーダーで、市の特別顧問を務める野村修也弁護士は、22日夜、記者団に対し、「メール調査の対象は、いずれも組合員ではなく管理職で、内部告発に基づき、地方公務員法の職務専念義務に違反している可能性のある職員に限って調査した。違法行為全般を確認するためのもので、政治活動の確認が目的ではない」と述べ、勤務時間中に業務以外のメールを送っていなかったかなどを調べるためだと説明し、調査目的について、橋下市長とは異なる認識を示しました。



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Monday, February 20, 2012

『フォーブズ』掲載 ダグ・バンドウ「沖縄は沖縄の人々に返せ」和訳 (ガバン・マコーマック解説) Japanese translation of Forbes article "Give Okinawa Back to the Okinawans" by Doug Bandow

This is a Japanese translation of "Give Okinawa Back to The Okinawans" by Doug Bandow, Senior Fellow at the Cato Institute, which appeared in Forbes on January 23, 2012, while 24 members of the Okinawan delegation were visiting Washington, D.C. We also provide Japanese translation of Gavan McCormack's introduction to Bandow's article, which appeared in the Asia-Pacific Journal: Japan Focus, on January 25. (Bandow's article translated by Natsuko Ito, and McCormack's introduction by Satoko Oka Norimatsu)

1月23日、沖縄訪米団の糸数慶子参議院議員らが訪問したシンクタンク「ケイトー研究所」のダグ・バンドウ氏が『フォーブズ』に、「沖縄は沖縄の人々に返せ」という寄稿をした。この記事は『アジア太平洋ジャーナル:ジャパンフォーカス』に転載され、オーストラリア国立大学のガバン・マコーマック氏が解説しており、その解説文和訳とともに、ここにバンドウ記事和訳を紹介する。@PeacePhilosophy


ガバン・マコーマック解説 (翻訳 乗松聡子)


1月末、沖縄の訴えを米国に届けるため、24人からなる派遣団がワシントンを訪れた。この訪米団には、国会議員、県会議員、市町村議員も含まれていた。
沖縄訪米団は、知事をはじめ選挙で選ばれた議員たちのほとんど全てが反対しているにもかかわらず、沖縄北部の自然豊かな環境に海兵隊基地を建設しようとしてきた日米政府の動きに抗議した。また、沖縄が重要な役割を果たすとされる民主主義国家の防衛は、沖縄県民自身の民主主義を否定するのでは成り立たないと指摘した。そして二ヶ国政府がずっと沖縄の声を無視して頭越しで協議や政策決定を行ってきていること、さらに、ずっと沖縄県民を騙し、利用し、差別し、民意を否定してきたことに対して抗議した。そして主権は人民に在することを強調した。
こういった訴えがワシントンの政策立案者集団にどれだけ伝わったのかは今後明らかになっていくと思うが、1月23日『フォーブズ』に掲載されたこの記事は、早い段階で発表された注目すべき成果と言えよう。
ケイトー研究所のダグ・バンドウは、現状の不正を指摘し海兵隊の新基地建設計画を中止するように呼びかけた初めてのアメリカ人とは言えないが、彼はこの記事で更に踏み込んだ発言をしている。彼は、米国が「沖縄と日本の他の場所から軍施設を、・・・撤去すべきである」と言い切っている。それが日本が「米国の保護国である地位から脱出する唯一の方法」であると。また、海兵隊は、抑止力としても実戦に出る可能性のある部隊としても軍事的目的を果たさないと、バンドウは主張する。中国を封じ込める必要があるのなら、日本は「この地域の安全と安定維持に自らが必要とみなす手段」を講じるべきであると。要するに、米国は辺野古の基地建設を中止するだけでなく、沖縄と日本本土の基地機構全てを清算するべきと言っているのである。バンドウは在韓米軍基地についても同様の見解を示している。皮肉なことに、このような急進的な要求を明言するのは保守派論客なのである。
バンドウは平和主義者ではない。彼の言う日米軍事同盟の解体は、日本の軍隊の役割増大、日本軍が米軍に取って代わることを意味する。日本国憲法において、武力の保持、使用、武力による威嚇を禁ずる第九条を、バンドウは時代錯誤で意味を持たないものと見ているようだ。
沖縄県民はバンドウのメッセージを聞いて最初は歓迎するかもしれないが、それは実は重大な意味を持っている。結果的に日本軍が米軍に取って代わるだけだったら、沖縄の抵抗運動にとっては、苦く、犠牲が大きすぎる勝利と言わざるを得ないからだ。
ここに沖縄にとっての、ジレンマでもあり戦略的課題とも言えることがある。それは、ロナルド・レーガン大統領の特別補佐官も務めたこともあり、保守リバタリアン主義、ケイトー研究所の中心的存在であるバンドウのような保守派からの「後押し」と、武力によらない地域の平和と安全というビジョンを明確化し、深化する作業の間で、どう折り合いをつけていくかということである。
ガバン・マコーマック

