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Friday, April 08, 2011

元原発技術者・菊池洋一『わたしにとっての広島と原発震災』 Former Reactor Engineer Kikuchi Yoichi: Hiroshima, and Nuclear Plant "Quake Disaster"

2008年10月10日発行の『地平線』43号に掲載された、元原発技術者、菊池洋一さんの論文を、編集者と著者の許可をいただき、転載します。原発技術者としての知識と生々しい体験、深い歴史的見識、そして現在福島で起こっていることを予言しているような内容は、読む人をうならせ、考え込ませるものと思います。現在起こっていることに特に関連が深い部分についてはこのブログの運営者が下線を引かせていただきました。(4月16日更新:菊池洋一さんが中部電力静岡支店に、浜岡原発停止を直訴したビデオのリンクとともに、現在の菊池さんの危機感を共有します。菊池さんの発言は『現代ビジネス』でも読めます。)

心からの叫び!元原発技術者菊地洋一さん中部電力靜岡支店で訴えた


わたしにとっての広島と原発震災


元原発技術者 菊地洋一

はじめに

 私が原発を建設するために、米国GE社の子会社GETSCO(ゼネラル エレクトッリク テクニカルサービス カンパニー・後のGEII)に就職したのは、仕事上の師でもあった先輩から「原発建設の仕事は原子力の平和利用なので、本当にやりがいのある男冥利な仕事である」と、強く説得されたからでした。
 その先輩の原発にかける情熱はとても強く、被爆都市広島の出身者ならではのものでした。
 GETSCOから勧誘されたのは、第1次オイルショックで石油の値段が倍増し、石油製品の床建材は市場から姿を消し、トイッレトペーパーの買占め騒動が起き、日本経済が大混乱をきたしていた時期のことです。
 石油資源をほとんど持たない日本が、石油の代替エネルギーを必要としていたのは当然のことでしたので、私だけではなく日本中の人たちが「原発の安全神話」を受け入れ易い時期だったのでしょう。
 「私にとっての広島」は、私を原発に誘った先輩の出身地であり、被爆の悲惨さ故に、人間の愚かさを常に考えさせてくれる都市でもあります。また、「私にとっての原発震災」というのは、日本中の原発及び関連施設ならどこでも起こり得るのですが、現時点で特に気になるのは東海地震による浜岡原発震災です。
 去年は、2回、浜岡原発裁判の裁判長を現場に案内しましたが、大事なところはどこも放射線レベルが高く、現場での十分な説明は出来ませんでした。私が、宮崎県から静岡県の浜岡にわざわざ出向いたのは、浜岡原発が全基ともGEの沸騰水型原発で、巨大地震時には巨大事故を起こす可能性が高いことを、電力会社や国の役人の誰よりも具体的に詳しく知っているからでした。
 「原発震災」という言葉は、神戸大学の地震学者である石橋克彦教授の造語です。巨大地震による震災に原発の放射能事故が重なると、非常線を張られますので、救助も思うようには出来なくなり、想像を絶する大惨事になってしまうことを言います。
 「広島と原発震災」というタイトルについて、この2つは特に関係はなさそうですが、そうとは言い切れないのです。「元広島市長平岡敬と原発震災」とすべきですが、その訳は後述いたします。

