新年のご挨拶もしないままに2月になってしまいました。「1月は行く、2月は逃げる、3月は去る」と言われていますが1月は「徴用工問題」についての声明・請願を準備するなどで忙しくしていました。日本では、植民地支配下で強制動員され人権を侵害された「徴用工」「女子勤労挺身隊員」、「日本軍『慰安婦』」制度被害者が日本企業や政府を相手どって賠償の訴えを起こした訴訟に対し韓国の裁判所が日本企業、政府に賠償を命じる判決を下していることに対し、政府もメディアもこぞって「国際法違反だ」「反日だ」「日韓関係を傷つける」と繰り返し、一般市民の意見もそれらの体制側の連呼によってかなり影響を受けてしまっていることに深い懸念を抱きます。日本の多くの人たちは、広島や長崎の原爆投下、各地の空襲、沖縄戦の被害者など、戦争の民間人被害者に対しては心を寄せるのに、同様に大日本帝国が行った戦争や植民地支配に被害を受けた強制動員の被害者に対してどうしてここまで冷淡になれるのか、その二重基準を問いたいと思います。昨秋から、同じ問題意識を共有している、元秋田大学教員の勝守真さんと、東京都立大教員の石川求さんと一緒に声明・請願を用意し、1月31日に、Change.org で署名運動を開始しました。呼びかけ人87人(2月2日現在)とともに広く呼びかけます。みなさん、署名をお願いします。
徴用工問題は“解決済み”ではありません。今こそ被害者の人権と尊厳の回復を求めます。
文面、呼びかけ人リスト、署名はこちらから→http://chng.it/mhFWr9r9YS
この運動の呼びかけをしている間に、「不二越強制連行・強制労働訴訟を支援する北陸連絡会」の中川美由紀さん(上記署名運動の呼びかけ人の一人)から会のニュースレター「北陸連絡会ニュース」2021年1月号が送られてきました。その中に掲載されていた村山和弘さんの寄稿が、自分にとっても、戦争責任・植民地支配責任を担う平和運動全体にとっても、大きな示唆を与えてくれる一文と思い、許可をいただいて以下に転載します。
今年も不規則ながらこのブログを更新していきますのでどうかよろしくお願いします。
ピース・フィロソフィーセンター 乗松聡子 @PeacePhilosophy
以下、「北陸連絡会ニュース」2021年1月号より転載
2021年、不二越闘争29年
侵略と植民地支配の「日本を変える」始まりへ
第一次・不二越訴訟連絡会(植民地支配・強制連行・戦後を考える連絡会事務局長)
村山和弘
不二越徴用工闘争原告団長の金景錫(キムギョンソク)さんや連絡会代表の李鎮哲(イジンチョル)さんをはじめ、多くの方が亡くなられた。私は当時の記憶を呼び覚まして、記録に残すことが義務だと痛感させられている。
2年経過したが、韓国大法院徴用工判決は右翼安倍政権にショックを与えた。判決を受けて不二越門前行動を取材に来た記者たちは、連絡会の活動に衝撃を受けていた。旭日旗を掲げた右翼も刺激的だった。真実を知ろうとした記者たちは、韓国のハルモニの声を直接聞きたいと訪韓し、その姿と声をドキュメント番組にした。だが、実際に放映されるまで時間がかかった。多くの苦労があったともれ聞く。日本社会には排外主義の嵐が渦巻いていた。その中でも自粛と忖度を乗り越える勇気が記録映像となり、日本の多くの人々に届けられた。これは、一地方の長い運動が世代を超えて連鎖した成果だった。小さいが大きな意味を持つ、日本社会を変える重要な変化だ。トンネルの出口から、光明が射してきている。
連絡会の軌跡を記していきたい。
徴用工闘争から見えるー① 今も、植民地国家の中に生きている私たち
1927年(福岡県八幡)監視下の土木作業 |
天皇「最後の勅令」-差別と抑圧の管理体制-
GHQの占領政策は「間接」統治であり、日本政府は戦後も戦前勢力の温存を図っていた。本来なら植民地支配下で差別を受けた朝鮮人に謝罪すべき日本国家は、逆に戦前の延長として、朝鮮人を新たな「差別と抑圧」の管理体制下に置いた。1947年5月2日、憲法施行の前日に天皇「最後の勅令」を発し、日本に居る朝鮮人を一方的に外国人とした。そして5月3日、憲法施行によって大日本帝国「臣民」を、日本の「国民」とした。日本国憲法の特徴は、「国民主権」と述べず、第一章「天皇は『国民』の総意」と述べたことにある。こうして朝鮮人には外国人登録証を携帯させ、国籍条項により憲法から排除した。
