浦島悦子さん |
Five Okinawan Views on the Nago Mayoral Election of February 2018: Implications for Japanese Democracy
の浦島さんの分の日本語版です。沖縄から5人の声ということで、浦島さんの他に山城博治さん、吉川秀樹さん、宮城康博さん、伊波洋一さんが寄稿しています。吉川さんのものは元の原稿が英語でした。日本語で提供された4原稿はまとめてこのリンクで読めます。
名護の桜 (提供 浦島悦子) |
山の桜は泣いた――2018名護市長選
浦島悦子
「山の桜が泣いている 金か誇りか 名護マサー」。
20 年前の「(新基地建設の是非を問う)名護市民投票」(1997 年 12 月 21 日実施)の頃、名護市街地 の入口に、こう書かれた大看板が掲げられていたのを思い出す。桜(ヒカンザクラ)は、日本一早い「さ くら祭り」(毎年 1 月最終週末)で知られる名護の象徴であり、「名護マサー(勝り)」はナグンチュ(名 護人)の気質を表す言葉だ。
2 月 4 日に投開票された名護市長選をめぐる熾烈な攻防の真っただ中で 20 年前の看板を思い出したの は、あれ以来、今回で 6 回目を数える市長選のたびごとに、有権者数 5 万足らずの小さな地方都市の選 挙に時の政権が直接、総力を挙げて介入する異常事態が繰り返され、今回はとりわけその異様さが突出 していたからだ。
昨年 12 月 26 日、辺野古のキャンプ・シュワブゲート前で開かれた「座り込み 5000 日集会」で挨拶 した稲嶺進市長は、新基地建設に終止符を打つためになんとしても 3 選を勝ち取る決意を述べるととも に、「あちこちに『魔の手』が伸びている」と指摘した。それは決して比喩ではなかった。選挙期間中ずっと、私は、大好きな名護が汚い泥靴で踏みにじられていく悔しさ、得体のしれない黒いものが至る所 に触手を伸ばしてくる気味悪さを感じ続けていた。
年末から年始にかけて、菅官房長官や二階・自民党幹事長が名護入りし、振興策の大盤振る舞いや新 基地計画の地元・久辺 3 区(辺野古・久志・豊原)への直接補助金などを口約束したのをはじめ、安倍 政権の大臣らが自公推薦の渡具知武豊候補の応援に次々と来沖した。彼らは表に出るのではなく企業回 りを徹底し、ふんだんなカネ(官房機密費 10 億円が使われたという噂もある。その源泉はもちろん国民 の血税だ)を使って水面下でさまざまな工作を行った。
企業動員・締め付けや、事実とは真逆の謀略ビラを大量にばらまくなどはいつもの手口だが、今回は、 私の住む「二見以北」地域(久辺 3 区に隣接する稲嶺市長の出身地)にも分断の手が伸びた。「市長や知 事が反対しても基地は造られてしまうから、代わりに振興策を」という趣旨で「二見以北を考える会」 という団体が昨年末に発足。二見以北の各区(10 区)に役員を置く住民団体という体裁を取っているが、 その事務所は渡具知候補の地域事務所内にあり、住民が自発的に結成したものでないことは明らかだ。しかし、新基地建設に向けた工事が目の前で進む様子を日々見せつけられている地域住民への影響は小 さくなかったし、地縁血縁の濃い地域に動揺と亀裂、疑心暗鬼を生んだ。