原発と原爆

 「原子力の平和利用」はまやかし言葉と思いたくなるほど、「核エネルギーの利用」には秘密が多く、危険に満ちています。危険なのは、原爆や原発の強力な破壊力と熱エネルギーに加え、悪魔が変身したかのように長命な放射性物質を生み出すからです。
 放射性物質は、α線(ヘリウムの原子核)β線(電子)γ線(電磁波)として肉体に作用して細胞を破壊し癌化させるだけではなく、遠隔操作で権力欲の強い政治家や軍人、学者や実業家の精神を狂わす能力をも合わせ持っています。
 そのような訳で、とても人類に平和をもたらすものとは思えないことを、核爆弾の例で見てみたいと思います。「日本は原爆を持つべきだ!」と考える政治家や軍関係者は多くいるのです。
 朝日新聞(2006年10月19日夕刊)によると、当時の外務大臣で次期総理大臣を目指している麻生太郎は、核保有に関しては「議論が大事」と国会で発言しました。被爆国の外務大臣が言うことかとあきれてしまいます。しかし、有事法制が閣議決定された翌年(2003年)の衆議院議員アンケートでは、「核武装を検討すべき」が17%で改憲派の3分の1を越していたのですから麻生発言も不思議ではないかも知れません。
 辞任したばかりの安倍晋三総理が副官房長官の時に、爺さんの岸総理の「戦術核を使っても、違憲ではない」(昭和35年の答弁)と同様の考えをもっていましたが、自民党の各派閥が押す次期総理候補の福田康夫氏も、「非核3原則」見直しに通じる発言をしていることを思うと、切なくなります。
 日本の核保有論者の代表的存在は、巣鴨プリズンから政界に復帰した元総理だった岸信介氏でしょう。
 「核兵器を持たない国は一流国ではないんだな…核兵器を持たん国は威信も発言力もない」。この発言は、「週間文春」昭和47年4月17日号に載った、岸氏と草柳大蔵氏との対談の1部です。
 かつて、「1発は原爆を持った方がいい」何故なら「持たないと他の国に対して睨みがきかない」と発言したのは、石原慎太郎東京都知事。しかし、岸氏も石原氏も原爆を実際に使用することまでは考えていなかったと思います。
 中曽根康弘元総理は、原発に初めて予算(1954年)をつけた人ですが、若き海軍主計中佐だった彼は、広島原爆投下のきのこ雲を対岸の四国から見て「これからは原子力の時代だと思った」(ほんとかな)そうです。
 日本で原発を建設するには、原爆と不可分だから米国との交渉が必要で、そこで動いたのが「読売」の正松松太郎氏です。日本の原子力の父と呼ばれています。
 
 今は廃炉になりましたが、日本初の商業用原発は東海原発1号炉で、英国から輸入された炭酸ガス炉です。建設はブリティッシュGEが監督にあたりました。軍事・平和両用の原発です。この炉で原爆が何個造れるかを極秘のうちに検討されていたことは、あまり知られてはいないようです。
 私が最初に取り組んだ東海2号炉は軽水炉ですが、だからといって原爆と無関係とは言い切れません。プルトニウムは軽水炉の使用済み燃料から取り出されるのですから。日本ではすでに原爆を大量に造れるだけのプルトニウムを所有しておりますし、英仏のみならず国内でも生産を続けています。
 今年の11月からは六ヶ所村の再処理工場が本格的に操業され、プルトニウムはどんどん増え続けます。北朝鮮はじめ東南アジア、中近東のイラン、イラク等の国々では到底考えられないことです。
 今年の夏、米国がインドとの原子力協定に合意し、使用済み燃料の再処理を容認しました。昨年3月に米国はインドの核保有を容認し、原子力の技術協力を行うことになりましたが、日本政府までもが経済関係を優先させてインドの核保有を容認するとは、全く情けなくなります。
 子供の頃に見た原爆の悲惨な絵や映画のシーンは強烈です。特に「父ちゃん母ちゃん ピカドンでハングリー ハングリー」と、米兵に物乞いする少年の姿は今でも忘れることができません。最近、テレビで『裸足のゲン』が上映されましたが、原爆や戦争の悲惨さを伝える努力は、これからは今まで以上にされなければならないと思います。
 話が少しそれてしまいましたが、30代の私は「原子力の平和利用」なる言葉について深く考えることもなく、単に、戦争目的に対する平和利用くらいにしか捉えられませんでした。しかし、今では、核保有国を例に出すまでもなく、原爆と原発の関係は世界の常識です。自分はなんと浅はかだったのだろうと強く反省しています。
 もし、日本の巨大原発や高速増殖炉や核燃料再処理工場が最悪の事故を起こせば、チェルノブイリ原発事故をはるかに上回る地球規模の大惨事となります。

 広島・長崎といえば原爆、原爆といえばどうしてもアインシュタインの顔が思い浮かびます。彼はナチスドイツを念頭に、原爆の製作に協力したのですが、日本に投下されたことを悔やみ、バートランド・ラッセル氏や湯川秀樹博士らと生涯にわたって、核廃絶に尽力しました。
アインシュタインは死ぬ前には、今度生れてくるときには、物理学者ではなく配管工がいいと話されたそうです。
 それにつけても、日本政府の核廃絶への意欲のなさには驚かされます。
 特に、原爆記念日の広島市長につづく首相の挨拶には、毎年のことながら幻滅させられます。なんで、米国に核廃絶や非核3原則を訴えられないのか、情けなくなります。
 近年、原発と関係が深い劣化ウラン弾の使用が世界的な問題になっていますが、被爆国である日本ではほとんど話題にならないのは不思議です。東京の「タンポポ舎」が熱心に取り組んでくれてはいるのですが…。
 チェルノブイリ原発事故もふくめて、放射能事故の悲惨さから目をそむけてはならない。私たち日本人が「他人事ではなかったんだ」という日が、確実に近づいている根拠がいくつもあるからです。