沖縄は沖縄人に返せ


ダグ・バンドウ

翻訳 伊藤夏子 翻訳協力 乗松聡子


米国はあまりに拡張し、過度の負担を負っている。しかし、ワシントンの政治家は全世界で米軍の軍事プレゼンスを維持する決意である。財政上の圧力から、オバマ政権は十年間続いた軍事費大幅増加の速度をついに落とさざるを得ない。だが、国外の米軍駐留地には手をつけない。ロバート・ゲイツ前国防長官は「米国は東アジアの前線において確固としたプレゼンスを維持する覚悟だ」と宣言した。

これはつまり、沖縄にある多くの基地を維持することを意味する。沖縄の基地は1945年半ばに米国が日本帝国軍を打ち負かして以来、この島の住民たちの負担になってきた。それから70年近く経ったが、米国政府はこの負担を軽減する如何なる手段をも講じることを拒否している。それどころか2010年、オバマ政権がかけた圧力は、この問題をめぐり日本の鳩山由紀夫首相を辞任に追い込むことになった。

米国政府はどの同盟関係においても、自分が格上の存在であり、今後も格上であり続けることに固執する。米国は同盟国を守ると言うが、それはあくまでも自分たちの言うとおりの条件において、である。沖縄の場合、米国はそこに基地が欲しい。それも永久に欲しいのである。今週、沖縄から国会、県会、市議会議員から学生まで30人程が、沖縄県民の基地負担を米国人に訴えるために首都ワシントンを訪問している。

沖縄の苦難の道のりは長い。沖縄本島が最大の島である琉球諸島は、有史時代の大半は独立していた。領土が日本帝国に征服されたのは近代である。沖縄の人々は日本政府から全面的に信頼されたことが一度もなく、第二次世界大戦末期には凄まじい苦しみを味わった。

「鉄の暴風」と呼ばれる米軍侵攻は1945年4月から6月にかけて行われた。戦闘は容赦なかった。民間人の犠牲者は15万に上るとされる。戦後、米国は日本を占領し、沖縄を文字通り植民地にした。沖縄が日本に返還されたのは、戦争終結後27年を経た1972年であった。

しかし、米軍は島の多く、面積にして約20%を支配し続けている。長いフェンスが、住民たちを祖先の土地から隔離している。航空基地が住宅地のど真ん中にある。最上級のビーチは米軍の支配下にある。大勢の若く血気盛んな外国の男たちが地元の人々の暮らしを変える。それも、しばしば良くない方向に、である。

沖縄人たちは長年、苦痛の軽減を求めてきた。1995年、少女が強姦され、米軍司令官が無神経な発言をするや否や、人々の怒りは爆発した。しかし、大規模な抗議集会が開かれたにもかかわらず、何も変わらなかった。沖縄の人々は日米同盟という厳しい壁に立ち向かうこととなった。

米軍が沖縄を好むのは、地理的な中心地点にあるからだ。米国国防総省も、費用を払ってまで海兵隊遠征軍を移転したいとは思っていない。ワシントンにとって、沖縄人が被る不都合は、日米関係がこじれるという意味以外では問題にならない。バートン・フィールド在日米軍司令官は「海兵隊移設先を早く建設すればするほど、我々に対する憎悪も早く収まるだろう」として、「沖縄の抵抗」を切り捨てた。

しかし、沖縄の苦痛の本当の源は日本政府である。米国政府は沖縄県政府ではなく、日本政府と交渉する。米国の観点では、地元の利害を調整する責任は米国でなく日本政府にある。

一方の日本政府もまた、日本本土から離れているという地理上の理由から、沖縄に基地を集中させることを好む。日本の米軍施設のおよそ4分の3(面積)と米軍関係者の半数が、日本領土の0.6%の面積しかない、最も遠方の、最も貧しい県に配置されている。およそ6割の日本人が沖縄への負担に批判的だが、自宅近隣に米軍基地を望む者はいない。

