Smedley Butler スメドレー・バトラー |
戦争、そして戦争準備のための軍備拡大というものは、企業体が力なき市民たちから財産や命を奪い私腹を肥やすための手段です。しかしそれはあからさまにはされません。企業体が支配する政府やメディアによるプロパガンダにより、ナショナリズムや脅威感が煽られ、市民たちは国同士の対立であると思いこまされます。そして「国」を守るため、「自由」や「民主主義」といったイデオロギーを守るため、という口実に乗せられて、本当は一番守るべきもの―自分や自分の愛するものたちの命や財産―を、国や企業体のために貢がされる仕組みなのです。数々の戦争体験からこの原理を見抜いていて、第一次大戦後から声を挙げていたのが、スメドリー・バトラー将軍でした。彼による本、War Is A Racket (「戦争はいかがわしい商売だ」)を読むと、この歴史の教訓がありながら人間は再び世界大戦を起こしてしまったという現実を突きつけられます。特に、核兵器をまだ知らないバトラー将軍が最後の方に発する警告には、胸を揺さぶられます。
そして、偏狭なナショナリズムや排外主義がまん延し、それを抑制するどころか助長させる政府を選んだ今の日本でこそ読まれるべき本だと強く思います。2005年に沖縄のジャーナリスト、吉田健正氏が出した本『戦争はペテンだ―バトラー将軍にみる沖縄と日米地位協定』(七つ森書館、下方写真参照)には、バトラー将軍の本の全訳が掲載されているので、吉田さんと出版社の許可をいただき、ここに紹介できることになりました。
沖縄の米軍基地は、1945年の沖縄戦における米軍の「英雄兵士」の名前がつけられていますが、本島中部の北中城村にあるキャンプ・バトラーは、皮肉にも、1898年の米西戦争など幾多の戦争で海兵隊の「英雄」として名を挙げて退役したあと、反戦運動家になったバトラー将軍の名前がつけられています。正式には、在日(在沖)米海兵隊基地司令部です。在沖米軍の大半は海兵隊ですので、キャンプ・バトラーは在沖米軍(空軍、陸軍、海軍)の総司令部を兼ねています。海兵隊司令官は、総司令官というわけです。海兵隊普天間航空基地、極東最大と言われてきた嘉手納空軍基地、97平方キロの面積を擁する北部訓練場など、多くの米軍基地を抱えさせられている沖縄を理解し、将軍が残した教訓が現代の世界にどう適用するかがよくわかる本です。ぜひこちらも読んでください。
以下のバトラー将軍の文は、今度日本でも教科となると言われている「道徳」の副教材として配ったら最適なのではないでしょうか!将来、大事な命と財産を守る頼もしい若者たちが育つことでしょう。他にも戦争の仕組みがよくわかる本として推薦したい本に、ジョエル・アンドレアス著、きくちゆみ翻訳のマンガ『戦争中毒』(合同出版、2002年)、高岩仁著『戦争案内』(技術と人間、2004年)があります。
注:この投稿はリンク拡散、フェースブック等でのシェアは歓迎ですが、ブログ運営者によるこの前文以外の転載には吉田健正さんと出版社の許可が必要です。@PeacePhilosophy
(3月1日 前文一部修正)
(
戦争はいかがわしい商売だ
War Is A Racket
スメドリー・バトラー Smedley BUTLER
翻訳 吉田健正 Translated by YOSHIDA Kensei
もっとも古い悪質な商売
戦争はラケット、すなわちいかがわしい商売だ。これまで、いつもそうだった。
戦争は、おそらくもっとも古く、何にもましてもっとも金になり、はっきり言ってもっとも悪質な行為だ。唯一、国際的な広がりをもつ。そして、儲けをドルで、損失を命で勘定する唯一のものだ。
いかがわしい商売とは、大半の人々にとってはそうは見えないもの、と言ってよいだろう。その実体を知っているのは内部の少数グループだけだ。それは、大勢の人が犠牲を払って、ごくわずかな人々の利益のために行われる。ものすごく少数の人だけが戦争から膨大な利益を得るのだ。
第一次世界大戦では、一握りの人が戦いの儲けに浴した。この戦争〔第一次大戦〕で、少なくとも二万一〇〇〇人の百万長者や億万長者が新たに誕生した。それだけの人が、所得税申告で多額の利益を報告したというわけだ。ほかに申告をごまかした戦争成金がどのくらいいたかは、誰も知らない。
ところで、これら百万長者のうち何人がライフルを担いだだろうか。何人が塹壕を掘っただろうか。ねずみが走り回る地下壕でひもじい思いをするのがどういうものか、何人が知っていようか。銃弾や散弾や機関銃弾をよけながら、恐ろしい、寝られぬ夜を、何人が過ごしただろうか。敵が突く銃剣を何人がかわしただろうか。何人が戦闘で負傷し、あるいは殺されただろうか。
国々は、戦争に勝てば、それによって新たな領土を獲得する。単に奪い取るだけだ。この新しい領土は、戦血から金儲けをした同じ少数の連中が利用する。ツケを払うのは一般大衆だ。
ツケって?