無知であることの怖さ

 このようないきさつで原子力発電所の建設に従事した私でしたが、「原子力の平和利用」なる言葉が持つ歴史的欺瞞性について学んだのは、GEの沸騰水型原発の現場を離れてからかなり時間がたってからでした。その前に戦争の話をさせいただきたいと思います。
 私の生れ故郷である岩手県釜石市には、八幡製鉄とならぶ富士製鉄があったため、街の中心は2度にわたる艦砲射撃と空襲で焼け野原になってしまいました。1回目は7月14日、2回目はなんと敗戦直前の8月9日でした。
 私の幼児記憶は空襲に始まるのですが、ここで言いたいのは、戦災の悲惨さについてではありません。製鉄の街釜石の空襲は戦争終結に必要だったと思ってきたのですが、どうも勘違いしていたようです。米国は、8月までに日本の戦闘能力はほぼ失われたことを知っていたはずです。制海権も制空権も失っており、特に日本周囲の機雷封鎖で、戦争続行に必要な原料輸入は途絶していたのです。
 八幡とちがって釜石は、製鉄に必要なコークスも鉱石の輸入もないので生産活動はなく、空襲される必要はなかった。ならば、釜石も日本殲滅を目的とした戦略に組み込まれていただけと言えそうです。戦闘能力がなくなっていた広島や長崎にも、原爆投下の必要はなかったはずです。
 久間元防衛大臣が「原爆投下はしょうがなかった…」と発言して失脚しましたが、同じ考えの政治家は多いと思います。
 特に、原爆投下の正当性を米国サイドから主張している『日本殲滅』(光人社 1995年)を読んだ人の中には多いのではないでしょうか。
 しかし、ノルマンディー上陸作戦で連合軍には放射能防護措置が取られておりました。放射能の恐ろしさを知っていた上での原爆投下は、自国での生体実験を大規模に行ったもので、正当化できるものではありません。
 広島・長崎の原爆は、水や大地など人間を含む生物にとっての生存条件を放射能で汚染しましたが、今、日本で巨大原発が事故を起こせば、チェルノブイリ原発事故からも分るように、原爆より広範囲にわたって大量の放射性物質をばらまきます。その可能性がダントツに高いのが、浜岡原発です。詳しく知りたい方は、『止めよう!浜岡原発』がお勧めです。
 『人間家族』の別冊としてスタジオ・リーフ(0558-62-4533)の発売です。
 今、もしも日本が現在のような生活を続けるならば、地球温暖化による環境異変も重大事ですが、核エネルギー利用の失敗による大惨事の方が先に起きてしまいはしないかと、私は非常に危惧しています。

