私にとっての中国 日本にとっての中国
小林はるよ
私の息子のパートナーは中国人で、ハルピン近郊の農村の出身です。今からもう10年以上もまえ、息子が国際学会で北京に行ったさいホテルで散髪をしてもらった、そのときの理容師が今のパートナーで、私たちはヤンリと呼んでいます。息子は鏡の向こうに見たヤンリに「一目惚れ」しました。
私がヤンリから学んだことは、いろいろ、ありますが、いちばんの収穫は、簡単に言えば、人にとっては、「我がふるさとが、世界でいちばんいいところ」だということでしょう。日本人の多くは、食べ物も自然も日本が世界最高、そう考えているようです。そのこと自体は、自然なことですが、同時に他国の人、他民族の人にとっても、「我がふるさとが、世界でいちばんいいところ」だということを忘れてはいけません。そのふるさとが焼けつく砂漠であっても、氷に閉ざされる極北の地であっても、そこで育った人にとっては「我がふるさとが、世界でいちばんいいところ」です。
私は、日本で「日中戦争」と呼ばれている歴史的経過は、日本の「中国侵略」に他ならない、と思っている人間です。その私でも、「日本ではこれだけ便利で、自由で、物資が豊富で、清潔なのだから、中国の田舎の人なら、日本の暮らしのほうがいいと思うのでは?」という思いが、心の底にはあったのです。そのことを、私はヤンリと、ヤンリのお母さん、お姉さんとふれあうなかで知りました。そして、心中、ひそかに恥じたのでした。彼女たちはヤンリのお産の手伝いなどもあって、何回か札幌の息子のアパートにかなり長く滞在しましたが、用さえすめば、一刻も早く中国に帰りたがっていました。ヤンリ自身、20歳になるやならずで、理容業を自営できていたのに、そうしたキャリアがまったく評価されない日本に来ました。失ったもののあまりの大きさを、日本に来て徐々に知ることになったわけで、日本が暮らしやすいなどとは、まったく、思っていませんでした。日本の暮らしの便利さ、自由さ、清潔さ、ひいては食べもののおいしさ、物の豊かさなどは、長年それに慣れて、しかも比較的恵まれた環境にあった私には享受できるものであっても、彼女たちにとっては、なんの意味もないものだったのです。
私の父の家族は当時の植民地台湾にいました。けれど台湾の日本人社会は、植民地での西欧人社会のように、現地社会とは隔絶されていたので、日本国内にいるのと全く同じような感覚で暮らしていたようです。とはいえ、そこは、日本国内ほど狂信的ではない社会だったのでしょう。父が日本の侵略戦争に対して批判的だったとはまでは言えないものの、一歩引いていられたについては、台湾で成長したことが影響していたのかもしれません。父は子どもたち相手にフィリッピンでの従軍体験を率直に語ってくれる人でしたが、中国について、「戦争中はなあ、中国人をチャンコロなんて言ってバカにしていた。考えてみればひどい話だった」と言ったことがありました。父のその言葉が、中国人をバカにしていたなんて、とんでもないまちがいだったという意味だということは、子どもにもよくわかりました。「ヨーロッパでは、日本文化は月光文化と言われているんだよ」とも言いました。「太陽が中国文化、日本文化はその照り返しというわけさ」。ヨーロッパでは、日本文化は中国文化の一亜流と思われている、そのことを私はずっと後になって実感しました。スウェーデンの人に、漢字のことを何気なくJapanese characterと言ったら、その人はまさに間髪を入れずChinese characterと、言い返してきました。からかうような、ちょっと皮肉な表情で。そう、漢字は漢の字でした。
大人になってから、日本のした侵略戦争についての本を読むようになり、「中国、韓国、沖縄にはけっして行かない、行ってはならない」と思うに至ったのですが、そのことは一面、それらの地域についてもっと具体的に知ることを妨げた気もします。そっと黙礼して目をそらしてしまっていたことになります。ところが、今から20年以上もまえから、つまり日本の全体としての右旋回がはっきりしてきたころから、敵国からの攻撃に備えるとか仮想敵国とかいう言葉が、防衛白書のような政府文書や新聞紙上で、目につくようになりました。「ん?敵国ってどこのこと?」と思いました。どうやら日本は、敵国からの攻撃がありうるから軍備をもっと増強しなければとか、日米安保の強化とか、言っているらしい。敵国、敵国っていっても、SFじゃあるまいし、具体的な国があるはずと考えたあげく、日本が想定している敵国は、中国のことでしか、ありえない、と結論しました。
「北朝鮮の脅威」はメクラマシで、仮想敵国は中国。中国が好きでも嫌いでもなかった、関心があるわけでもなかった私ですが、そう結論したら、日本周辺の国際情勢がとてもよくわかってきた気がしました。同時に、ひどく、憤りを感じました。なにを言うか。中国を侵略し、蹂躙したのは日本じゃないか。中国が一度だって日本に入ってきたことがあるか。日本を侵略したことがあるか。中国は、国家としての賠償権を放棄し、日本軍捕虜を寛大に扱い、中国残留孤児を貧しいなかで育ててくれたじゃないか。その中国を仮想敵国だなんて、なんて理不尽な話だろう・・・
いったい、どうしてだろう、どうして日本はこんな理不尽なことを言って平気なのだろう。答えはどこにも書いてはありませんでした。自分の知っているあらゆる事実を考え合わせて、この中国敵国視の根っこはずいぶん深いところにあるのではと思うようになりました。明治になってからすぐ、西郷隆盛の「征韓論」がありました。その300年もまえには、豊臣秀吉の「朝鮮征伐」がありました。どちらも、ほんとうに狙っていたのは、中国、つまり清であり明でした。秀吉が明を狙ってまず朝鮮に攻め入ることをもくろんだとき、当時来ていた宣教師は秀吉の無智、無謀に驚いたらしい。明が大国であることを知っていたからです。