それは恐ろしい計算になる。新しく建てられる墓石。めちゃくちゃになった遺体。粉々にされた心。失われた望みと家庭。経済的な不安定。憂うつと、それに伴う苦痛。何世代にわたって人々を悩ませ続ける税金。
長い間、兵士として、戦争はいかがわしい商売だ、と私は疑ってはいた。しかし、退役して民間人になるまで、そのことをきちんと認識していなかった。世界的に戦雲が近づいている今〔一九三三年〕、私はそのことに向きあい、声を上げなければならない。
今度もまた各国は敵と味方を選んでいる。フランスとロシアは手を組むことに同意し、イタリアとオーストリアも急ぎ同様の取り決めを行った。ポーランドとドイツは、とりあえず彼らのポーランド回廊紛争を忘れて、互いに色目を使いあっている。
ユーゴスラビアのオブレノビッチ・アレクサンダー国王の暗殺が、ことを複雑にした。長い間仇敵だったユーゴスラビアとハンガリーは戦争寸前だったし、イタリアは参戦に乗り気だった。フランスとチェコスロバキアは待機していた。いずれにせよ、これらすべての国が戦争を待ち構えていた。実際に戦い、費用を払い、死んでいく大衆は別である。待っていたのは、戦争をたきつけ、安全な後方にとどまって金儲けができる人だけである。
今、兵役についている人々は世界中で四〇〇〇万人もいる。ところが、政治家や外交官たちは、戦争は起きっこない、という。
そんなはずがあるもんか! これら四〇〇〇万の男たちは、ダンサーになるための訓練を受けているというのか。
イタリアでは違う。これらの男たちが何のために訓練を受けているか、ベニート・ムッソリーニ首相はご存知だ。少なくとも、彼はそれを認めるのにやぶさかではない。ご首領様(イル・ドュチェ)は、つい先日、カーネギー国際平和財団が発行する『国際和解』で、こう語ったのだ。
「現時点における政治的思惑とはまったく別の人類の将来と発展を考慮し観察すると、ファシズムは永続的な平和の可能性も利便性も信じない。戦争のみが、あらゆる人的エネルギーを最高の緊張に運び、それに対応する勇気をもつ人々に高貴のスタンプを押す。」
ムッソリーニはそのつもりなのだ。訓練の行き届いた彼の軍隊、彼のすごい航空隊、そして彼の海軍さえ、戦争の用意ができており、明らかにそれを待ち望んでいる。先日ハンガリーがユーゴスラビアと対立した際に彼がハンガリー側についたのは、その証拠だ。ドルフスが暗殺された〔オーストリアの首相兼外相だったドルフス・エンゲルベルトは、一九三四年、ナチスの武装蜂起により暗殺された〕あと、軍隊を急いでオーストリア国境に動員したのも、そうだ。戦争へ向けて武力を誇示しているのは、ヨーロッパにはほかにもいる。
ムッソリーニと同じぐらい、いやそれ以上に平和を脅かしているのは、ドイツの軍備拡大を要求し続けているアドルフ・ヒトラーだ。フランスもつい最近、兵役期間を一二カ月から一八カ月に延長した。
そう、多くの国が武器をもって野営している。ヨーロッパの狂犬どもがほっつき歩いているのだ。東洋では、もっと巧妙だ。ロシアと日本が戦った一九〇四年、われわれは旧友・ロシアを蹴って、日本を支持した。当時、きわめて寛容なわれらが銀行家たちは日本を財政的に応援した。ところが、今は、反日感情をかきたてようという流れになっている。中国に対する「門戸開放」政策とは、われわれにとってどういう意味をもっているのか。米国の対中貿易額は年間およそ九〇〇〇万ドルである。フィリピンの場合はどうか。米国は過去三五年間にフィリピンで約六億ドルを使ったが、わが国の銀行家や経済界や投機家たちが投資したのは二億ドル以下だ。(*一九一六~三一年の一米ドルは当時の日本円でおよそ二円。当時の物価や給料と現在の物価や給料を比較すると、当時の一米ドルは現在の日本円で四〇〇〇~五〇〇〇円に相当すると思われる。すなわち一億ドルは約四〇〇〇~五〇〇〇億円ということになる。)
そこで、九〇〇〇万ドルの対中国貿易を救うため、あるいはフィリピンにおける二億ドル足らずの民間投資を守るため、われわれは日本への憎しみをかきたてられ、戦争をやれとかきたてられるのだ。何千億ドルかかるか、何万人もの米国人が命を失い、何万人もの人が身体に障害をきたすか精神のバランスを失うかも知れないのに。
もちろん、この損失と引き換えに、利益もあるだろう。何百万ドル、何億万ドルものお金がふところに入るだろう。ごく少数の人々のふところに。武器メーカー、銀行家、造船業者、製造業者、精肉業者、投機家。彼らはうまみにありつけるだろう。
彼らは、次の戦争への用意ができている。そうでないはずがないではないか。戦争はいい儲けになるのだから。
しかし、殺される男たちは儲かるだろうか。彼らの母親や姉妹たち、妻や恋人たちは、どんな儲けになるだろうか。彼らの子どもたちは?