米軍のプレゼンスに手を着け、いじる案はいくらでもある。日本政府は10年にわたる交渉を経て、2006年に、海兵隊の一部をグアムに移転し、普天間基地を、島の中でもより人口の少ない辺野古に移設することに合意した。この計画は誰にとっても満足するものではなかった。米軍にとっては不便で、日本政府にとっては金がかかり、沖縄の助けにもならない。2009年の国政選挙の際、当時の野党民主党はこの合意に反対した。政権をとった民主党鳩山首相は「現行案を受け入れるなどという話はあってはならない」と述べた。

民主党新政権の意図は良かったが、この政権は、オバマ政権が最も近い同盟国の一つである日本との軍事関係の見直しを完全に拒絶するとは予想していなかった。民主党は、より対等な関係を築くと発言したが、そのような同盟の運用は米国のやり方ではない。日本の人々や政策立案者もまた、米国との関係を変える準備ができていなかった。最初の民主党政権は米国の圧力の下、崩壊した。

とはいえ、普天間の移設計画が鳩山氏の首相の座より現実性のあるものかといえばそうでもない。米国会計検査院の試算によると海兵隊のグアム移転費用は当初の約3倍で、290億ドルを超える。米国議会はこの計画のための今年度予算を全て削減した。上院議員のカール・レビン(ミシガン州選出・民主党)、ジョン・マケイン(アリゾナ州選出・共和党)、ジム・ウェッブ(バージニア州選出・民主党)は、現行案を「非現実的、実行不可能かつ財政的に困難」とした。

日本もまた、現行案に2012年度の予算をつけなかった。日本政府は言ってみれば、何もせずに流れに任せようとしている。そうすることが1995年の強姦事件の後も、「成果をあげた」。人々の抗議は最終的に収まった。2010年にも再び大規模な抗議行動が起きたが、これも下火になった。

日本の指導者は、沖縄人はまだ中央では殆ど力を持たないので、少なくとも短期的には、今回も何もしなければうまくいくと期待する。去年、菅直人首相は沖縄の住民に「[県外移設を]あらゆる角度から検討したが、現状が許さない」と述べた。日本政府は長年、アメと鞭を同時に与え、地元住民を服従させてきた。

住民の不服従が流れを変える可能性はある。2010年5月、1万7千の沖縄人が普天間を人間の鎖で囲んだ。最近では200人の抗議者によって、防衛省が新滑走路建設の環境影響評価書を沖縄県庁に運び込むことを遅らせた。抗議者に対する武力行使は日本政府の寿命を脅かし、米国政府にとってもバツが悪い。

沖縄の要求を拒絶するのではなく、米国は自主的に沖縄の軍事プレゼンスを縮小すべきである。太平洋軍アジア太平洋安全保障研究センターのジェフリー・ホーナングは「このことが沖縄にもたらしている問題の大きさを考えれば、ついに見直す時がきた」と述べた。

しかし、米軍施設は症状であって、原因ではない。基地が存在するのは日本の防衛を支援するためである。また、海兵隊遠征軍はどこにでも展開可能で、朝鮮半島に戦争が起こった場合、このことが明白になる。

日本に基地を設置せずに、米国が日本を守ることを期待するのは非現実的である。しかし、米国は日本に対する安全の保証を止め、沖縄と日本の他の場所から軍施設を、移設するのではなく、撤去すべきである。さらに、オーストラリアを始め東アジアに新たに軍を増強するのではなく、米国はこの地域全域から軍を撤退させ、基地を閉鎖すべきである。第二次大戦が終ったのは67年前である。米国は最早、繁栄を遂げた能力ある多くの同盟国のために安全を保障する必要はない。

日本は米国の保護国である地位から脱出する唯一の方法として、この方策を支持すべきだ。日本は米国の要求に応じるために、実質的に自国領土の支配権を放棄している。オバマ政権は、より対等な関係を目指すとした2009年の民主党の選挙公約を阻んだが、安全保障の議論が進むにつれ、日本国民が日米関係にさらに多くの疑問を抱くようになるのは避けられない。

ワシントン大学のケネス・B・パイル教授は「(日米)関係における米国の優位があまりに極端なことから、同盟の調整は行われなければならないが、もう一つの理由として、近代日本の基本目標が常に自立と自制であったことが挙げられる」と述べた。

