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Monday, August 13, 2007

(Japanese) Talking about Peace and War with Myriam


This is a report in Japanese by Sayuri Ishimoto, an early childhood educator living in North Vancouver.

戦争体験座談会 Myriam さんを囲んで
(July 21)

子どもたちへの平和教育、私は子どもたちに何を伝えられるのか?何を伝えたいのか?平和教育たるイベントをひらく度にこの疑問にいつもぶつかります。
30代半ばを迎える私は、戦争を知らない大人なのです。そして、私の両親は戦後生まれで、両親から戦争について語り継がれたものは多くはありませんでした。

戦争を体験していない私は、今、イラクで苦しんでいる人たちの生活をニュースで知らされていてもどこまで彼らの苦しみというものを想像できているというのだろう?そんなことを漠然と思いながら、戦争体験者、先の世界大戦を体験している人たちからもっともっと体験談を直接ききたい、そういう思いが膨らみ、このイベントを我が家で企画しました。ゲストはオランダ出身のミリアムさん。彼女とは私が今通っているカレッジの幼児教育のクラスで出会いました。彼女は高齢で足が不自由にもかかわらず子どもの教育に深い愛情と情熱を持った女性で、普段のクラスでも発言一つ一つに彼女の体験からくる智恵、豊富な知識が感じられます。そんなミリアムさんも戦争が生み出した苦しみをご両親を通して体験した一人でした。

座談会はミリアムさん本人の希望もあり、少人数で行いました。会には、計9名が参加しました。参加メンバーは幼児教育、平和教育に興味を持つ人をはじめ、バンクーバー9条の会のメンバー、今回のような会に参加するのは初めてという人も数名交じり、「戦争はなぜ起こるのだろう?」という素朴な疑問から「平和教育を幼児にするには?」など、ミリアムさんを囲んで体験談を交えながら幅広いディスカッションがもたれました。ディスカッションをしながら各々が自分の胸に、戦争とは?平和とは?ということを自分の問題として深く問えることが出来た時間だったと感想を参加された方からいただいています。私自信、体験談が持つパワーと言うものを深く感じました。参加された皆さまに深く感謝します。

主なディスカッションの内容は以下の通りです。(ポイントごとにまとめました)

“戦争で死んでいく大半は何も大砲や銃で撃たれた者ではなく、食料や薬が手に入らず飢えと病気で死んでいくもののほうが多かった。食料を手に入れるということがどんなに大変なことだったか、、、、。”ミリアムさんの体験談

“戦争は私の父のプロのサッカー選手になりたいと夢を奪った。父は兵士として戦争へ行き、戦後生き残った彼は、まるで魂が抜けた人生を送った。母は戦争中、食料を手に入れるためには死を覚悟してさまざまな行動に移していった。彼女の勇気に家族は支えられた。彼女は彼女の持つ能力を最大限に活用していくなかで食料を手に入れることが生きがいになっていった。それが、戦後、女性の地位が確立されていない世の中で再び専業主婦として生きていくことに苦痛を感じさせることになった。”ミリアムさん体験談
“戦時中の体験から、両親とも鬱などがひどく、幼い私にも深く影響した。そのとき受けた影響は自分の子どもや孫にも引き継がれたと思うことが多々ある。ネイティブインディアンたちで言われている格言がある。戦争の本当の痛みを癒すには7世代というジェネレーションを経てようやく癒される。韓国人や中国人が持つ対日感情もかなりの時間と世代がかかるだろう。” ミリアムさん体験談


“戦争はなぜ起きるのか?Envyという感情が戦争を起こすのでないだろうか?もっと欲しい、隣のやつらよりももっといいものを、、、という感情。それがそもそもの戦争の始まりなのでは?裕福な人たちが自分たちの利益を守ろうとするところにも問題がある。”

“私たちは発展途上国の人たちから見れば裕福な生活をしている。そのことにすごく罪悪感を感じる。例えば、輸入された食品を自分たちが食べている。それが意味することはどういうことなのか?自分たちの生活は発展途上国の人たちの犠牲の上になりたっているということを自覚することは大切なことだと思う。”

“平和教育を幼い子どもたちに行うということについて深く考える必要がある。幼い子どもたちにはまだ反戦教育というものを学ぶには準備ができていない。幼い子どもたちは、人間としてのベースである、共有するということ、相手に思いやりを持つこと、悪いことをしたらごめんなさいを言う、相手の失敗をゆるすことなどを学んでいる段階なので、それに見合った平和教育が必要なのではないか?”

“発展途上国の貧しい人たちが戦争の大きな犠牲者であること。戦争は貧しい国が舞台になりやすい。先進国に住んでいる人たちは自分の身に降りかかってこないと戦争が現実に起こっていることも所詮他人事になりやすいから無関心になりがちなのかも。”

“日本は単一民族から成り立つことが理由なのか、多様性というものに対応できないところがある。それに比べバンクーバーでは小さいときから多様性を尊重するということが大変重要視されている。平和創生を考えるとき、この多様性というものを受け止め尊重できるかは大きな鍵なのではないか?日本の若い人たちがバンクーバーなどで留学し、それらについて学ぶことは素晴らしいこと。日本においても積極的にそういったものを取り入れることは望ましいのでは?”
石本さゆり

1 comment:

  1. Anonymous6:52 am

    私も戦争を体験したことのない世代として、体験者の話を聞く
    場を持つことはとても大切なことだと思っています。先日実家
    に帰ったときに何気なく祖母に戦争中のことを聞いてみました
    。不思議なもので痴呆で物忘れが激しい祖母があのころのこと
    を鮮明に思い出し、語ってくれました。きっと忘れられないほ
    ど辛い記憶だったのでしょう。祖母の実家は田舎だったので幸
    いそれほど大きな爆撃や空襲という惨事は無かったようですが
    、食べるものや着る物の面では苦労が絶えなかったといいます
    。聡子さんも最近のメールで戦争体験を持つお父様が宝のよう
    だとおっしゃられていましたが、私も同感しました。
    そしてこうした話をもっともっと語り継がなければならないと
    思いました。

    最近特に思います。思っていても行動しないと何一つ変わらな
    いと。先日私の友人が六ヶ所村ラプソディーを自主上映しまし
    た。当日は400人もの人が会場に足を運んでくださり、各々得
    たものがあったと思います。友人の行動がこれだけの人に受け
    入れられたと思うと、1人でもアクションを起こせるし、1人か
    らアクションをおこさなければ何も始まらないのだと思いまし
    た。私もそんな友人に励まされ、今地元の群馬の友人たちと六
    ヶ所(原発)の問題について話す機会を設けています。まだ皆
    の意識は低く、私だけが意気込んでいるようなところもありま
    すが、ゆっくりと時間をかけてお互いに歩み寄れたらよいかな
    と思います。
    なので今回のさゆりさん宅で行われたお話会にもとても良い刺
    激を受けました。私もよりいっそう頑張ろうという気になりま
    した。素敵な活動をありがとうございます。

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