戦争で大儲けするごく少数の人々以外に、誰が儲かるだろうか。
それは国だろうか。国はどのような儲けにあずかるのだろうか。
米国を例にとろう。わが国は、一八九八年まで北米大陸以外には、まったく領土をもっていなかった。当時、わが国の財政赤字は一〇億ドルちょっとであった。その後、米国は世界に目を開いた。そして、国父のアドバイスを忘れ、あるいは脇へやってしまった。われわれは「からみつく同盟(entangling alliances)」についてのジョージ・ワシントンの警告(*)を忘れて、戦争をやってしまったのだ。国際問題に首を突っ込んだ結果、戦争期間が終わった段階で、わが国の負債は二五〇億ドルに跳ね上がった。この二五年間におけるわが国の国際貿易収支は、二四〇億ドルの黒字であった。つまり、帳簿上、年々、負債が貿易黒字を少しずつ上回ったというわけだ。戦争がなければ、対外黒字は負債を帳消しにしたかも知れないのに。(*実際にはトーマス・ジェファソンの言葉。ただし、ワシントン大統領も一七九六年のお別れのスピーチで次のように述べている。「いかなる外国とも恒久的な同盟を結ばないというのがわれわれの真の政策である。……現行の関与は真摯に守ろう。しかし、私の考えでは、これらをさらに拡張するのは、不必要であり、賢明ではないだろう。ある程度の防衛体制をとるようにしておけば、われわれは非常事態に対しては暫定的同盟に安心して依存することができよう。)
金や命で戦争のツケを払う個々の米国人にとって、外国での紛糾から遠ざかった方が(安全なのはもちろんだが)安くつく。酒の密造やその他の裏世界のいかがわしい商売と同じく、この商売もきわめて少数の人にとってはいかがわしい儲けになるが、費用は国民に回される。国民にとって一銭の得にもならないのに。
儲かったのは誰だ
(第一次)世界大戦は、わが国の参加が短期間〔一九一四~一八〕であったにもかかわらず、米国は五二〇億ドルもの費用がかかった。ちょっと計算してみよう。これは、つまり、米国の男、女、子どもの一人一人に、四〇〇ドル〔現在の日本円で約一六〇万円〕もかかった、ということだ。しかも、負債はまだ返済していない。今返済中であるが、われわれの子どもたちも払い続けることになろう。その子どもたちもだ。
米国の企業の利潤は、通常、六パーセント、八パーセント、一〇パーセント、あるいはときには一二パーセントといったところだ。ところが、戦時の利潤ときたら、なんと、二〇パーセント、六〇パーセント、一〇〇パーセント、三〇〇パーセント、ときには一八〇〇パーセントにまで跳ね上がる。まさに青天井だ。商売に限度はない。アンクル・サム〔米国政府。United States=U.S.をUncle Samと言い換えたもの〕には金がある。それを利用しようじゃないか。
もちろん、戦時にこんなあからさまな言い方はしない。愛国心に訴えるとか、「本腰を入れてかかろう」といったスピーチに化粧して盛り込むのだ。そして、一方では、利潤は天井知らずに跳ね上がり、まんまと誰かのポケットに入る、という仕組みだ。いくつか実例を挙げよう。
たとえばわれらが友、爆薬メーカーのデュポン。つい最近、その代表の一人が、上院委員会で、デュポンの爆薬によって戦争に勝ったとか、民主主義のために世界を救ったとか、と証言したのを覚えているだろう。第一次大戦で、この企業はどういう成果を上げたのだろうか。デュポンは愛国的な企業である。一九一〇年から一四年までの同社の平均収益は年間六〇〇万ドルであった。それほど大きくはないが、デュポンとしてはこれでうまくやっていけた。それでは、一九一四年から一八年までの戦時中の平均利潤を見てみよう。なんと、年間五八〇〇万ドルの利潤をあげている。通常の一〇倍近くというわけだ。通常でさえ、結構いい利潤をあげていたのに、それが九五〇パーセント以上も増えたのだ。
愛国的に鉄道やガーダー(桁)や橋の製造を棚上げして、戦需品の製造に切り替えた小さな鉄鋼会社の場合はどうだろうか。一九一〇年から一四年までのベテルヘム鉄鋼の年間利潤は平均六〇〇万ドルであった。そして戦争がやってきた。同社は忠誠なる市民と同じく、ただちに武器製造に取り組んだ。彼らの利潤は跳ね上がっただろうか。あるいは、米国政府に製品を安売りしたのだろうか。実は、一九一四年から一八年までの利潤は年間四九〇〇万ドルに達したのである。
ユナイテッド・ステーツ・スティールはどうだったか。戦争前の五年間における同社の利益は、年間一億五〇〇万ドルであった。それだけでもたいしたものだ。そして戦争がやってきた。利潤はアップ。一九一四年から一八年までの平均収益は年間二億四〇〇〇万ドル。悪くない。
これは鉄鋼や爆薬からの利潤の一部だ。ほかにもある。たとえば銅。戦時にはこれもいい商売になる。
たとえばアナコンダ。戦前(一九一〇~一四)の利潤は年間一〇〇〇万ドル。それが戦争期(一九一四~一八)には三四〇〇万ドルに増えた。
ユタ・コッパー社は、戦前の年間五〇〇万ドルが、戦争期間には年間二一〇〇万ドルの利潤になった。
これら五社と中小企業三社の利潤を合計してみよう。年間利潤は戦前の合計一億三七四八万ドルから四億八三〇万ドルに跳ね上がっている。およそ二〇〇パーセントの増大だ。
戦争は儲かる? これらの企業にとってはね。だけど、儲かったのは彼らだけではない。ほかにもあった。たとえば皮革業界だ。
セントラル皮革の戦前三カ年間の利益総額は三五〇万ドルだった。年間およそ一一六万七〇〇〇ドルということになる。ところが、一九一六年になると同社の収益は一五五〇万ドルにふくれた。つまり一一〇〇パーセント増というわけだ。ゼネラル化学の収益は戦前三カ年の年平均八〇万ドルちょっとから、戦後は一二〇〇万ドルに、すなわち一四〇〇パーセント増えた。