渡具知武豊候補は名護市議会議員を 5 期務めたものの人望がなく、市長選出馬に自民党本部がなかな か同意しなかったといういきさつもあり、当初、稲嶺支持者の中に楽勝ムードもあったことは事実だ。 私は最初から、相手候補が誰であろうと、これは安倍政権との「全面戦争」であり、4 年前の選挙と違っ て 18 歳選挙権が施行されたため 6 年分の新有権者がいること、基地問題や政治に無関心な若者たちの動 向を考えると相当に厳しいと思っていたし、それを繰り返し言っても来た。選挙戦の中でその危機感はいっそう強まったが、一方で「名護市民の良識」を信じてもいた。勝っても負けても僅差と言われてい た中で、選挙結果(渡具知武豊 20,389 票、稲嶺進 16,931 票、投票率 76.92%)の約 3500 票差はショッ クだった。
敗因は何か。地元紙などでも言われているように、「稲嶺陣営に緩みがあった」のも、「候補者(稲嶺市長)の人望や人気に頼りすぎた」のも否定できないが、辺野古新基地建設を至上命題とする安倍政権が「日本の命運をかけて(翁長雄志県知事の言葉)」、基地建設を阻む稲嶺市長を何としても潰そうと、権力と金力を最大限に使って襲いかかってきたのが今回の選挙だった。その恐ろしさを、一生懸命に選挙活動した人ほどひしひしと感じていたと思う。一言でいえば「嘘とデマで塗り固めたカネまみれの選 挙」だが、その手口は巧妙を極めた。
彼らはまず、「新基地建設工事が着々と進んでいて、もう後戻りできない」ことを印象付けるため、人目に付く部分での工事を加速させ、市長や知事がいくら頑張っても駄目だという「あきらめムード」を植え付けることに一定程度成功した。稲嶺陣営は「埋め立て工事はまだ1%程度しか進んでおらず、十分に止められる」ことを広報し、地元紙も工事の現状を報道したが、一般市民には十分に届かなかった。(私は、名護市長選前に翁長知事が「埋め立て承認撤回」を行ってくれることを望んでいた。そうすれば流れは変わっていたかもしれないと思うが、そうはならなかった)。こうして外堀を埋め、自民党は企 業や職場、公明党は地域へと、それぞれが得意分野で票の取り込みに奔走した。
前回市長選では自主投票だった公明党が、今回は渡具知候補の推薦を決めたことは大きかった。彼ら は、県内はもちろん全国動員で 1000 人とも言われる運動員を恩納村にある創価学会の合宿所に集め、そ こから連日、100~200 台のレンタカーで名護入りした。広い名護市の各地域の隅々まで入り込み、「優 しく」、ある時は強引に説得活動を行い、そのまま期日前投票所へと運んだ。彼らはなぜか、どこの家に高齢者や障害を持つ人がいるか、どこの家が生活保護世帯かなどをよく知っていて、それぞれに見合った説得や対応をしていたという。自民党による「企業ぐるみ」と、公明党による「地域掘り起こし」、こ れに対抗して稲嶺陣営も期日前投票を呼びかけたため、期日前投票数は 21,622 と有権者の 44.4%、当日 投票数の 15,522 を 6000 票以上も上回った。ここにも今回の選挙の異様さが如実に表れている。
渡具知候補は、公明党が推薦の条件とした「海兵隊の県外・国外移転」を政策に入れ、これまでの新基地積極容認の姿勢を封印したため、稲嶺市長との違いが一般市民にはわかりにくくなった。そのうえで、学校給食費や保育料の無料化をぶち上げ(その財源と想定される米軍再編交付金は、基地受け入れ と引き換えであり、しかも経常経費には使えないのだが)、子育て世代の関心を集めた。
渡具知陣営による稲嶺市政へのネガティブキャンペーンもすさまじかった。米軍再編交付金に頼らず とも市の予算を 2 期 8 年間で 508 億円増やし、市内全小中学校の耐震化・水洗トイレの完備、保育所の 待機児童もほぼゼロになるなど、稲嶺市長が「基地問題以外はすべて公約を達成した」と胸を張る実績 を上げているにもかかわらず、「失われた 8 年」「停滞」「閉塞感」などの言葉を大量に流布した。「嘘も 百回言えば本当になる」「悪貨が良貨を駆逐する」ことを思い知らされた選挙でもあった。