1945年12月、戦犯25万人を公職追放
50年、戦犯の追放解除で公職復帰‐レッドパージ‐再武装
「戦犯追放解除」(岸信介など25万人公職復帰)で戦犯が日本の要職を占めて、現在に至る支配体制を再確立する。レッドパージは、新聞社と労組の活動家を職場から追放した。そして「在日」の民族教育を禁止した。GHQ内の右派は特高警察を仲間とし、民政局(民主化を進め、労働組合の結成を支援)の人々を米国に帰国させて、「赤狩り」の標的とした。
1947.2.1ゼネストは 前日にGHQが中止命令 |
民主化運動 韓国は、昨年一人当たりGDPで日本を越えた。参政権・外国人労働者・難民
中国は2000年以前に世界第2位の経済大国となり、購買力平価GDPで米国を越えている。安倍政権は、韓国の徴用工判決に対して2019年、経済制裁を行ったが、これは逆に日本を更なる衰退に追いやった。日本の格差拡大は止まらない。1980年代に比して今は10倍も貧困率が大きくなり、格差社会の下で自殺が増えている。外国人労働に頼りながら、移民も難民も受け入れ拒否だ。難民は先進国の収奪が生み出した結果である。日本政府は、彼らを同じ住民・市民とすると「国民意識」「国民優先思想」が崩壊すると恐怖し、排外主義を日本国家として平然と行っている。飢えている人々の救済もやらない。それは崩壊する日本(帝国)の亡霊が政権に居座っているからだ。これらは植民地支配の継続であり、「在日」への「管理」と地方参政権拒否と一体である。小池東京都知事の「関東大震災虐殺犠牲者への追悼文拒否」を許している現実とは何か。私たちは「植民地国家の中に生きている」ということだ。
徴用工闘争から見えるー② 引き裂かれていた徴用工と「在日」が、1992年に再会した!
1996年7月23日 連絡会結成集会 |
徴用工闘争は、植民地支配の責任が国と企業だけではなく、日本民衆自身にもあることを私たちに突きつけた。日本の宗主国意識の中に、私たちは生まれた時から無意識に身も心もどっぷりと浸かっている。参政権・国籍条項・就職差別・名前差別も考えないで生きられる。自分が植民地支配を担っている当事者と思わない意識でいる。この植民地主義社会に、私たちは深々と浸かっている。
徴用工闘争から見えるー③ 強制連行被害者に謝罪出来る日本に変える
自分たちを、「檻・桎梏」から自分自身で解放する
私たちは「虐げられし者の解放」を一般論では語る。だが、日本の私たちは「虐げている国の檻から生まれ育って、今も檻の中で生きている」。
植民地支配の牢獄を打ち破る韓国の闘いは、民主化運動だった。ろうそく革命と検察改革、今に至る「親日派・積弊清算」が続いている。だが日本の私たちは今も、植民地支配を継続する日本の「檻・桎梏に囚われて」生きている。虐げる側の私たちの前には誰が立っているのだろうか?鎖を解き放つ、この「鎖」とは何だろうか?実は、私たちは自分たちの入っている檻を、徴用工闘争として確実に食い破っていたのだった。門前行動に登場する右翼は、「お前たちは自分で鎖を解こうとしている!やめてくれ!」と叫んでいる。
門前行動で、警察は「届け出するように」と繰り返す。右翼は「届け出」しているからだ。だが私たちは、力関係を無視した行動はしない。闘いの勝ち取った「門前の闘う空間」を、事実上は永続化したのだった。それは、私たちを縛る「鎖」を、自分たちで解く作業だった。
国鉄分割民営化(1987年)から総評解体(89年)以後、「連合」は政治課題を取り組まない。確かにそうだ。だが、物事は両面から見るべきだろう。連絡会は、連合傘下の労働組合に呼び掛けてきた。地区労、全農林、教組、自治労、国労…結局は、一人ひとりの課題である。私たちの力量が弱い事を反省的に捉えるべきであり、「労組ダメ」「マスコミダメ」と嘆くのは、「自分はダメ」に等しいことだ。
「1945年10月、日本人と朝鮮人の 政治犯が釈放された」 |
もう一つは、私たち「人の命は有限」である。だが闘いや思想は「次に引き継がれる」と考える。私たちは「自分個人の意志」だと思っていても、「時代の一断面」に生きている。「先人の失敗も、生き方も自分につながっている。無数の人が自分を産み出した」のだ。歴史の中で生きる自分を見つけて、「この命を次につなげる」のが「今を生きている自分の命」だ。
尹奉吉義士暗葬の地にて 金景錫さん |