多くの日本人が今でも米国に自国の防衛を期待することは驚くにあたらない。友好的な超大国に防衛を依存すれば、自国の資源を他の分野に回せる。米国との同盟はまた、日本の外交上の責任を軽減してくれる。さもなければ、日本帝国軍の侵略行為が今なお忘れられない隣国を安心させなければならない。

より奇妙なのは、日本の防衛のために支出を続ける米国の決意である。米国政府は3年連続で1兆ドルを超える負債を抱え、破綻している。社会保障費と医療保障費(Medicare)の未積立債務だけで100兆ドルを超過している。その他の様々な支出がさらに100兆ドルである。それでもなお米国の政治家は東アジアにおける恒久的かつさらなる米軍のプレゼンスを当然のこととしている。

米国の父親的干渉には、二つの理由がある。一つは、中国を抑えるためである。フィールド司令官は中国を指して「この地域のほとんどの国が、安全で安定した地域であり続けることを望んでいる」と言明した。

海兵隊が実際どのように中国を封じ込めるかは不明である。ロバート・ゲイツが認めるように、米国の政治家はアジアで新たに陸上戦を行うと言うならばまず自分の頭を検査すべきである。万が一中国と紛争が起きたとしても、米国が頼るのは空軍と海軍である。

中国脅威論がしつこく語られているものの、中国が米国に被害を与える立場にはなく、また、そうなるまでには何年もかかる。中国の軍事費は米国よりはるかに少ない。米国を攻撃するためでなく、米国に攻撃されないよう中国は熱心に努力している。

日本や近隣諸国は、米国よりも中国と距離が近く、中国よりも軍事力が弱いので心配するのももっともだ。しかし、中国のリスクを査定し、それに対応するのは米国ではなく各国の責任である。彼らはフィールド司令官のいうように、この地域の「安全と安定」維持に自らが必要とみなす手段を講じるべきである。中国が米国を抑止しようとするように、彼らも中国の抑止に努めるべきだ。

日本はすでに有能な軍隊を構築しており、それは、米国による占領期に米国の強い意向で発効した憲法による制約を避けるために「自衛隊」と呼ばれている。しかし、日本政府は決して自衛隊の能力に見合うだけの投資をしてこなかった。それどころか最近、日本政府は自衛隊予算を削減すると発表した。もし中国や、常に予測不可能な北朝鮮の脅威にさらされていると考えるなら、日本はもっと力を入れるべきである。

日本が、韓国のように似た考えを持つ国々とより緊密に協力すべきもっともな理由もある。日韓関係は、他の隣国との日本の関係もそうであるように、歴史の傷を負っている。しかし、米国がこの地域を安全保障の毛布で包んでいる限り、アジアの同盟諸国にとって、愛国主義を国内政治に利用することを避け、歴史の問題に取り組む動機付けがない。米国の安全保障を取り去れば、米国以外の国々が協力し合う動機が高まる。

近年、中国は領土の主張をめぐって近隣諸国と厳しい駆け引きを展開している。この対応は中国の姿勢に対する関係諸国の懸念を高め、軍事費の増大、とりわけ海軍の軍備計画強化をもたらしている。これは、米国がこの地域に配備する艦船をさらに建造するよりはるかに望ましいことだ。

政治家の中には地域の安定化促進についてより広く語る者もいるが、沖縄駐留の海兵隊遠征軍の派遣が必要な有事を想定するのは難しい。仮に北朝鮮が侵略してきても、兵士が豊富な韓国に数千人の海兵隊は必要ない。仮に何か分らない「何か」がフィジーやソロモン諸島、インドネシア、ビルマ、カンボジアといったこの地域で最も不安定な国々で発生したとしても、米国が地上部隊の投入を検討しなければならない理由を想像するのは困難だ。地政学上の問題は米軍の自動的関与を正当化するものではない。ロナルド・フォーゲルマンは空軍参謀長当時、海兵隊には「軍事的機能はない。彼らが沖縄にいなければ間に合わない戦争などあり得ない」と認めた。

日米関係の第二の目的は日本を抑えることである。かつてヘンリー・スタックポール少将が無骨に語った有名な、「日本の再軍備、再起」を阻止するための「ビンの蓋」論である。である。この主張は日本の官僚さえもが時に利用してきた。すなわち、日本帝国海軍が再び太平洋をうろつくことを望まないだろうから、日本を守ってくれというものだ。