原発問題はこれからが本番

 1999年9月、東海村のJCO転換試験場で臨界事故なるものが起きてしまい、東海村は大パニックに陥りました。3人の被曝者の1人だった大内さんの死に至るまでの顔写真を見た人は、きっと目をそむけざるをえないと思います。原爆同様に中性子線被曝は悲惨極まりないものです。
 チェルノブイリ原発事故やスリーマイル島原発事故に次ぐ事故とまで言われたのですが、すっかり忘れ去られてしまいました。しかし、この事故で原発は終焉を迎えなければなりませんでした。そうならなかったのは、新聞やテレビなどのマスコミが事の真相を報道しなかったからです。
 この事故は、高速増殖炉「もんじゅ」の実験炉である高濃度ウラン燃料を製造中に起きました。「もんじゅ」の事故後になぜ「常陽」を大改造し、出力を40%も増強させたのか。ウラン濃縮工場から出る劣化ウランを核兵器級プルトニウムに変えられることなど、一般の社会人には知らされていない事だらけです。
 この臨界事故は、わずか2㍉㌘のウランが反応したものですが、最近の原発は、110万~130万㌔㍗と大きくなっており、燃料は10~130㌧のウランが詰まっています。核種の違いもあって、単純な比較は出来ませんが、巨大原発や再処理工場が最悪の事故を起こせば想像を絶する地球規模の災害になります。あえて事故に「最悪」とつけましたが、決して起こり得ないことではないのです。
 GEの原子炉メーカーサイドの技術者だったときには、多重防護システムがどのように働いて事故を未然に防ぐのかを信じていたとはいえ、よくも恥ずかしくもなく説明したりしていたものだと、自分ながら笑えてきます。もちろん笑い事ではないのですが…。
 チェルノブイリ事故のとき、国や電力会社は「日本の原発には最後の砦としての放射性物質を閉じ込めておく格納容器があるから安全です」と力説していましたが、実際には全く頼りにならない代物です。
 東海原発や福島原発の納容器(PCV)は、現場では紙風船と呼ぶ技術者もおり、黙っていても溶接線がひび割れしかねない程度のものです。
 福島第2原発3号機の重大ポンプ事故時に、亀裂を見つけて修理した溶接工から電話があったことを知らせてくれた知人は、被曝が原因で若死にしてしまいました。東電には内緒で直したとのことでした。
 しばしば、東京電力の事故隠しがニュースになりますが、建設中は東電も、下請企業にいつも隠し事をされて悩んでいたものでした。
 原発建設の技術はまだまだ未熟で、故障や事故を取上げていたら、全くきりがありませんので、現代の技術では絶対に安全な原発などは造れないのだということで先に進みます。

増大する原発の海外輸出

 現在台湾では、GEが135万㌔㍗の巨大原発を台北の東海岸に建設中です。敷地から半径80㌔の海底には、70以上の火山が存在しており、そのうち11個は活火山です。5㌔以内には巨大地震では動くかも知れない不気味な断層が6本も存在しています。当然のことながら、近隣住民の多くは不安を強く感じています。
 台湾は、日本と同じように地震が多発します。たまには1999年の921地震のような大地震も起きますので、住民が心配するのも当然のことです。
 特に台北県は人口も多く、昨年お会いしていただいた台湾県政府の副県長李鴻源博士は、台湾大学の土木系教授でもあるだけに、この第4原発については非常に心配しておりました。
 第4原発の建設地である貢寮は、日本軍が台湾統治の第1歩をしるした地です。台湾にとってのこの屈辱的な広場には、石造りの古い抗日記念碑が、建設中の原発を背にしてしっかりと建っています。ここの2基の原発は、原子炉が日立と東芝、タービンは2基分とも三菱が請負っています。現地の住民は、日本による第2の侵略と感じる人もいるようです。
 技術的なことですので深入りしませんが、台湾原発の耐震強度は日本に比べると、かなり低くて驚かされます。浜岡は1000ガルに耐えるように補強中ですが、それでも完璧とは言い切れません。台湾は300~400ガルに耐えれば十分とする台湾電力に、不安を覚えます。
 日本の技術もいい加減ですが、台湾の現場での品質管理は驚くほどプアーなのですが、それとは反対に、明らかに技術過信に陥っているようです。
 GEが元請といっても、原子炉とタービンを日本に下請けさせているだけで、土木工事や配管・配線工事等は台電が直接ばらばらに発注しています。GEとは別に、2003年には台電のコンサルタントとして全体を見ていた世界的なエンジニア会社が倒産してしまい、去年は現場から消えてしまっていました。台電が直接監督できるのでなんの問題もないそうですが、前回は逆の説明だったはずです。
 敷地内にある配管加工工場内での溶接検査については、「業者に任せているから見なくてもいいんだ」とのことで、驚きました。

 台湾について少し長く書いたのは、今後、日本は海外に、とは言っても東南アジアからインドにかけてですが、原発を大いに輸出しようとしているからです。
 米国のGEやウエスチングハウスは日本の日立や東芝と合弁会社を設立して、軽水炉を売り込むことは、マスコミでもしばしば報道されましたのでご存知の方も多いと思います。
 言うまでもなく、巨大原発を建設するには、優秀な技術を有するたくさんの会社が必要です。化石燃料による炭酸ガスの問題や石油不足に対応するためという理由で、中国はもちろん米国までもが、本格的に原発を造ろうとしています。しかし、日本ですら原発での被曝労働に従事する優秀な技術者が激減しているのですから、問題はかなり深刻です。
 