ニッケルなしの戦争はありえない。そこで、インターナショナル・ニッケル社の年間収益はわずか四〇〇万ドルから七三五〇万ドルに跳ね上がった。悪くない。一七〇〇パーセント以上の増収だ。
アメリカン精糖社の利益は、戦前三年間は年平均二〇万ドルだったが、一九一六年には六〇〇万ドルを記録した。
企業収益と政府歳入について報告した第六五議会の上院資料第二五九を見てみよう。精肉業者一二二、綿織物業者一五三、衣料品メーカー二九九、製鉄所四九、石炭業者三四〇について、戦時期の収益を調べたところ、二五パーセントを割ったのは例外であった。たとえば石炭業者は資本金に対して一〇〇~七八五六パーセントの収益をあげた。シカゴの精肉業者は収益を倍増または三倍増した。
もちろん、この大戦に融資した銀行家たちを忘れてはならない。最大の収益をあげたのがいたとしたら、それは銀行家たちだったのだから。銀行は有限責任企業というより合資会社であるため、株主に報告する義務はない。収益は巨大で、しかも秘密だ。銀行がいかにして何百万ドル、何億万ドルもの大儲けをしたのか、私には分からない。なぜなら、秘密が公表されることはないからだ。上院の調査機関をもってしてもだ。
戦益にあずかったほかの愛国的業者や投機家の一部を紹介しよう。
たとえば製靴業者。彼らは戦争が好きだ。いかがわしい儲けをもたらしてくれるからだ。製靴業界は、われらが同盟国への靴供給によって膨大な利益をあげた。爆薬メーカーや武器メーカーと同じように、製靴業者はおそらく敵にも売っただろう。一ドルは、ドイツから来ようがフランスから来ようが、一ドルに変わりないのだから。業者は、もちろん、米国国内でもうんと稼いだ。米国政府に鋲釘を打った軍靴を三五〇〇万足も納めたのだ。兵士が四〇〇万人だから、一兵士当たり八足またはそれ以上という計算になる。戦時中、私の連隊は一兵士当たり一足を支給されただけである。これら三五〇〇万足の一部は、まだどこかに残っているだろう。いい靴だったからね。いずれにせよ、戦争が終わると、米国政府には二五〇〇万足が残った。政府が購入し、支払った靴だ。それだけ企業は収益をあげ、ふところに入れたというわけだ。
革はまだまだたくさんあった。そこで、業者は騎兵隊用に何万足というマクレラン鞍(サドル)を政府に売った。米国は海外に騎兵隊をもっていないのに! 誰かが革を何とかしなければいけなかったのだ。誰かが革で収益をあげる必要があった。そこで、われわれはたくさんのマクレラン鞍を手に入れたというわけだ。これらは、おそらく、まだどこかにあるだろう。
蚊帳もたくさんある。蚊帳業者は海外勤務の兵士用に二〇〇〇万枚の蚊帳を売った。泥だらけの塹壕で寝ようとするときにつるして欲しい、と政府は考えたのだろうか。片手はシラミのたかる背中をひっかき、もう一つの手でちょろちょろ走り回るねずみを追いまわす兵士たちに。いずれにせよ、これらの蚊帳のうち一枚もフランスに届くことはなかった。
それはともかく、思いやりのあるこれらの蚊帳業者たちは、すべての兵士に蚊帳をもっていって欲しかった。だから、さらに四〇〇〇万枚の蚊帳を政府に売り込んだ。
たとえフランスに蚊帳がまったく届かなかったとはいえ、当時の蚊帳業者にはすばらしくいい商売になった。もしも戦争がもう少しでも長引いたなら、これら企画力あふれる蚊帳業者たちは蚊帳の注文が増えるように、蚊をフランス向けの積送品にして米国政府に売ったであろう。
飛行機やエンジンの製造業者も、この戦争から正当な収益をあげようと考えた。当然ではないか。みんなやっていることだ。政府が、一度も使われることのなかった飛行機エンジンを製造するためにつぎ込んだ金額は――さてあなたは数え切れるだろうか――なんと、一〇〇〇〇〇〇〇〇〇ドル、そう一〇億ドルにのぼる。それだけの注文を受けながら、一機の飛行機も一基のエンジンもフランスに届くことはなかった。それでも、メーカーは三〇パーセント、一〇〇パーセント、あるいはもしかしたら三〇〇パーセントの収益を得たのだ。
兵隊たちのアンダーシャツを一着作るのに一四セント〔約五六〇円〕かかる。メーカーは、それを三〇から四〇セント〔約一二〇〇~一六〇〇円〕で政府に売った。結構の儲けだ。靴下メーカー、制服メーカー、帽子メーカー、そして鉄かぶとメーカーも、それぞれの取り分にあずかった。
戦争が終わると、背嚢(ナップサック)およびそれに入れるあれこれのもの約四〇〇万セットが、国内の倉庫に積み込まれた。ところが、中身に関する規則が変わったため、これらの品々は今やスクラップにされている。もちろん、業者は儲けたままだ。次の戦争のときも、また同じようにやるだろう。
戦時中、儲けごとのためにすばらしいアイデアがいくつも生まれた。
一人の才長けた愛国家は一二ダースの四八インチ・レンチを政府に売り込んだ。それはそれはすばらしいレンチだった。唯一の問題は、これほど大きなレンチを使わなければならないナットはたった一つしかなかった、ということだ。ナイアガラの滝のタービンを支えるナットだ。政府がこれらのレンチを購入し、メーカーが儲けを手にしたあと、レンチは貨物列車に積み込まれ、使い手を探して国内中をたらい回しにされた。しかし休戦協定が調印され、このメーカーは打撃をこうむった。レンチに合うナットを製造しようとしていたからだ。もちろん、これも政府に売るためである。
別の人は、大佐たるものは車に乗るべきではない、馬にも乗るべきではない、とのすばらしいアイデアをもっていた。みなさんは、アンドリュー・ジャクソン〔米国第七代大統領。在任一八二九~三七〕が四輪荷馬車に乗っている絵を見たことがあるだろう。大佐用に、実に六〇〇〇台の四輪荷馬車が政府に売却された。そのうちの一台も使用されなかったのに、四輪荷馬車メーカーは儲けを手に入れた。