炭鉱で死んだ兄の想い。父母や姉と村人の嘆き。無数の民衆の声が地底から金さんを支配した。彼が、拷問で天井に吊るされて瀕死のとき、「貴方は死んではいけない人だ」と必死に看護してくれた日本女性がいた。
彼にとって日本は、言葉では表せられないほど憎かった。だが、東京に来て徴用工裁判を始めたとき、日本の中にも、必ず「人」はいるはずだと思ったという。彼の「人」には、憎い人と助けてくれた人がいたのだった。金さんは、不二越闘争を共に闘う「人はいるはずだ」と富山に賭けた。そして、徴用工闘争は「朝鮮人と日本人を繋ぐ」「細い細い糸」になった。その後、私たちはこの糸を守っている。日韓の人々が、この糸を大きな歴史にしよう。
<では、私たちはどう考えて進むのか?>
第一に、安倍政権誕生の背景を考える必要がある。1987年、韓国で軍事政権を倒した民主革命によって、日韓条約体制が揺らぎだした。この後の宮沢政権、河野談話、村山首相談話、小渕-金大中(キムデジュン)宣言。これらは日韓条約体制の部分的修正を含んでいた。
こうした中で日本会議・右翼勢力が巻き返しに必死になった。そして、岸の孫である安倍晋三が担ぎ出された。安倍政権は戦前回帰の排外主義、朝鮮侵略を想定した戦争法に進んだ。韓国における、朴槿恵(パククネ)を倒したろうそく革命は、安倍政権が作り出したのだった。
第二に、安倍政権の瓦解について。色んな要素が重なって見えるが、私たちは絡まった糸を解きほぐさなければならない。アベノマスク、相次ぐ腐敗、数えあげればきりがない。だが、何よりも次の点である。
NOアベ集会 2019年8.15ソウル光復節 |
2019年、安倍政権は徴用工判決に対する韓国への経済制裁という戦争行為に打って出た。その意図は文在寅(ムンジェイン)政権の退陣にあった。だが、逆に打撃を受けたのは日本だった。昨年、一人あたりGDPは韓国が日本を超えた。更に、コロナに向き合えない安倍政権は次々と打撃を受けた。その打撃は安倍政権だけではなく日本の民衆、そして日本社会全体が根底的に問われるようなものであった。
第三に、菅政権とは何か。安倍政権の破綻を引き継がされたのが菅政権である。既に、バトンを誰かに渡す過度的政権になっている。コロナによって、もはや安倍の敗戦だけではなく、私たち民衆の敗戦になっていると考える必要がある。
歴史の岐路に立つ私たち
今問われているのは、菅政権の帰趨ではない。私たちだ。
1945年8月には本土決戦を回避して日本帝国は降伏し、米国によって護持された。だが、コロナは国境を越え、本土という概念もない。日本の全ての人々に迫っている。コロナは政治も文明も超える!人類の生存や地球環境、現代経済の根本問題と繋がっている。人類が共同体として存在していることを、私たちに問いかけている。
コロナは、政治を超える「人類として」の共同課題なのだ。私たちは、1945年と同じ「民衆の敗北」を繰り返してはならない。戦争で生き残った人たちは「命こそ全てだ」と思った。そこには、変わらない太陽と山や川があった。そして人びとは生き延びた。
徴用工の闘いは、日本の戦争責任を問うと同時に、人はどうあるべきか、「人とは何か」と問いかけた。人間が主人公になる社会・民衆が主人公になる社会は、人間が自然の一部として存在する時代になる。私たちは今まで、それを空想の夢と永遠の彼方に置いてきた。その間に、全てが夢として消え失せようとしている。この危機は、私たちが「イヤだ!」と思っている人びとも含めた、「全ての人びとの存在」の危機だ。
日本の歩んだ150年をとらえ返すとき
徴用工の闘いは、沖縄の闘い、持続可能なエネルギー、人間らしい労働と生活、環境など、全てと繋がる重要な核心問題である。日本を変えるには、私たちが勝利への強い確信と展望を持つ必要がある。
連絡会に人生を託して亡くなられた人々の希望を、私たちは夢で終わらせてはならない。今年は、委託された荷物を点検し、記録して、人びとの共有財産にしたいと思う。皆さん、是非とも少しずつご協力をお願いします。
村山和弘(むらやま・かずひろ)
1965年日韓条約反対。不二越大量解雇反対。三一独立記念集会で在日に学ぶ。反原発。1992年不二越訴訟始まる。「植民地支配・強制連行・戦後を考える北陸連絡会」結成。当時の事務局長。
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