 原発からそれますが、「高性能兵器の生産と輸出が日本を救う」。これは、石原慎太郎が1998年5月号の「文芸春秋」に投稿した文章の小見出しですが、簡単には忘れられない記事です。世界が平和になるためには、核兵器はもちろんですが、武器そのものを捨てなければならないからです。
 「べトナム戦争時に米兵が使用していた世界一高性能な組立式機関銃はわが社のものです」と自慢する、「豊田工機」なる会社の窓用サッシュを使おうとする、社長と常務を九段会館の近くの喫茶店に呼び出して大喧嘩し、2人の施主に対する不正を正してから会社を辞めた、25歳の自分を思い出し、思わず書いてしまいました。
 関西の企業の中には、石原氏と同じ考えが多いとの記事を読んだことがありますが、原発同様許されないことです。

地震と原発

 近年、インドネシアに巨大な地震が続いています。スマトラ沖地震の津波はまだ記憶に新しいのに、また、M8.4とかM7.65などの大地震が続いて起きました。今に始まったことではありませんが、こんなすごい地震国に原発を建設しようとしているのですから、あきれてしまいます。韓国も含めると6カ国ほどが関心を持っているようですが、日本では三菱重工やGEと手を組んだ日立が意欲的に取り組みそうです。
 今年の7月、インドネシアから2名が来日され、原発を輸出しないでくれと、日本政府や企業(三菱重工、東芝、日立)へ申し入れをしたそうですが、東芝と三菱は門前払いで要望書も渡せなかったようです。新聞やテレビは取上げませんので、殆んどの日本人は知ることが出来ませんでした。
 インドネシアの原発予定地として5カ所が適地であると選定したのは、関西電力の子会社NEWJECです。
 日本政府が原発輸出に力を入れるのは、日本国内の原発建設低迷期に技術や人材の厚みを維持するためということになっています。しかし、日本の都合で原発を押しつけるのではなく、ポテンシャルの高い水力や地熱、バイオマスの利用などに協力すべきでしょう。
 地震国インドネシアよりもタイやベトナムの方が、むしろ可能性が高いのかも知れません。両国とも原発を望んでいますが、原発保有国が増えれば増えるほど事故の可能性が増えるのは当然ですが、原発は単純に事故だけの問題ではありません。日本の電力会社を見ればすぐ分るように、秘密主義が横行し出し、民主主義に反するようなことが次々と起きてきます。
 かつては原発からの撤退を宣言したことのある台湾でしたが、前記のように、大型原発を建設中です。昨年台湾に行ったときには、2003年にはとても考えられなかったような変化が起きていました。原発反対派の国会議員や環境大臣までもが原発推進に変わっていたのです。
 原因は、台湾出身のノーベル化学賞受賞者の李遠哲博士が「地球温暖化防止のためには、炭酸ガスを出さない原発もやむをえないのではないか…」と発言したことでした。日本に例えれば、湯川秀樹博士が言ったようなもので、国民への影響力は絶大だったのです。私は1時間ほど対談させていただきましたが、1936年生れの李博士は日本語が堪能で、人格的にも立派な方でした。驚いたのは、エネルギー問題に明るく、新しいタイプの地熱発電であるヒートパイプによる高温岩帯発電の現状や技術的な問題点、ヘリウムガスによる高温ガス炉に至るまで、その博学ぶりには驚かされました。
 残念なことは、博士が原子力の闇の部分についてあまりご存知なかったことです。それが普通といえば普通なのですが。
 私は「ウラン採掘現場の残土問題や定時検査時での被曝問題、使用済み燃料や高レベル廃棄物問題、トータルに見て原発が決して優れた発電方法ではない」と話しました。熱心に聞いてはくれましたが、原発に反対の立場に戻って貰うまでの時間がなかったのはとても残念でした。
 前記のJCO臨界事故の後でした。
「このような事故があったからと言って、原子力の研究開発をやめるようなことがあってはならない」。このような趣旨の特別寄稿が世界的に有名なNewsweekにありました。寄稿者は広島の平和市長として有名な平岡敬氏でした。「原子力の平和利用」への思いの強さが伝わってきますが、かつての自分の姿が思い出されます。  
 毎日、原発の現場を見ながら、口ずさんでいたのは出身校・日大工学部の校歌でした。