造船業者も、儲けにあずかるべきだと考えた。たくさんの船を造り、そして大いに儲けた。三〇億ドル以上も。一部の船はちゃんと造られていたが、六億三五〇〇万ドル相当の船は木造で、まったく役に立たなかった。継ぎ目がはがれて、沈んでしまったのだ。それでも政府は代金を払い、誰かは儲けを手にした。
統計専門家や経済学者によれば、政府の戦費は五二〇億ドルにのぼったという。そのうち三九〇億ドルは実際の戦争に使われた。この支出は、一六〇億ドルの収益を生んだ。こうして、二万一〇〇〇人もの百万長者や億万長者が誕生した。一六〇億ドルというのは、ばかにできる額ではない。かなりの額だ。それがごく少数の手に渡ったのだ。
武器産業の戦時収益に関する上院委員会(ナイ委員会)の調査は、暴露された内容が大きな話題を呼んだものの、単に表面をかすっただけだ。
とはいえ、何らかの効果はあった。国務省は「ここしばらく」戦争を回避する方法を研究しているし、陸軍省はほかの誰も知らないすばらしい隠しダマがあるという。政府は戦時の儲けを制限するための委員会を指名した。ウォール街の投機家を委員長に、陸軍省と海軍省の代表を十分参加させて。どのぐらい制限するかは不明だ。おそらく、今度の世界大戦で血をゴールドに変えた連中が稼いだ三〇〇パーセント、六〇〇パーセント、一六〇〇パーセントの収益を、少しは縮小しようということだろう。
ただし、計画では損失――すなわち戦争を戦う人々の損失について制限する用意はないようだ。私が確認できた限り、兵隊が失うものを一個の眼や一本の腕だけに制限したり、傷を一つまたは二つだけに制限したりする計画はない。命の損失を制限する計画も。
連隊の一二パーセント以上が戦闘で負傷してはならないとか、師団の七パーセント以上が殺傷されてはならない、といった計画もない。
もちろん、上院委員会はこんな些細なことにこだわってはならないのだ。
ツケを払うのは誰だ
あの二〇パーセント、一〇〇パーセント、三〇〇パーセント、一五〇〇パーセント、一八〇〇パーセントというどでかい収益は、誰が負担するのだろうか。われわれみんなだ。そう、税金で。われわれが一〇〇ドル〔約四〇万円〕で自由公債〔米国政府が第一次大戦中に発行した証券〕を買い、銀行に八四ドルあるいは八六ドルで売り返したときに、われわれは銀行にそれだけ稼がせた。つまり、銀行は一〇〇ドルとプラス・アルファをいただいた、というわけだ。簡単な操作だ。銀行は証券市場をコントロールしているから、これらの公債の市価を下げるのはわけない。われわれ、つまり一般大衆は市価低下にびっくりして八四ドルか八六ドルで手放す。それを銀行が買う。それからこれらの同じ銀行が市価上昇を刺激し、公債は額面価格またはそれ以上に上がる。そして銀行は収益をあげる。
しかし、最大のツケを払うのは兵隊だ。
ウソだと思ったら、海外の戦場の米国人墓地を訪れてみたらよい。あるいは国内の在郷軍人病院へ行ってみたらよい。この原稿を書いている最中に、私は国中を回り、一八の在郷軍人病院を訪問した。これらの病院にずたずたになった人間がおよそ五万人も収容されている。一八年前に国から選ばれた男たちだ。ミルウォーキー〔米ウィスコンシン州の南東にある都市〕にある、生ける屍となった人が三八〇〇人も収容されている政府病院のきわめて優秀な外科医が私に言うには、在郷軍人の死亡率は国内に留まった人々の三倍も高いそうだ。
正常な視点をもった青年たちが農場や企業や工場や教室から連れ去られ、軍隊に放り込まれた。彼らは改造され、作り直され、「回れ右」をさせられ、殺人を当然と教え込まれる。彼らは互いに肩の組みあいをさせられ、群集心理によって完全に改変される。われわれは、二、三年彼らを使用し、殺すこと、殺されることを何とも思わないよう訓練した。
そして、突然、われわれは彼らを除隊させ、もう一度「転換」するよう申し渡す。今度は群集心理や、上官の助言や、全国的なプロパガンダなしに、自分で対処しなければならない。われわれはもはや彼らを必要としない。そこで、「三分間スピーチ」と言われた「自由公債(宣伝)スピーチ」もパレードもなしに、彼らを放り出す。これらの好青年たちのうち、多く――あまりに多くが自分自身による「回れ右」に失敗して、最後には精神的に病んでしまう。
インディアナ州マリオンの政府病院では、一八〇〇人の青年たちが独房のような部屋に入れられていた。そのうち五〇〇人は、周囲とポーチのところに鉄条網をめぐらした、鉄格子つきの兵舎に。すでに精神が破壊された彼らは、もはや人間のようにさえ見えない。彼らの顔の何とひどいこと! 体はしっかりしているが、心はいかれているのだ。
こういうケースは何万、何十万といる。そして、今も増加の一途をたどっている。戦争のものすごい興奮、その興奮からの突然の断絶。若い青年たちには、耐えられない衝撃だ。
以上はツケの一部に過ぎない。命で戦益のツケを払った兵隊もいれば、肉体的に、精神的に傷つき、今なお戦益のツケを払い続けている人もいる。
ほかの兵士たちは、居間の炉辺そして家族から切り離されて、すでに誰かの収益になった米国軍隊の制服を身につけたとき、胸の張り裂ける思いがした。ほかの人々が町や村で彼らの仕事や場所を占めている間、彼らは訓練キャンプで厳しい訓練を受け、しごかれ、それぞれのツケを払った。恐ろしさに子守唄を求めて死にゆく者たちのうめき声と叫び声を聞きながら、誰かを撃ち、自分自身が撃たれ、何日も腹を空かし、泥と冷気と雨のなかで眠る塹壕のなかで、彼らはツケを払ったのだ。
ただ忘れてはならない。兵士はお金でもツケを払ったのだ。
米西戦争(*)まで、米国には報償制度があり、兵士や水兵たちはお金のために戦った。南北戦争では、彼らは多くの場合兵役に入るまえにボーナスを支給された。政府や州は、兵役ごとに一二〇〇ドル〔当時のドル=円換算比率は不明だが、現在の日本円で年俸およそ三〇〇~四〇〇万円と考えてよいだろう〕も払った。米西戦争では、報償金が支払われた。船舶を捕獲すると、兵士も分け前にあずかった。少なくともあずかることになっていた。(*キューバとフィリピンをめぐって米国とスペインが争った戦争(一八九八年)。戦争の結果、スペインはキューバの支配権を失い、グアムとプエルトリコを米国に割譲し、フィリピンに対する主権を二〇〇〇万ドルで米国に譲った。これを機に、米国は国際的な権益をもつ世界国家として登場した。)