しかし、平和と民主主義が何十年も続いた後、「日本が再び攻撃するのを抑止しろ」という主張は廃れつつある。この世に確実なものなどないとはいえ、狂信的な少数を除いて軍国主義復古の徴候はない。日本ではわずかな平和維持軍の派遣でさえ大変な議論を呼んだ。あたかも日本人が倍の原罪を背負っているかのように接するべきではない。

さらに、米国は軍事の透明性と多国籍主義を推進することで地域の懸念を和らげることができる。日本は軍事力と外交を超大国に対する防御と抑止に適合させるべきだ。大きな軍隊がなければ、日本は仮に望んだとしても、どこも領有することはできない。

しかし、日本がもっと防衛に力を入れるかどうか、また、そうだとすると実際に何をするのか、誰と行うのかは日本の人々次第だ。米国の出る幕ではない。

日米が軍事同盟を終えることは、両国が関係を放棄することではない。経済や家族、文化の強い絆は続く。さらに、二国は軍事協力もするべきであろう。今後も情報の共有、緊急時の基地利用、演習、装備の事前配備、その他の協力をしていくことが適切だ。米国は、日本のような同盟国がもし潜在的覇権国の脅威に晒されたときには支援する用意のある、「沖合のバランサー」として行動することができる。しかし、米国は最早、重要性の低い地域紛争を細かく管理しようとはしない。

このようなスタンスをとることは、米国と日本の人々に有益であるし、とりわけ沖縄の人々に有益である。米国は同盟諸国との関係の転換をしていくべきであり、今こそ、まず日本を相手に始めるべきである。

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『フォーブズ』サイトの原文はこちら

Give Okinawa Back To The Okinawans

Doug Bandow

The U.S. is overextended and overburdened, but Washington policymakers are determined to preserve America’s dominant military presence around the globe. Financial pressure is forcing the administration to finally slow a massive, decade-long increase in military spending, but American garrisons overseas remain inviolate. Former Defense Secretary Robert Gates declared: “The U.S. remains committed to maintaining a robust forward presence in East Asia.”

That means preserving multiple bases in Okinawa, which have burdened island residents since the U.S. defeated imperial Japanese forces there in mid-1945. Nearly seven decades later Washington refuses to take any meaningful steps to lighten the load. Indeed, Administration pressure in 2010 helped force the resignation of Japanese Prime Minister Yukio Hatoyama over the issue.

The American government insists that it is and always will be the senior partner in any alliance. Washington will protect you, but only on its terms. In this case, the U.S. wants bases in Okinawa, and wants them forever. Nearly 30 Okinawans, ranging from elected officials to students, are visiting Washington, D.C. this week to tell Americans about the resulting burden on the people of Okinawa.

Okinawa’s travails have a long history. The Ryukyu Islands, of which Okinawa is the largest, were independent throughout most of their history. Only late was the territory conquered by imperial Japan. Okinawans were never fully trusted by Tokyo and suffered horribly in the closing stages of World War II.

The so-called “Typhoon of Steel,” as the American invasion campaign was called, ran from April through June in 1945. Combat was brutal. Estimated civilian casualties ran up to 150,000. The U.S. occupied Japan after the war and turned Okinawa into a veritable colony. Only in 1972, 27 years after the conclusion of the war, was the island turned back to Japan.

However, the U.S. military continues to control much of the island, roughly 20 percent of the land mass. Long fences separate residents from property owned by their ancestors. Air bases crowd civilian neighborhoods. Prime beaches remain under U.S. military control. Thousands of young, aggressive foreign men transform local life—and often not for the good.

Frustrated Okinawans have been asking for relief for years. Anger exploded in 1995 after the rape of a teenage girl and insensitive comments of the U.S. military commander. But nothing changed, despite large demonstrations. Okinawans faced a hostile partnership between the American and Japanese governments.

The U.S. military likes Okinawa because of its central location. Nor does the Pentagon want to pay to relocate the Marine Expeditionary Force. Inconvenience for Okinawans is not a concern in Washington, other than the extent to which it complicates the U.S.-Japan relationship. Gen. Burton Field, commander of U.S. forces in Japan, dismissed the “resistance in Okinawa” with the observation that “the sooner we are able to build a better place for the Marines to operate, the sooner we will put some of this animosity behind us.”

However, the real author of the Okinawans’ distress is Tokyo. The U.S. government negotiates with the national Japanese authorities, not the Okinawan prefectural government. From Washington’s perspective, responsibility to accommodate local preferences lies with Tokyo, not the U.S.