永遠の光を 現世に与うべく
限りなき奉仕と愛の心持て
科学の力と不屈の意志を
武器として進まん 若きエンジニア 

 しかし、古い原子炉本体と配管の接続部に発生した亀裂を外国人グループに修繕してもらい、炉内被曝作業の安全を担当していたころには、原子力への夢はすっかり冷めてしまっていました。東海2号、福島6号と新設の原発を建設している内に、「原発技術の未熟さ、人間の不条理さ」を痛感し、安全な原発など、とても出来るわけがないと思うようになってしまったのでした。
 1976年に米国のGEの3人の主任技術者が定年を待たずに辞職しました。彼らは「何時、何処でとは言えないが、原発の大きな事故は必ず起きる、もう協力出来ない」と言って去ったそうです。3年後にはスリーマイル島原発事故、1986年にはチェルノブイリ原発事故がおきました。
 GEの原発で巨大事故を起こす可能性が最も高いのは、東海地震が直下で起きた時の浜岡原発です。最悪の場合には、チェルノブイリ原発事故以上の被害になるかも知れません。東海地震被害の救援が思うように出来なくなることも大問題です。風向きによっては、青森近くまで高濃度汚染スポットが出来るかもしれません。

 私にとって、平岡敬元広島市長は、国際司法裁判所で、国の意向に反して「核爆弾は国際法に違反する」と証言した尊敬すべき人です。
 私は宮崎県の幸島の真向かいに住んでいます。幸島は、ケン・キース・ジュニア著の『百番目のサル』(昭和59 佐川出版)*やライアル・ワトソン著『生命潮流』にも出てくる、ニホンザルの住む小さな島です。(*「幸島に住む1匹の子ザルが、サツマイモについた砂を洗って食べることを覚え、それを真似たサルが100匹目になった時、芋洗い現象が時空を超えていたるところに伝播した」とあり、「あなたが世界を変える100番目のサルかも知れない」とメッセージする。)
 「平岡市長は講演会の最後によく『百番目のサル』の話をするんだそうですよ」と、9年前まで同居していた、今年93歳になる三戸サツエさんが語ってくれたことがありました。平岡氏は、ご主人が北朝鮮で学校の先生をしていた当時の教え子だったそうです。
 三戸さんの息子で今は米国にいるご長男を、学生時代に南氷洋で面倒を見たという元水産大学教授で、鯨博士の別名をもつ那須氏が、ある日の朝突然に訪ねてこられたことがありました。なんと、その方は社会人になってすぐのころに、北氷洋で私の父に世話になったことが分ってびっくりしました。那須氏は大学を定年退職後、なぜか宮崎に住みたくなって、家を建て、移住してきたそうですが、急に亡くなられたそうで再会できませんでした。人の縁の不思議さを感じます。
 原発はいつか必ず人類に大災害をもたらすと思えるだけに、敬愛する平岡元広島市長がこれ以上「核燃料サイクル」の広告塔にならないように祈らざるをえません。Newsweekで勇気付けられた政治家や学者がいたかもしれませんが、プルトニウム利用は人間の悪夢でしかないことをぜひ理解してほしいと思います。

 知人の鎌仲ひとみ監督は、映画「ヒバクシャ…世界のおわりに」はイラクで罪もない何人もの子供たちが白血病や癌で死んで行くのに立ち会ったことで生れたと語っています。
 原因は、米国が湾岸戦争やアフガニスタンそして今度のイラン攻撃で大量に使用した『劣化ウラン弾』です。
 日本は濃縮ウランの80%以上を米国から輸入していますが、燃料にならなかった大量のウランは、米国の表現によると「すばらしい兵器」になっているのです。日本の核燃料のゴミが兵器として使われ(アフガニスタンや今度のイラクだけで2000トン)、大量に保管されています(嘉手納基地だけでも40万発)。

 日本が『核の平和利用』の名のもとに、これまで以上に人類を「ヒバク」させないように祈らずにはおれません。
 『ノーモアー広島&長崎‥ノーモアーヒバクシャ』と。

著者 プロフィール
 1942年岩手県釜石市に生れる。艦砲射撃と空襲で戦争の恐ろしさを知る。
 32歳まで建築コンサルタント。オイルショック後、米国GE社の原発技術者として、東海・福島原発建設に従事、原子力の闇の世界を知る。
 80年以降6年間、中近東のアブダビを中心に石油生産関連施設の現地法人GAMAの責任者。ペルシャ湾は流失した油で汚染され、戦争による環境破壊を体験する。
 帰国3年後東京を離れ、50ccバイクで全国を放浪。草花や昆虫の姿に命の尊さと美しさを感じ、撮影するようになる。
 この10年、鹿児島大学で地球環境エネルギー論を担当。脱原発社会を目指したボランティア活動をしている。