その後、われわれはすべての報奨金を取り上げ、代わりに徴兵制を敷くことによって、戦費を引き下げることができると知った。兵士たちは自分たちの労働について交渉することはできなかった。ほかのみんなはできたのに、兵士たちには許されなかった。
ナポレオンはかつて言った。「すべての人は勲章にとりつかれている。彼らは、のどから手が出るほど勲章を欲しがっている」と。
若者たちは勲章を欲しがっていた。だから政府は、ナポレオンの教えに従って勲章制度を作った。若者たちを安く使えるようにするためだ。南北戦争まで、勲章なるものは存在しなかった。その後、連邦議会栄誉章が授与された。これにより、召兵が容易になった。南北戦争後は、米西戦争まで新たな勲章が発行されることはなかった。
大戦では、われわれは若者たちが徴兵に応じるよう、プロパガンダを使った。入隊しないのは恥だ、と思わせたのである。
戦争プロパガンダは醜悪で、利用できるのは神様さえ利用した。ごく少数の例外を除いて、聖職者たちも「殺せ、殺せ。殺せ」という合唱に参加した。ドイツ人を殺せ。神はわれわれの味方だ。ドイツ人が殺されるのは神の意志だ、と。
ドイツでも、よき牧師は、神を喜ばせるために敵を殺せ、と人々に説いた。これは、人々の戦意と殺意を高めるための、一般的なプロパガンダだった。
死ぬために戦場に送られる若者たちのために、すばらしい理想が描かれた。「すべての戦争を終わらせるための戦争」とか、「世界を民主主義にとって安全にするための戦争」とか。彼らが戦場にでかけ、彼らが死ぬことが、莫大な戦益になるのに、それは誰も彼らに言わなかった。彼らは、国内にいる自分たちの兄弟が作った銃弾で倒れるかもしれないのに、それは誰も彼らに告げなかった。彼らの乗った船は、米国の特許を得て建造された潜水艦によって撃沈されるかもしれないのに、誰もそれを言わなかった。彼らが言われたのは、「すばらしい冒険」になるということだけだった。
愛国主義を兵士たちの頭にたたきこんだあと、彼らに戦争のツケの一部も払わせることが決定された。その代償として、政府は彼らに月額三〇ドル〔現在の日本円で約一二万円〕の大金を支払った。
この大金と引き換えに、彼らは愛する人たちと別れ、仕事をなげうち、沼のように湿った塹壕に横たわり、缶入りのコーンビーフを食べ(手に入ればの話だが)、殺しに殺しまくり、そして殺されるのだ。
だが、ちょっと待てよ。
兵士がもらうのは、造船工場のリベット工や弾薬工場の労働者が安全な国内で稼ぐ日当よりちょっと大目の給与だが、その半分は彼の扶養家族のために即刻差し引かれる。家族が、村や町の負担にならないために。加えて、先進的な州で雇用主が払う事故保険金のようなものを、兵士にも払わせる。月額六ドルだ。一カ月に九ドル弱〔約三万五〇〇〇円〕が彼に残ったことになる。
そして最大の侮辱。自由公債を買わざるを得ないので、弾薬も服も食料も、ほとんど自腹で払ったも同然、ということになる。大半の兵士は、給料日でも一銭もない。
政府は、彼らに自由公債を一〇〇ドルで買わせた。そして、戦争から戻ったものの、仕事が見つからないという彼らから、八四ドルや八六ドルで買い戻した。兵士たちは、こうした公債を二〇億ドル分も買ったのだ。
このように、兵士はツケの大半を払う。彼の家族もツケを分担する。彼と同じような傷心でもって。彼が傷つくことは、すなわち彼の家族が傷つくことだ。彼が塹壕に横たわり、銃弾の破片が彼の周りを飛び交う夜、彼の父、母、妻、兄弟、姉妹、息子たち、娘たちはベッドで横になり、寝つかれぬままにひたすら寝返りをうつ。
彼が、眼や足を失い、あるいは心に傷を負って帰宅すると、家族も同じように、あるいは彼以上に苦しむ。そうだ、弾薬メーカーや銀行や造船会社や製造業者や投機家たちが稼いだ儲けに、家族も貢献したからだ。自由公債を買い、休戦のあと、手品のごとく操作された自由公債価格による銀行の収益に、家族も貢献したからだ。
負傷兵や精神的に異常を来たした男たちの家族、そしてどうしても再調整できなかった人たちの家族は、今も苦しみ続け、ツケを払い続けているのだ。
いかがわしい商売をつぶす方法
そうだ、戦争はいかがわしい商売だ。
わずかの人が儲け、多くがツケを払う。
しかし、それを止める方法はある。軍縮会議でそれを終わらせることはできない。ジュネーブの講和会議で根絶することも不可能だ。善意に満ちた、しかし非現実的なグループが決議によって戦争を撤廃することもできない。
戦争を効果的につぶすには、戦争から儲けをなくせばよい。
このいかがわしい商売をつぶす唯一の方法は、若者たちが徴兵されるまえに、資本家、事業家、労働組合指導者を徴兵することだ。政府は、わが国の若者たちを徴兵する一カ月まえに、資本家、事業家、労組指導者を徴兵しなければならない。銀行、投機家、武器メーカー、造船会社、航空機メーカー、戦時に収益をもたらす、その他もろもろのものを製造する企業の役員たち、部長たち、強力な経営幹部たちを徴兵せよ。そして、塹壕で若者たちが得ているのと同じ月三〇ドルを支払ったらよい。
これらの企業で働くすべての従業員、社長、経営幹部、部長、課長たち、すべての銀行家たちにも、同じ給料を払ったらよい。
そうだ。あらゆる将軍、提督、将校、政治家、官僚たち――この国のすべての人は、塹壕にいる兵士に支払われる月給以上の給料をもらってはならない。