But the Japanese government also favors concentrating bases in Okinawa because of its location—its distance from the rest of Japan. Roughly three-fourths (by area) of U.S. military facilities, with half of American military personnel are located in Japan’s most distant and poorest prefecture, making up just .6 percent of the nation’s territory. Although nearly six of ten Japanese is critical of the resulting burden on Okinawa, none of them wants another U.S. base near their neighborhood.

Proposals abound for tinkering with the American presence. In 2006 after a decade of negotiation the Japanese government agreed to pay to help move some Marines to Guam and relocate Futenma airbase to less populous Henoko elsewhere on the island. The initiative was designed to satisfy no one: inconvenient to the U.S., expensive to Japan, and unhelpful to Okinawa. In Japan’s 2009 election the opposition Democratic Party of Japan opposed the proposal. After taking office, DPJ Prime Minister Hatoyama declared: “It must never happen that we accept the existing plan.”

The new government’s intentions were good, but it did not expect the Obama administration’s unyielding refusal to reset Washington’s military relationship with one of its closest allies. The DPJ had spoken of creating a more equal partnership, but that is not how America conducts alliances. Nor were Japanese policymakers—and people—ready to challenge the relationship. The first DPJ government collapsed under U.S. pressure.

Yet the Futenma plan appears to be no more viable than the Hatoyama premiership. The Government Accountability Office figures that relocating the Marines to Guam likely will cost more than $29 billion, nearly triple the initial estimate. Congress cut all money for the project this year. Senators Carl Levin (D-Mich.), John McCain (R-Ariz.), and Jim Webb (D-Va.) called the proposal “unrealistic, unworkable and unaffordable.”

Japan also slashed 2012 financial support for the move. Tokyo is inclined to simply kick the can down the road, so to speak. Doing so “worked” after the 1995 rape; protests eventually died down. Large demonstrations erupted again in 2010 but then ebbed.

Japanese leaders hope that doing nothing will work again, at least in the short-term, since Okinawans still have little clout in Tokyo. Prime Minister Naoto Kan last year told island residents that “We have reviewed [moving operations out of Okinawa] from every angle, however, and the current situation would not allow it.” For years Tokyo has attempted to simultaneously bribe and browbeat local residents into submission.

Civil disobedience is a potential game-changer. In May 2010 17,000 Okinawans created a human chain surrounding Futenma. More recently roughly 200 demonstrators delayed delivery of an environmental impact report on a new runway from the defense ministry to the prefectural government. Using force against protestors would threaten a future Japanese government’s survival and embarrass Washington.

Rather than resist Okinawan demands, the U.S. should voluntarily reduce its military presence on the island. Jeffrey Hornung of the Asia-Pacific Center for Security Studies observed: “Given how much problems this is causing in Okinawa, it’s finally time to rethink things.”

But American military facilities are a symptom, not a cause. The bases exist to support the defense of Japan. The MEF also is available for deployment elsewhere, most obviously in a war on the Korean Peninsula.

It is unreasonable to expect Washington to defend Japan without bases in Japan. But the U.S. should end its security guarantee and then remove, rather than relocate, its military facilities in Okinawa and elsewhere in Japan. Indeed, instead of augmenting its forces elsewhere in East Asia, such as in Australia, Washington should withdraw and demobilize troops and close bases throughout the region. World War II ended 67 years ago. America no longer need guarantee the security of its many prosperous and capable allies.

Japan should endorse this step as the only way to escape its status as an American protectorate. Tokyo has essentially relinquished control over its own territory to comply with U.S. demands. Although the Obama administration frustrated the 2009 DPJ campaign pledge to create a more equal security partnership, Japanese citizens will inevitably raise more questions about the bilateral relationship as they debate security issues.

Prof. Kenneth B. Pyle of the University of Washington argued that “the degree of U.S. domination in the relationship has been so extreme that a recalibration of the alliance was bound to happen, but also because autonomy and self-mastery have always been fundamental goals of modern Japan.” Even as Prime Minister Hatoyama was beaten by Washington he looked to the future, observing: “Someday, the time will come when Japan’s peace will have to be ensured by the Japanese people themselves.”

That many Japanese still look to America for their defense is hardly surprising. Relying on a friendly superpower for protection frees domestic resources for other purposes. The alliance also eases Tokyo’s diplomatic burden, which otherwise would include reassuring neighbors still obsessed with Imperial Japan’s military depredations.