各メディアや大学生など若者たちが両候補に公開討論会や候補者対談、意見交換会などを要請したが、 渡具知候補はすべて(8 回も!)拒否し、政策論争は全くしない一方で、人の心理がよく計算された簡潔 で印象の強いチラシ(稲嶺陣営の広報班もよく頑張っていたが、チラシは市長の実績を伝えたいあまり 説明が多かった)を人海戦術で隅々まで配布した。表の選挙活動が終わる午後 8 時以降に動き出す「闇 の部隊」がいて、「1 票 10 万円で買っている」などの噂も流れていた。
公開の場で政策論争を行い、有権者が主体的に選択するのが選挙なら、こんなものはとても選挙とは言えない。選挙制度も民主主義ももはや死んだ。主権者である私たちがなぜ、選挙のたびごとに「金か 誇りか」を迫られ、人間関係をズタズタにされ、苦しまなければならないのか? あまりにも理不尽だ。
今回の選挙では若い世代ほど渡具知候補を支持した。2 年前に名護出身の 20 歳の女性が元米海兵隊員に惨殺され、この 1 年来、「あわや大惨事!」の米軍機の事故が相次いでいるにもかかわらず、人命や暮 らしが危険にさらされていることを、彼らはあまり感じていないのだろうか? 渡具知氏の娘が今回選 挙権を得た高校 3 年生で、「お父さんを応援して」という彼女の呼びかけがSNSでネズミ講式に広まっ たと聞く。稲嶺支持のある若者が渡具知支持の若者たちの集まりを覗いてみたところ、政策の話は全くなく、「仲間だよね」「仲良くしようね」と、ひたすら情に訴えることに終始していたという。「今どきの若者」たちは優しくて、争いを好まない。政策論争などは求めていないようだ。「稲嶺さんはよく頑張った。かわいそうだから、もう重荷をおろしてあげよう」という「優しい」メッセージが若者たちの間で 広まっていたというが、それは彼らの心情にぴったりマッチしたのだろう。
若者や女性に人気が高いと言われる自民党の小泉進次郎氏が 2 回(1 月 31 日と投票前日の 2 月 3 日) も名護入りしたのも異例だった。名護市役所前にある渡具知候補の選対本部周辺は、街頭演説する小泉氏を一目見ようと、スマホを片手にした若者たちで埋め尽くされ、集まった人たちは集会後、そっくり、 市役所近くにある期日前投票所へと誘導されたという。
しかし、今回の選挙で私が感じた大きな希望は、そんな中で、稲嶺陣営で活動した若者たちの存在だ。それはこれまでの選挙にはなかった新しい動きだった。選対本部には連日、若者たちが夜遅くまで議論し、稲嶺市政の政策について学ぶ姿があった。彼らは自ら主体的に考え、企画し、行動に移した。相手陣営の宣伝にどう対抗するかを徹底議論する中で、なぜ基地に反対するのか、市民のための市政はどうあるべきなのかについて、多くのことを学んだと思う。相手陣営の若者とも話し合い、公開討論会に向けて積み上げてきた努力を土壇場で一方的に反故にされ、努力は実らなかったが、その中で彼らは大き
く成長した。名護の未来のために、この新しい芽を育てていくことが私たち大人の責任であり、仕事だ。 稲嶺進さんにはその中心を担ってほしいと願っている。
誠実で公平無私、市民の幸せを阻害する基地建設を断固として阻み、子どもたちの未来、名護の未来のために奮闘し、基地に頼らない市政運営、経済を実現してきた稲嶺進という稀有のリーダーを、私たちが全国からの応援を得つつも力不足で落としてしまったことは痛恨の極みだが、これに負けてはいられない。考えうる限りのあらゆる卑劣な手口を使って彼らが手に入れた「勝利」は、いずれその正体が 市民の前に明らかになるだろう。