王様も大君も事業主もすべての労働者もすべての上院議員や知事や市長も、三〇ドルの月給の半分を家族に渡し、戦争危険保険に加入し、自由公債を買うようにさせたらよい。
当然ではないか。
彼らは、殺されたり、体を切り裂かれたり、心をずたずたにされたりする危険をまったく負っていない。泥だらけの塹壕に寝ているわけでもない。腹を空かすこともない。兵士とは違うのだ。
資本家、事業家、労組指導者に、考える時間を三〇日間与えよう。そうすれば、戦争はなくなる。戦争のペテンとはおさらばだ。
私はもしかしたら楽観的過ぎるのかもしれない。資本家にはまだ影響力がある。だから、実際に苦難を背負い、ツケを払っている一般の人々が、選挙で選んだ代表者に不正利得者ではなく自分たちの意思に従わせるよう決意しない限り、資本家たちは利益の剥奪を許さないだろう。
戦争といういかがわしい商売をつぶす戦いに必要なもう一つの方法は、宣戦を認めるかどうかについて、限られた住民投票を行うことだ。すべての有権者ではなく、徴兵の対象になる人々だけによる住民投票にすればよい。戦争になれば巨大な収益をもくろむ弾薬メーカーの七六歳の社長や国際銀行の足を引きずって歩く頭取や軍服メーカーの斜視の工場長に、この国が参戦すべきかどうかについて投票させる意味はあまりない。彼らが銃を担がされ、塹壕で寝て、殺されることはあり得ないからだ。国家のために徴兵され、命を失うかもしれない人々だけに、参戦の賛否を決める特権がある。
影響を受ける当事者だけに投票を制限するのは、数多く先例がある。米国の多くの州では、投票資格に制限を加えている。投票できるためには、たとえば読み書き能力がなければならない。州によっては、一定以上の財産がなければならない。大戦の徴兵でやったように、毎年、兵役年齢に達したらそれぞれの市町村で登録して、身体検査を受けるようにすれば簡単だ。身体検査にパスできる人、すなわち戦争になったら軍務につける人は、この限定的な住民投票で一票を投じる資格を得る。彼らこそが決定権をもつべきだ。連邦議員たちはほとんどがこのような年齢枠に入らないし、体も武器をもてるほどの状況にないから、議会が決定すべきではない。苦労する人だけが投票権をもつべきだ。
いかがわしい商売をつぶす第三のステップは、米国の軍隊の目的を真に専守防衛とすることだ。
連邦議会が開会されるたびに、海軍増強支出問題が浮上する。重役椅子に座るワシントンの提督たち(かなりの数だ)は、すばらしく腕利きのロビーイストである。頭もいい。彼らは、「この国やあの国に対する戦争のために多くの軍艦を必要としている」と叫びはしない。とんでもない。彼らは、まず、米国がどこかの海軍大国から脅威を受けていると言う。この「敵国」の大艦隊が、明日にでも明後日にでもわが国を急襲し、一億二五〇〇万人を壊滅させるだろう、と言うのだ。いやはや。それから提督たちは海軍増強を訴え始める。何のために? 敵と戦うため? いやいや。国防だけのためだ。
それから、思い出したように、太平洋における演習を発表する。国防のため、だとか。
太平洋は巨大な海だ。太平洋に面するわが国の沿岸線はきわめて長い。演習は二〇〇~三〇〇マイルの沖合で行うのだろうか。いや違う。二〇〇〇マイル〔約三二〇〇キロメートル〕、あるいは三五〇〇マイル〔約五六〇〇キロメートル〕沖合だという。
自尊心の高い日本人は、当然ながら、米国の艦隊がその沖合に近づくのを、表現し難いほど喜ぶだろう。ちょうど、カリフォルニア住民が、朝霧のなか、ロサンゼルス沖で日本艦隊が戦争ゲームをするのを見て、大喜びするのと同じように。
米国海軍の船舶は、沿岸から二〇〇マイル〔三二〇キロメートル〕以内を航行するよう、具体的に法律で制限されている。この法律が一八九八年に存在していたら、メイン号がハバナ港にでかけることも、そこで爆破されることもなかっただろう(*)スペインとの戦争が起こり、結果的に多くの命が失われることもなかっただろう。専門家によれば、自衛のためには二〇〇マイルあれば十分だ。わが国の船舶が沿岸線から二〇〇マイル以上行けなければ、わが国が攻撃戦を始めることはない。飛行機は偵察のために沿岸から五〇〇マイル飛んでもよい。陸軍はわが国の領域から踏み出してはならない。(*一八九八年二月、船艦メイン号はハバナ港で爆発を起こした。原因は不明だったが、米国の議会内外で「メイン号を忘れるな」の合唱が起こり、米西戦争の引き金となった。)
要約すれば、戦争のペテンをつぶすにはこれらの措置をとる必要があるということだ。戦争から利得を除外しなければならない。
戦争の是非については、銃をとることになる若者たちに決めてもらわなければならない。わが国の軍隊を、国土防衛のためだけに限定しなければならない。
戦争はまっぴらご免だ
戦争は過去の遺物だと考えるほど、わたしはバカではない。人々は戦争を欲していない。しかし、次の戦争に追い込まれることはない、というだけでは何の役にも立たない。
思い起こせば、ウードロウ・ウィルソンは一九一六年、「国民を戦争に巻き込まなかった」というスローガンを掲げて、そして「国民を戦争に巻き込まない」という言外の約束のもとに、一九一六年に大統領再選を勝ち取った。しかしわずか五カ月後、彼はドイツに宣戦布告するよう連邦議会に要請したのである。
この五カ月間に、国民は決心を変えたかどうか、聞かれることはなかった。軍服を着て戦場にでかけた四〇〇万の若者たちが、苦しみ、死ぬために進んででかけるか、彼らの意見も聞いていない。
何が政府にそう簡単に決心を変えさせたのだろうか。
それはお金だ。
ご記憶にあると思うが、宣戦布告〔米国がドイツに宣戦布告したのは一九一七年四月六日〕の直前、連合国〔英国、フランスなど〕の委員会がやってきて、大統領を訪問した。大統領はアドバイザーたちを集めて話を聞いた。外交的な言い回しを除くと、その委員会の委員長が述べたのは、要旨、以下の通りであった。