1 comment:

  1. 仲間たちに4月8日メールで送ったアップデートより、ここに置いときます。

    ★日本でも反原発替え歌流行ってるけど、カナダにもあった!ビートルズの「Help」
    に合わせて歌ってください。

    Help! We need somebody.
    Help! Not just anybody.
    Help! We need everybody now!
    When we were younger, so much younger than today,
    Never wanted nukes to come along in any way.
    And now the reactor’s blown, you’re not so self-assured.
    Now it’s time to solidarify* and tear the monster down.
    Help us if you can, let’s tear it down!
    Radiation’s everywhere; it’s all around!
    Help us get the nukes right out of town!
    Won’t you please, please help us!
    And now the planet’s harmed in o! so many ways.
    Our independence seems to vanish in the haze.
    But now the time has come to try another way.
    We need each other now to live another day.
    Help us if you can; let’s tear it down!
    Radiation’s everywhere; it’s all around!
    Help us get the nukes right out of town!
    Won’t you please, please help us!
    When we were younger, so much younger than today,
    Never wanted nukes to come along in any way
    And now the reactor’s blown, you’re not so self-assured.
    Now it’s time to solidarify* and tear the monster down!
    Help us if you can, let’s tear it down!
    Radiation’s everywhere; it’s all around!
    Help us get the nukes right out of town!
    Won’t you please, please help us!
    (Help us, no nu~~kes!)

    http://east306.wordpress.com/ 

    ★「風評被害」について

    多くのメディアは政府を代弁して「放射線は安全」キャンペーンを繰り広げてきた。しかし今、汚染は高まり、原子炉の危機的状況は悪化し、もう「安全キャンペーン」が効果薄だと分かってきたせいか、今度は「風評被害」の大合唱だ。

    日本のマスメディア・政治家・その他、原発を今のまま維持したい人たちは、福島原発に起因する被害をすべて「風評被害」と呼びます。「原発被害」「放射線被害」が実際にあるのにそれを「風評被害」と呼ぶことで加害者のすり替えが行われています。政府と東電の責任で福島から空、海、土、(とそれらから恵まれる命の糧:水と食品すべて)を通じて拡がっている汚染に対する認識を全て「風
    評被害」と呼ぶことで、危機意識をもつ市民・消費者が加害者にされてしまう。

    こういった、「加害者すりかえ風評被害」と混同し、何でもかんでも「風評被害」にしてしまったら、本来止めるべき、防ぐべき「風評被害」さえ正しく認識できなくなってしまう。被害者である農家や漁業従事者の人たちを、「原発被害」の被害者ではなく「風評被害」の被害者なのだと思わせるための洗脳キャンペーンのようにも見える。昨日NHKで見てたら、福島出身タレントの佐藤B作さんが福島県知事(これも佐藤さん)を訪問し、知事は「風評被害が一番ひどい!」とB作さんに訴え、お互い抱擁し合っていました。ここでもそう、福島の被害はすべて「風評」のような言い方で、原発のゲの字も言わない。この佐藤雄平現知事は、原発受け入れに否定的だった前知事(この人も佐藤!佐藤栄佐久という)がひどい嫌がらせを受けた上にやめた後に知事になり、MOX燃料(プルトニウムとウランの混合燃料)を使うプルサーマル発電を承認した人。(前知事エイサクさんの物語はこちらを見て。週刊朝日インタビュー。必読。
    http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20110330-00000301-sasahi-pol)

    これぐらいにしておきます。原子炉の状況は、昨日(8日)1号機で異常な放射線上昇があり、ネットでは専門家も含め一体どうしたんだ!という危機感が広がりました> http://atmc.jp/plant/rad/?n=1
    > http://toofuya.blogspot.com/
    しかし東電、保安院の会見では見事にスル―され、「調査中」ということになってます。テレビも新聞も完全無視。何かわかったら知らせます。

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