投開票の夜、私は、市長選と同時に行われた名護市議会議員補欠選挙の開票立会人として開票所に詰めたが、結果が出ての帰り道、渡具知選対本部の前を通った。「勝利」に沸く黒い人だかりに「名護が乗 っ取られた」ような違和感を覚え、この汚い手から「名護を取り戻す」決意を胸に刻んだ。
今年は選挙イヤーだ。息つく暇もなく、沖縄県内でも各市町村の首長選が続き、9 月には名護市議会議 員選挙、そして 11 月には「天王山」の沖縄県知事選挙が行われる。名護市長選挙で味を占めた安倍政権 が同じような手口で襲いかかってくることは目に見えている。この 6 月にはいよいよ、辺野古の海に埋 め立て土砂の投入を開始すると報道された。知事選前に県民の「あきらめ」を促したいのだろう。
辺野古新基地反対運動は今後ますます厳しくなり、国家権力による暴力も強まるだろう。しかし、大浦湾の海底地盤の脆弱さ、活断層の存在などの自然条件も含め、工事がそう簡単に進まないことも明ら かになりつつある。私たちが 20 年間決してあきらめなかったからこそ、基地はまだできておらず、大浦 湾はその美しさを失っていない。海と陸双方で現場のたたかいによって工事を遅らせること、国内外の世論を高めること、そして、ズタズタにされた地域の絆をもう一度結びなおすことで、これからしばらく続くであろう「冬の時代」を乗り切っていきたい。宮古・八重山を含む沖縄の軍事要塞化を目論み、憲法を変えて戦争への道を突き進もうとする安倍政権に何としても歯止めをかけたい。沖縄で起こっていることは、すぐに日本全体に波及するだろう。これは沖縄問題ではない。日本各地、それぞれの場で の反撃を強く望みたい。
今年の「名護さくら祭り」は市長選の告示日と重なった。まさに「戦争」そのものだった選挙戦を経て、投開票日からの数日間、名護もぐんと冷え込んだ。冷たい雨に打たれ、名護城(ナングスク)山の桜は泣きながら散った。しかし、散った桜はまた新しい芽を宿し、来年、美しい花を咲かせてくれるだ ろう。私(たち)もまた、新しい一歩を踏み出したのだ。
花散らす冷雨に 負けるなよ桜
時来ればまたも 花や咲きゅる
(はなちらすしむに まきるなよさくら
とぅちくりばまたん はなやさちゅる)
=花を散らす冷たい雨に 桜よ負けるな
時が来れば再び 花は咲くだろう
17年12月7日午後、キャンプ・シュワブ前で資材搬入に抗議する。後姿だが、中央でマイクを握るのが浦島悦子さん。(撮影 乗松聡子) |
このブログの浦島悦子さん関連の投稿はこちら。
浦島さんの論考中に、「安倍政権が『日本の命運をかけて(翁長雄志県知事の言葉)』」とありますが、たしかに名護市長選での勝利は勝ちとりたかったでしょうし、できることはみなやった(どうせ公費でやれるんですから)というところでしょうが、日本政府は、負けたところで翁長知事はどうせ撤回することはないと踏んでいたと思います。そして、「大浦湾の海底地盤の脆弱さ、活断層の存在などの自然条件も含め、工事がそう簡単に進まないことも明ら かになりつつある」と浦島さんは書いておられますが、日本政府はじつは『工事がそう簡単に進まなくても』、工事しているふりさえできれば(米軍相手に)いいと考えている可能性があると思います。そうだとすると、「工事が簡単に進まないこと」は、辺野古の海と名護市の破壊を止めることにつながらないかもしれません。
ReplyDelete日本は国家として「止める(やめる)」ということができたためしのない国です。それでとうとう、あの8月15日まで突き進んでしまいました。日本人の多数も「止める(とめる)」側に回る人がとても少ないという国民性です。そのことを踏まえて、ではどうするか、考えていただきたいと切に思います。