「もはやわれわれ自身をごまかしてもダメです。連合側の大義は失われました。われわれはあなたがた(米国の銀行、弾薬メーカー、製造業者、投機家、輸出業者)に五〇億ドルないし六〇億ドルの借金があります。
もしわれわれが負ければ(米国の支援がなければ負けるに決まっています)、われわれ英国、フランス、イタリアはこの金を返済できません。……ドイツも返済しないでしょう。
というわけで……。」
もしも戦争交渉に関して秘密が禁止されていれば、もしも報道機関がこの会議に招かれていれば、もしも会議の模様がラジオで中継されていたならば、米国が大戦に参加することは絶対になかっただろう。しかし、戦争に関するほかのすべての会議と同じように、この会議も厳しい秘密に隠されて行われた。そして、若者たちは、「民主主義にとって安全な世界にするための戦争」とか「すべての戦争を終わらせるための戦争」だと言われて、戦場に送られたのだ。(*第一次世界大戦で、米国は当初中立を標榜し、和平の斡旋さえしていた。米国が参戦に踏み切ったのは、米国客船が次々とドイツ潜水艦に攻撃されて死者を出したためとも、米国の資本家が英仏に与えていた多額の借款の返済を確実にするためとも、言われる。戦後、米国は戦需景気によって不況から脱しただけでなく、史上初めて債権国となった。)
それから一八年後、世界の民主主義はむしろ、その前と比べて少なくなった。しかも、ロシアやドイツやイギリスやフランスやイタリアやオーストリアが民主主義のもとにあろうが、君主制のもとにあろうが、米国にどう関係があるのだろうか。彼らがファシストであろうが共産主義者であろうが? われわれの問題は、われわれ自体の民主主義を守ることにあるのではないか。
加えて、第一次大戦がほんとうにすべての戦争を終わらせる戦争であったか、われわれにそう納得させる証拠はほとんどない。
もちろん、武装解除会議や軍備縮小会議が開かれてはきた。しかし、これらは何の意味もない。そのうちの一つは失敗したばかりだし、もう一つの結果も無効になった。このような会議にわれわれが送るのは、職業軍人や政治家や外交官だ。で、どうなる?
これらの職業軍人は武装解除なんていやだ。戦艦なしの提督になんてなりたくない。司令権なしの将軍になんてなりたくない。いずれも、やる仕事がなくなるからだ。武装解除にも軍備縮小にも賛成できない。
これらの会議では、戦争で利得を稼ぐ組織の、きわめて強力な腹黒い代理人たちが裏にひそんでいる。これらの会議が武装解除や厳しい軍備縮小につながらないよう見届けるのが、彼らの役割だ。
こうした会議における国々の主目的は、戦争防止のために軍縮を達成するということではなく、自国は軍備を増強し、仮想敵国には軍備を縮小させることにある。
少しでも現実性のある武装解除を実現する方法は、一つしかない。すべての国が集まって、すべての戦艦、すべての銃や砲、すべての戦車、すべての軍用機をスクラップにすることだ。これができるとしても、それだけでは不十分だ。
専門家によれば、次の戦争は軍艦や大砲や銃、あるいは機関銃で戦われることはないだろうという。致命的な化学品やガスで戦われるのだという。
各国は、敵を全面的に壊滅させるための、より新しい、より陰惨な方法を秘密裏に研究している。そうだ、戦艦は今後も引き続き造られるだろう。造船業者は利益をあげなければならないのだ。銃砲、火薬、ライフルも作られ続ける。武器メーカーは巨大な儲けをあげる必要があるのだ。そして兵士たちは軍服を着なければならない。軍服メーカーも稼ぐ必要があるのだ。
だが、勝敗を決するのはわが科学者たちの技術と工夫だ。
彼らに毒ガスや、悪魔的な破壊兵器をもっともっと作らせるようにすれば、彼らにはすべての人々のために繁栄を築く建設的な仕事をやる時間はとれない。彼らにこの有益な職務につかせることによって、われわれはみんな(武器メーカーでさえ)、戦争から得られる以上の利益を平和から得ることができるのに。
だから、わたしは声をあげて言う。
戦争なんてまっぴらご免だ!
* * *
(以下、吉田健正氏による解説)
以上は、故スメドレー・D・バトラー米国海兵隊退役少将の小冊子の翻訳である。原名はWar Is A Racket(『戦争はラケットだ』)。ラケットとは、「いかがわしい商売」「恐喝」「ペテン」のことで、「ラケティア」は「ゆすり屋」や「不正な金もうけをする人」を意味する。
本(五二ページのポケット版)はバトラーが一九三三年にコネティカット州の在郷軍人会で講演し、後に雑誌に掲載された文章が基になっている。その後、『リーダーズ・ダイジェスト』誌が付録として発行したが、これには有名なラジオ・アナウンサーだったロウェル・トーマスが、「彼の反対者さえ、公的問題におけるバトラー将軍の立場は、数知れない海兵隊キャンペーンにおいて彼の役割を浮き立たせたあの燃えるような誠実さと忠実な愛国主義に動機づけられていることを認める」という序文を書いた。同書は、二〇〇三年に「米国でもっとも勲章を受けた兵士による反戦論の古典」という副題をつけて再版され、また多くのインターネットサイトでも紹介されているように、今なお読み継がれている。二〇〇三年版には、米国アングラ文化のリーダーと目されるアダム・パーフレイ(The End of Passion, The End of Belief, The End of the World〔『情熱の終焉、信念の終焉、世界の終焉』〕やApocalypse Culture〔『終末論文化』〕の著者)が「戦争の英雄がいかにして企業悪事に警告を発したか」という十数ページの紹介文を書いているほか、スメドリーの文章を二本、そして戦争の悲惨さを示す写真を十数枚掲載している。
(以上、吉田健正『戦争はペテンだ―バトラー将軍にみる沖縄と日米地位協定』の第1章「戦争はいかがわしい商売だ」を転載。)