More curious is Washington’s determination to keep paying for Japan’s defense. The U.S. government is broke, having run deficits exceeding $1 trillion three years running. Unfunded liabilities for Social Security and Medicare alone exceed $100 trillion. A potpourri of other financial obligations account for another $100 trillion. Yet most U.S. policymakers presume the necessity for a permanent, even enhanced American military presence in East Asia.

There are two different rationales for Washington’s paternalistic role. The first is to contain China. Pointing to the People’s Republic of China, Gen. Field declared: “Most of the countries in this region want to see this remain a secure and stable region.”

Exactly how the Marines help contain Beijing is not clear. As Robert Gates observed, U.S. policymakers would have to have their heads examined to participate in another land war in Asia. If a conflict with China improbably developed, Washington would rely on air and naval units.

Moreover, despite persistent fear-mongering about Beijing, the PRC is in no position, and for many years will not be in position, to harm the U.S. Chinese military spending remains far behind that of America. Beijing is working mightily to deter the U.S. from attacking China, not to attack America.

Japan and its neighbors have greater reason to worry, being closer to and weaker than the PRC. However, it is up to them, not Washington, to assess the risk and respond accordingly. They should take whatever steps they deem necessary to ensure that their region remains “secure and stable,” as Gen. Field put it. Just as China is seeking to deter the U.S., they should seek to deter Beijing.

Japan already has constructed a capable military, called a “Self-Defense Force” to get around a constitutional prohibition originally enacted at the insistence of Washington during the American occupation. But Tokyo has never invested resources commensurate with its capabilities; in fact, the government recently announced that it was reducing SDF outlays. If Japan believes itself to be threatened by China, as well as ever-unpredictable North Korea, then Tokyo should do more.

There also is good reason for Japan to work more closely with like-minded states such as the Republic of Korea. This bilateral relationship, like others involving Tokyo, remains tainted by history. But so long as Washington essentially smothers the region with its security blanket, allied states have little incentive to eschew taking domestic political advantage of nationalistic sentiments and work through historic difficulties. Take away the American guarantee, and other states have a much greater incentive to cooperate.

Indeed, in recent years Beijing has exhibited sharp elbows in its relationship with other states over territorial claims. The response has been to exacerbate regional concerns over Chinese behavior and spark increased military spending, and in particular naval procurement programs. That is far better than expecting Washington to build more ships to deploy to the region.

Some policymakers talk more broadly about promoting regional stability, but it’s hard to imagine a contingency requiring deployment of the Okinawa-based MEF. Manpower-rich South Korea doesn’t need a few thousand Marines if the North invades. Even if “something,” whatever that might be, happened in Fiji, the Solomon Islands, Indonesia, Burma, or Cambodia—among the least stable states in the region—it is hard to imagine why the U.S. would consider intervening with ground troops. Not every geopolitical problem warrants an automatic American military response. Then-Air Force Chief of Staff Gen. Ronald Fogelman admitted that the Marines “serve no military function. They don’t need to be in Okinawa to meet any time line in any war plan.”

The second purpose of the U.S.-Japan alliance is to contain Tokyo—or as Maj. Gen. Henry Stackpole famously but inelegantly put it, to maintain “the cap in the bottle” preventing “a rearmed, resurgent Japan.” It is a claim that even Japanese officials have used on occasion: protect us, since surely you don’t want the Imperial Japanese navy wandering the Pacific again.

But the “stop us before we aggress again” argument has grown thin after decades of peace and democracy. While there are no certainties in life, there is no evidence of resurgent militarism among more than a fanatic few. Deploying even a few peace-keeping troops has proved to be highly controversial for Tokyo. The Japanese should not be treated as if they possess a double dose of original sin.

Moreover, Washington could help ease regional concerns by promoting military transparency and multilateralism. Tokyo should adapt its forces and relationships to defense and deterrence against a superior power. Without a large army, Japan could not occupy anyone even if it wanted to.

But whether Tokyo does more and, if so, precisely what it does, and with whom, should be up to the Japanese people. It is not America’s place to dictate.

Dropping the U.S.-Japan military alliance would not mean abandoning the U.S.-Japan relationship. Economic, family, and cultural ties would remain strong. Moreover, the two countries should cooperate militarily. Shared intelligence, emergency base access, training maneuvers, pre-positioned materiel, and other forms of cooperation would remain appropriate. The U.S. could act as an “off-shore balancer,” ready to aid allied states such as Japan if threatened by a potential hegemon. But Washington no longer would attempt to micro-manage regional disputes of lesser consequence.