では秀吉の「朝鮮征伐」が日本の中国への野心の皮切りかというと、それも、唐突に出てきたとは思えません。もっと根が深いように思えて、894年の「遣唐使の廃止」に思い当たりました。「国際関係」はつねに複雑で解釈は多々ありますが、私は「遣唐使の廃止」は、国家としての体制を整えた日本の、「独立宣言」だったのではないかと思っています。東アジアの歴史においては、中国大陸に成立する国家とその周囲の東アジア諸国のあいだには「冊封関係」という相互契約的な外交関係がありました。日本は「遣唐使の廃止」で、中国大陸に成立する国家との「冊封関係」圏に属さないという選択をしたことになります。
日本は、「冊封関係」圏に属さないという選択を、江戸時代まで維持することができました。その間に元寇があり、秀吉の「朝鮮征伐」があり、薩摩藩を通じての琉球王国支配もありました。「通信使」や使節の派遣、活発な民間の交易も私的な往来もありました。けれど、「冊封関係」から独立して存在できたについては、そうとうな航海技術がなければ渡れない海に囲まれた大きな島という地理的条件や、恵まれた気候条件があったせいでしょう。
東アジア唯一の国家間の外交関係としての「冊封関係」から独立できたことは、結果として、周辺の他民族との、持続的な軋轢や交渉や交流、いわゆる異文化体験を経験しないことにつながりました。日本人には国粋意識が非常に強いいっぽうで、民族意識の形成が非常に弱いのは、歴史的な異文化体験の欠如からではないでしょうか。「大学での授業を英語で」という政府方針への反発がきわめて少ないことにも、日本人の民族意識の弱さを痛感します。私は、日本人の国粋主義には、世界的にみても独特なものがあるという意見です。「自分の国がいちばんいい。自分の国が世界の中心」は自然な感情です。けれど、それが幼児的な自己中心的な感情であることは、大人の常識です。それは他国人、他民族に対して公然と振りかざしたり、押しつけたり、認めさせようとしていいものではありません。けれど日本はある意味では非常に「無邪気」に、なんの痛痒も感じずに、他民族に自民族の文化を強要してきました。他民族に対する「無邪気」は、「無慈悲」でもありました。その「無邪気」が、独特です。
日本は朝鮮半島とは古代から非常に密接な関係がありました。けれどその朝鮮半島と冊封関係にあるのは、大国の中国、朝鮮半島は中国と国境を接し、朝鮮半島の目はつねに中国を向いています。朝鮮半島は、中国との関係がよければ日本と断絶しても別に困ることはないのです。中国はずっと、日本にとって、唯一の、ほんとうの意味の外国であり、できるものなら日本がとって代わりたい、大国でした。そんな孤立のなかで日本は、中国への対抗意識をいわば、純粋培養していったのではないでしょうか。中国への対抗意識と同時に朝鮮半島への侮蔑感、優越感をも。それは、もともとは支配階層の意識だったのですが、明治以後、急速に庶民階層にも浸透していきました。教育と言論の支配によって。
ところが中国からみれば、日本はたくさんある周辺国の、そのまた辺境にある国です。日本に対してそれほどの関心はなかったでしょう。日本と中国の、お互いへの意識の落差は今も続いていて、中国のほうでは、日本がなぜこれほどまでに中国に敵対的なのか、よくわからないらしいのです。歴史的には日本のせいでひどい迷惑、被害を蒙ったのは中国なのに、加害国の日本が今また、中国が脅威だ、敵国だと騒いでいる。なぜなのか、わかるわけがない。中国でなくても、世界のどの国にも不可解、理不尽と思えているでしょう。日本はいつか、中国への侵略行為を恥じること、朝鮮半島の併合、同化の強要、強制連行(従軍慰安婦を含めた)、琉球王国の併合と植民地化を恥じることがあるでしょうか。
とても難しいことです。一つには、先方の被害があまりにも一方的で、あまりにも苛酷だったからです。それは、個人間の関係で言えば、殺人に該当する、つぐないようのない、加害です。深層心理的にですが、日本は、あまりにひどい被害を与えてしまったから、そのことが認められない、認めたくないのです。認めて、あちらの被害にみあうつぐないを求められたら、たまらない。今度はこちらが身ぐるみ剥がれることになる・・・自分がやったことを相手もすると思ってしまう、その恐怖があると思います。もう一つには、日本では、国同士の関係においても個人の関係においても、対等な関係の構築が難しいからです。日本にとって、中国は、上と認めるのは絶対に嫌だが、下におくわけにもいかない、おさまりのわるい国なのです。いずれにしても、日本の中国に対する敵愾心には、合理性や倫理性、普遍性がなにもない。ストーカーの怨念レベルです。
テレフォン人生相談のパーソナリティーの1人、加藤諦三さんは、番組の中で「あなたのいちばん認めたくないことを認めることができれば、あなたの問題は解決します」と、必ず言っています。日本の「いちばん認めたくないこと」は、中国敵視、朝鮮蔑視、そして沖縄無視が、「いわれなきもの」、つまり、その原因(非)が相手方にあるのではなく、ひとえに自分にあることを認めることではないかと思っています。
こばやし・はるよ
岡山県出身。無農薬栽培「丘の上農園」経営。「言葉が遅い」問題の相談・指導に携わってきた。長野県在住。
岡山県出身。無農薬栽培「丘の上農園」経営。「言葉が遅い」問題の相談・指導に携わってきた。長野県在住。