Adopting such a stance would be in the interests of the American and Japanese people. And especially in the interest of the Okinawan people. The U.S. should begin transforming its alliance relationships. Now is a good time to do so with Japan.
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This article is available online at:
http://www.forbes.com/sites/dougbandow/2012/01/23/give-okinawa-back-to-the-okinawans/

Monday, February 13, 2012

近藤紘子『バンクーバー新報』インタビュー An Interview with Koko Kondo in Vancouver Shinpo

カナダ・バンクーバーの日本語週刊誌『バンクーバー新報』2012年2月9日号に掲載された、近藤紘子さんと、ピース・フィロソフィー・センターへのインタビュー記事を紹介します。転載を許可いただいたバンクーバー新報と、インタビュー、執筆を担当されたライターの三島直美さんに感謝いたします。@PeacePhilosophy

この記事は『バンクーバー新報』オンライン版でも見ることができます(パート1 10,11ページ)。

近藤さんはバンクーバー、ビクトリア、シアトルでの講演の予定を終え、帰途につかれました。彼女のストーリーは、著書『ヒロシマ、60年の記憶』(リヨン社と徳間書店から刊行)でどうぞお読みください。

Monday, February 06, 2012

『月刊ふれいざー』2月号 近藤紘子講演報告

1月29日、バンクーバーユニタリアン教会で開催した近藤紘子さん講演のレポートが『月刊ふれいざー』2月号に掲載されました。『ふれいざー』の許可をいただきここに転載します。紘子さん西海岸訪問の最後の公開イベントは2月7日、シアトルのワシントン大学で行います。@PeacePhilosophy


Sunday, February 05, 2012

Inspiring, empowering, and heartwarming - Koko Tanimoto Kondo will speak at University of Washington, Seattle, 3:45 PM February 7 近藤紘子シアトル講演(於ワシントン大学 2月7日3時45分)


Koko Tanimoto Kondo at a gathering
in White Rock, BC, February 4

"I have had the privilege to travel with Koko and hear her story twice now and have been truly grateful for the experience. She is an exceptionally strong person for sharing and reliving her powerful story year after year. Anyone who takes part in listening to her story will remember it vividly for the rest of their lives as I know I will. Any hibakusha(atomic-bomb survivor)'s tale is something you will never forget and be privileged to listen to, and I hope you will be as grateful to Koko as I am for sharing it yet again."

-- Tammy Mueller, past participant from the Hiroshima/Nagasaki Study Tour of 2010 from Webster University, St. Louis







"Meeting Koko Kondo provided one of the indelible aspects of the American University peace study trip to Japan. The insights she shared about bomb's affect on her life, and the lives of others, stories about her father and the people of Hiroshima, provided all participants something of rare value. Her wisdom, sense of humor, and optimism were deeply moving. I look forward to seeing her again."
Koko speaks at the University of Victoria, BC, January 31
(A Neil Burton Memorial Lecture)

-- John Chappell, professor of history at Webster University, a participant of the Hiroshima/Nagasaki peace tour of 2011


If you would like to hear Koko's talk, this may be the last chance in North America in a while. She will speak at the University of Washington, Seattle, on February 7. See below for details.

*** Koko will appear in the King-5 News in Seattle between 8:30 and 9:00 AM on February 8. Please tune in! ***

 Living with Hiroshima: My Memories of 66 Years

Koko Tanimoto Kondo

Tuesday February 7, 2012

3:45 – 5:00 PM

Communications Building Room 120

 The University of Washington, Seattle, WA

Sponsored by UW Japan Studies Program and the Peace Philosophy Centre, Vancouver B.C.

For more information contact: japan@uw.edu


One of the remaining survivors of the Hiroshima atomic bombing, Ms. Kondo has spent many years working for peace. She has made it a priority to share her perspective on the effects of the bombing that reverberate through her life and the lives of others and to bring a greater understanding of how we can make a difference in the world. Kondo was an infant and 1.1 km away from the hypocenter of the first atomic bomb dropped on August 6, 1945 in Hiroshima, Japan. Kondo, who miraculously survived the bombing, grew up with victims who came to her father’s church on a daily basis. Seeing the terrible scars on people, and the devastation all around, Koko hoped to meet the ‘bad guys’ who did this to them. Then, that opportunity arrived....



For more information on Koko Tanimoto Kondo, see HERE.

@PeacePhilosophy